クラシック音楽 ブックレビュー


2016年4月20日

◇「笑うマエストロ~国立交響楽団の表と裏~」(尾崎晋也著/さくら舎)

笑うマエスト3

書名:笑うマエストロ~国立交響楽団の表と裏~

著者:尾崎晋也

発行:さくら舎

目次:第1章 いきなりマエストロ暮らし
    第2章 マエストロは一人旅
    第3章 マエストロの想い
    第4章 マエストロは休めない
    第5章 マエストロの楽屋裏
    第6章 マエストロの美味美観

 日本のクラシック音楽の演奏家の多くは、若き日に欧米に留学し、ある程度の成功を収めると、直ぐに日本に帰ってきてしまって、その後は、日本で有名演奏家としてその名を馳せる、といったケースが多いように思う。ところが、この書「笑うマエストロ~国立交響楽団の表と裏~」の著者である指揮者の尾崎晋也の場合は、少々事情が異なるようなのである。若き日にヨーロッパに向かうところまでは、一般の日本人演奏家と同じなのであるが、その後がどうも違うのである。尾崎晋也の場合は、成功を収めても、そうは簡単に日本には帰らない。成功を収めれば収めるほど、現地に踏みとどまろうとする。この背景には、卓越した語学力などを備えているといった、いくつかの条件が整っていることもあるだろう。しかし、それらのことを差し引いても、現地に踏みとどまって、日本人として現地で成果を挙げることは、大きな意味を持つのではないか。ヨーロッパの聴衆は、尾崎晋也の指揮ぶりを通して、日本そのものに愛着を感じるであろうし、親近感を持つであろう。

 この書は、そんな尾崎晋也自身が、2003年6月~2014年10月まで、南日本新聞に掲載した連載エッセイ「指揮棒の休憩」を基に単行本化したもの。一言で言えばエッセイ集には違いないのであるが、いわゆる一般のエッセイ集とはひと味もふた味も違った、中身の濃いエッセイ集に仕上がっている。言ってみれば、「我が半生記」とでもいった趣のある内容になっている。尾崎晋也は、ルーマニア国立トゥルグ・ムレシュ交響楽団常任指揮者・芸術監督、それとトランシルバニア室内管弦楽団音楽監督を務めている。ルーマニアと聞くと、バイオリニストのエネスコ、それにピアニストのディヌ・リパッティなどの名を思い出す。しかし、何故、尾崎晋也はルーマニアの地に赴くことになったのであろうか。尾崎は、ルーマニアで開催される国際指揮者コンクールに応募した。そして、忘れかけたころに、ルーマニアから書類審査に合格したので参加してほしい、という電話があったという。当時、尾崎は「ダメだったら観光でもしてくるか」くらいの気持ちで出かけたようだ。結果は3位であったが、第二次予選を終わった時に、既に現地のオーケストラからオファーがあったというから、凄い。

 さて、この「笑うマエストロ~国立交響楽団の表と裏~」には、手兵の「ルーマニア国立トゥルグ・ムレシュ交響楽団」をはじめととするヨーロッパのオーケストラの楽団員たちの日常の機微が描かれており大変興味深い。日本へもしょっちゅう欧米のオーケストラが来て我々聴衆を楽しませてくれるが、舞台裏ではこのようなことが行われているのか、と思うと親近感が増すのである。ベートーヴェンの「運命交響曲」を指揮したときのこと。「『エィ!』と一振り、気合で指揮した。心中に考えをめぐらせる間もなく振り下ろしたのだ。電光石火、ゼウスの怒りのような4つの音が出た。コンサートマスターも上手にリードしてくれた。彼に感謝の意を伝えると、『もう私たちは14年も一緒に舞台を踏んでいますからね』 そうか、技術に信頼関係をプラスするのを忘れていたな」。指揮者とオーケストラの関係は、このように状態になって最高の演奏が出来ることをここで語っている。「また、翌日のランチのとき、若いウェートレスが注文をとる前に言った。『昨晩の指揮はいつもとかなり違っていましたね』『ヘェ わかった?』『だって10歳のときからあなたの指揮を見ていますもの」。この辺は、日本と違い、クラシック音楽が自分達の音楽そのものという感じが滲み出ている。

 この書の特出すべき点の一つは、筆者の尾崎晋也が本音で語ってくれていることだ。「1日オフの日があったので、大好きな歌舞伎を観に行った。・・・この日の演目『恋飛脚大和往来』を見るのは二度目だ。・・・こういう日本の芸術に接するときには、僕らはそれだけで説明もいらぬ文化的背景を持っていると感じる。歌舞伎を観るたび、『こんな感じで西洋の文化芸術がわかったら・・・』と、ついため息が出る」。長年ヨーロッパを本拠を置き、ヨーロッパの聴衆から絶賛を浴びてきた尾崎にして、文化の違いを乗り越えることは、並大抵のことではないことがわかる。いま日本ではグローバル化が叫ばれているが、尾崎はこのことについても、鋭い見方をする。「最近よく国際化、グローバル化というが、何を持って国際化なのか分からないで発言していることは少なくない。英語を話せれば国際人、というキャッチフレーズなどは滑稽に思える。彼らからすると、複数の外国語を話す僕は大変な国際人になっているのだろう。よく『尾崎さんは国際人ですね』といわれるが、『いいえ、薩摩人です』と答えることにしている」。この書は、クラシック音楽がテーマで書かれてはいるが、例え、クラシック音楽には疎くても、それぞれの国の文化のあり方、異民族同士のつきあいのあり方、などなど、人間として持っている根源的なあり方を改めて考えさせてくれる書籍でもある。

 最後に著者の尾崎晋也(1959年生まれ)の経歴を見てみよう。鹿児島県谷山市(現鹿児島市)出身。桐朋学園大学で指揮を小澤征爾、秋山和慶、黒岩英臣、森正に師事。卒業後、ヨーロッパ各地、アメリカで研鑚を積み、アメリカ・ペンシルベニア州で指揮活動を始める。1992年ルーマニアで行われた「ディヌ・ニクレスク国際指揮コンクール」3位入賞。以来、ヨーロッパ、アメリカ、日本の各地で活躍している。1994年より、ルーマニア国立トゥルグ・ムレシュ交響楽団の常任指揮者を務め、1999年からは音楽監督に就任。また同年よりトランシルバニア室内管弦楽団の音楽監督も務める。その活動は評価され、日本の外務省広報ビデオにも出演し、各地の日本大使館で紹介されている。ルーマニア政府からは「文化交流功労賞」、トゥルグ・ムレシュ市からは「名誉市民」の称号が与えられた。2000年より、ルーマニアでの音楽週間の監督を務める。また、2004年5月、スペイン各地で指揮をした。2005年に、これまでの芸術文化に対する功績が認められ、ルーマニアの上級騎士勲爵士(コマンドール)を受ける。2014年日本の外務大臣表彰。指揮活動のほかに東京で、「尾崎晋也プロデュース クラシック&トークLIVE」のコンサートシリーズを開催し、各界の多彩なゲストを交えて、ユニークな音楽会をプロデュースもしている。(蔵 志津久)

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