クラシック音楽 ブックレビュー


2016年9月07日

◇「プロコフィエフ~その作品と生涯~」(サフキーナ/新読書社)

プロコフィエフ

書名:プロコフィエフ~その作品と生涯~

著者:サフキーナ

訳者:広瀬信雄

発行:新読書社

目次:読者に
    ソンツォフカからきた少年
    ペテルブルク音楽院の生徒
    音楽院を卒業して
    遍歴
    帰郷
    『彼は永遠に勝利した』

 プロコフィエフ(1891年―1953年)は、同時代のストラヴィンスキー(1882年―1971年)、ショスタコーヴィチ(1906年―1975年)と共に、我々日本人にとっても馴染みの深いロシアの作曲家である。ストラヴィンスキーは天才肌の革命児、ショスタコーヴィチは旧ソ連政府の圧力屈せず戦い抜いた闘士といった強烈な印象を与えているのに対し、プロコフィエフの実像はというと、個性的なこれらの2人に比べて、もう一つ鮮明になっていないような印象を受ける。プロコフィエフの作品は、ショスタコーヴィチとは異なり、陽気さがその根底にあり、メロディーが豊かで、突如エキセントリックな部分も現れるが、ストラビンスキーほどの革新さではなく、大方、平穏に安心して聴き通すことができる。言ってみれば、ストラヴィンスキーの革命性と悲壮感漂うショスタコーヴィチの間に立つ、常識的で伝統を重んじる作曲家という評価は、果たして正しいのであろうかという疑問が常に私の頭をよぎっていたのである。そんな折、「プロコフィエフ~その作品と生涯~」(サフキーナ著/新読書社)が目に留まり、早速読むこととした。

 この書「プロコフィエフ~その作品と生涯~」は、プロコフィエフの生涯が簡潔な文書で綴られていて、プロコフィエフの生涯を一通り頭に入れておくには恰好の書物と言える。それに巻頭のグラビア写真が20ページ掲載されており、これだけ見てもプロコフィエフの生涯が自然に頭に入るので有り難い。プロコフィエフは、どのような青年であったのであろうか。「彼の中には、真面目さ、根気強さ、意志、勤労愛が見事に組み合わさり、そして、腕白、発想、冗談の準備が整っていた。彼は並外れて容易になんでも学ぶことができた。つまり、彼にとって音楽は喜びの源泉であり、陰気な棒暗記や、罰や、失敗ではなかった。皮肉も、加わった高度に発達彼の批評精神は、自己の個性と、見解の独自性を守る役目をした」。何かプロコフィエフ青年のこのような性格は、作曲した作品のバックボーンとして、生涯を通して貫かれているように思われる。ショスタコーヴィチの作品ほどの深刻さは持ち合わせず、さりとて、大衆迎合ではなく、批判化精神もたっぷり持ち合わせているのがプロコフィエフの作品の真骨頂ではなかろうか。

 ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチが過ごしてきた時代は、第1次世界大戦、旧ソ連体制下の第2次世界大戦とその後の冷戦の真っただ中にあったわけであり、このことを抜きにこの3人の音楽を論じることは不可能だ。この中でストラヴィンスキーだけは、第一次世界大戦勃発とともにスイスに居を定め、1917年に起きたロシア十月革命により故国の土地は革命政府に没収され、最後はアメリカへと亡命する。一方、旧ソ連政府は、労働者階級に貢献する芸術活動を芸術家に強要し、プロコフィエフとショスタコーヴィチは、この壁にぶち当たる。ところが、プロコフィエフはいち早く世界的名声を得た作曲家だったためか、比較的自由に海外への演奏旅行が許された(黙認された)。この途中プロコフィエフは、日本へも立ち寄り、ピアノ演奏会を開催し、その後のわが国のクラシック音楽界の向上に大いに寄与したと言われている。この辺のところまでは同書は立ち入っていない。「ウラジオストックまでシベリア横断鉄道で18日間、やむを得ず日本に2か月間滞在、そして最後はホノルル経由でサンフランシスコまでの長い船旅。アメリカは好奇心と不信感を持ちながらプロコフィエフを迎えた」。このアメリカでの音楽生活が、その後のプロコフィエフの作品の性格に少なからぬ影響を与えたことは疑いのないことだ。

 その後、プロコフィエフは、祖国ロシア(旧ソ連)に戻る。「大祖国戦争(第2次世界大戦)は、試練であった。これは一人ひとりのソビエト市民に対し、精神的、肉体的な力のすべてを動員し、勝利の名の下にありとあらゆるエネルギー、労働力、才能を犠牲にすることを余儀なくした」。勿論プロコフィエフも例外ではなかった。プロコフィエフは、赤軍として戦っている同胞を支援するかのように作曲に励むことになる。しかし、そんなプロコフィエフですらショスタコーヴィチなどと共に、1948年、ジダーノフによって「形式主義作曲家」として批判されてしまう。スターリンは1953年3月3日に死去するが、実はプロコフィエフも同じ日に世を去っている。スターリンの死は世界を駆け巡ったが、プロコフィエフの死に気付く者は誰もいなかったという。プロコフィエフの自己の作品に対する姿勢について、筆者のサフキーナは次のように書いている。「プロコフィエフの生活、それは果てしない探究、疲れ知らずの仕事、物おじしない実験の実例である」と。プロコフィエフが生きていた時代の背景を考えながら、改めて彼の作品を聴いてみると、深い感慨が胸をよぎる。(蔵 志津久)

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