クラシック音楽 ブックレビュー


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2013年7月03日

◇「バッハ―神はわが王なり―」(ポール・デュ=ブーシェ著/創元社<「知の再発見」双書58>)



書名:バッハ―神はわが王なり―

著者:ポール・デュ=ブーシェ

訳者:高野 優

日本語監修:樋口隆一

発行所:創元社(「知の再発見」双書58)

発行日:2009年7月10日第1刷第7版発行

目次:第1章 音楽家の一族
第2章 若き音楽家の誕生
第3章 偉大なオルガニスト
第4章 ブランデンブルク協奏曲
第5章 トマス・カントル
第6章 音楽の捧げ物
資料編 バッハ、その人と音楽

 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年―1750年)ほど、クラシック音楽界に貢献した作曲家は、その長い歴史を辿っても数えるほどしかいないであろう。それは時代を超えて、さらにはジャンルも越えて、現代においても大きな影響を及ぼしていることを見ても明らかだ。例えば、ジャズでバッハを演奏することだって、今や取り立てて言うことのほどの話になくなっている。つまり、バッハの音楽は時代を超えて、普遍的な音楽のエキスのようなものを我々に与え続けている。そんなバッハも、一時期その存在が完全に忘れ去られた時代もあったというから、びっくりさせられる。同じような事例は、最近の日本画界にもある。一時忘れ去られていた伊藤若冲が今や時代の寵児となって、多くの人から賞賛を浴びている。バッハは、世俗的カンタータは作曲したが、オペラは作曲しなかった。大衆が最も身近に感じられる音楽がオペラであり、バッハのように宗教曲が多く、宗教曲以外の曲でも抽象的な曲がほとんどの作曲家は、当時は一般的な人気が続かなかったのであろう。ところが、このことが逆に幸いして、死後250年以上経った現在、人々に大きな影響を与えているということが言える。

 ということで大バッハのことが知りたくなり、音楽の専門家ではない一般の人が気楽に読めるバッハの本を探してみると、これがなかなか良い本が見当たらないのである。音楽学者が書いた本は、2~3ページ読むとたちまち頭が痛くなるし、普通のクラシック音楽ファンには、その高度の音楽理論は難しすぎるケースがほとんどだ。バッハという作曲家はどんな人生を送った人なのであろうか、当時はどんな評価を受けていたのか、バッハは何故偉大な作曲家と言われるのだろうか、などなど素朴な疑問に答えてくれる本はないものか、と探してみると・・・あったのがこの「バッハ―神はわが王なり―」(ポール・デュ=ブーシェ著/高野 優訳/樋口隆一日本語監修/創元社刊<「知の再発見」双書58>)である。どこが取っ付き易いのかというと、カラフルな絵画の豊富さに、まず感心させられる。250年以上も前のドイツでの話なので、我々日本人にとっては、なかなかイメージがが湧かない。この書は、カラフルな絵とその解説文を読むだけでも、当時の音楽状況が目の前に自然に現れてくるようでもある。そして、それらのレイアウトも教科書的でなく親しめる。何か絵本でも読んでいるかのような気分にもさせられる。

 この本の本文の文章自体も、通常の翻訳本以上の高い質が感じられる。つまり、訳者に加え、日本語監修者が、日本語の訳文を、さらに音楽的見地から推敲してあるので、難解な個所はほとんどなく、素人でもすらすらと読み進めることができるのだ。ところで、バッハは、一体どんな人だったかをこの本から探ってみると・・・、意外にも人間味あふれる普通の人だったことが判明する。我々がイメージするバッハ像は、小学校の音楽室に飾られたあの厳格な顔をしたバッハなので、さぞや音楽一筋で謹厳実直を絵で描いたような人生を送ったかと思いきや、どうもそうでもなさそうなのである。例えば、「アルンシュタットにいた頃、バッハは訓練を任されていた合唱隊の質の低さに苛立ち、ファゴットを担当していたガイエルシバッハというラテン語学校の生徒に『おまえのファゴットは年取った山羊のようだ』と言ったことがあった」、その後「バッハが自宅に戻る途中、城を出てマルクト広場にさしかかったところで、6人の生徒たちがいるのを見た。その中の一人ガイエルシバッハが、バッハの後を付けてきて、どうして自分を侮辱したのか、と叫びながらバッハに殴りかかった」、そして「バッハは思わず剣に手を掛けた。ガイエルシバッハはバッハの腕をつかみ、乱闘が始まった」。これは、夏目漱石の「坊ちゃん」そのものではないか。私は、これを読んでバッハが一挙に身近な存在になった。

 この本の巻末に掲載されている「資料編」も、本文に負けないくらいの充実している。それらは①歴史の中のバッハ②バッハ家の系譜③素顔の天才④バッハの手紙⑤演奏することと教えること⑥音楽におけるバイブル⑦宗教作品⑧数の神秘⑨バッハが遺したもの―からなっている。上記の喧嘩のエピソードも③素顔の天才から引用したもの。②バッハ家の系譜では、バッハ家の一人一人の素顔が描かれて誠に興味深い。ところで、この本は、創元社が1990年に創刊した叢書「知の再発見」双書の中の1冊である。「知の再発見」双書は、創元社がフランス・ガリマール社と提携し、フランス・ガリマール社が発刊している「ガリマール発見叢書」をベースとした訳書シリーズである。正確さを期すため、訳者以外に日本人専門家による監修が行われており、さらに図版が多く掲載されているのも特徴。装丁は、戸田ツトム氏と岡孝治氏が担当し、日本の書籍としてレイアウトの斬新さを打ち出すことにも成功している。(蔵 志津久)

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