クラシック ピアニスト


バックナンバー 2010年 11月

2010年11月13日

ディヌ・リパッティ(1917―1950)  出身国:ルーマニア


バッハ:パルティータ第1番
     衆讃前奏曲「来たれ、異教徒の救い主よ」(ブゾーニ編)
     衆讃前奏曲「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(ブゾーニ編)
     教会カンタータ第147番より「主よ、人の望みの喜びよ」(ヘス編)
     シチリアーナ<フルートソナタ第2番より>(ケンプ編)
D.スカルラッティ:ソナタL.23/ソナタL.413“パストラーレ”
モーツアルト:ピアノソナタ第8番

ピアノ:ディヌ・リパッティ

CD:東芝EMI CC33-3520

 ディヌ・リパッティ(1917―1950)は、過去から現在に至るまで比肩するピアニストは一人もいないし、これからも現れないと思うほど、私にとっては特別の存在のピアニストだ。その演奏は、あらゆる人間の雑念から解放され、ただひたすら純粋な音楽の持つ響きに身を委ね、聴くものすべてに、崇高といえるほどの音楽の高みに導いてくれる。しかし、そのピアノの響きは決して冷たくはなく、何か人懐っこい、温かみに包まれてるいるので、何回聴いても飽きることはなく、聴くたびにピアノ演奏とは何かを教えてくれる。そんなディヌ・リパッティが残したピアノ録音の中でも、リパッティらしさが存分に発揮されている演奏を1枚のCDにぎゅっと収めたのが、今回の“J.Sバッハ/スカルラッティ&モーツアルト”と銘打たれたものだ。言わばリパッティの録音の中の最高の贈り物といった趣がする。バッハのパルティータ第1番の出だしからして、他のどんなピアニストの追随を許さない。背筋がぴーっと張ったような適度の緊張感を背景に、中庸をえたテンポのピアノ演奏が鍵盤から泉のようにごく自然に溢れ出す。

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2010年11月13日

サンソン・フランソワ(1924年―1970年)  出身国:フランス


フランソワ・イン・ジャパン(ショパン:ポロネーズ/シューマン:子供の情景他)

ピアノ:サンソン・フランソワ

CD:東芝EMI(ミュージカル ノート)23MN 1007

 このCDはサンソン・フランソワ(1924年―1970年)が日本に来たとき(1967年)に東芝EMIのスタジオで録音された貴重なものである。ここでのフランソワの演奏は、何かいつものフランソワとは違い、とても上機嫌というか、明るい雰囲気に包まれたものとなっている。私はフランソワの生の演奏を1回聴いたことがある。上野の文化会館で行われたが、その入り口に「演奏者の都合により曲目が変更されています」と大きく書かれていたのを思い出す。フランソアなら十分にありえる話だ。フランソワの一般の録音は、音がぼんやりしている。これはフランソワの要求なのかどうなのかは分からないが、残念ながらそうである。これに対して、この日本での録音だけは鮮明なピアノタッチまで録音され、ピアノの弦がしなうところまで聴きとれ、フランソワファンにとっては忘れられない大切な1枚である。今はもうあの“フランソワ節”を生で聴けないと思うと、サンソン・フランソワのファンの一人としては悲しい気分になる。

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2010年11月13日

グレン・グールド( 1932年― 1982年)  出身国:カナダ


ブラームス:4つのバラード 作品10/2つのラプソディ 作品79/間奏曲集

ピアノ:グレン・グールド

CD:ソニーレコード SRCR 2072

 グレン・グールドはよくクラシック音楽界の異端児といわれる。晩年にはコンサートを行わず、レコード録音のみを行ったという。人とのかかわりを絶ったところで音づくりを行う。これは彼が求めていたものの最後に行き着いた終着点であったのであろう。録音された曲目も通常の選曲とは少々異なることが多い。そんな前提で今回のCDを聴いてみると、びっくり仰天をする。何とも人懐っこい雰囲気をかもし出しており、温かみさえ覚える。そこには異端児のグレン・グールドではなく、常識人のグレン・グールドが居るのである。このCDに収められたブラームスのピアノ曲は通好みで、ポピュラーな曲ではない。それにもかかわらず、グレン・グールドが弾くと何か前に聴いた事のある懐かしい曲に聴こえ、思わず聞き惚れてしまう。グレン・グールドは決して異端児なんかではない、スケールの大きいピアニスト、これが私の結論だ。

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2010年11月13日

ギーゼキング(1895―1956年)  出身国:ドイツ


バッハ:パルティータ全曲

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

CD:独グラモフォン POCG 98412

 ギーゼキング(1895―1956年)は私にとって、かけがえのないピアニストであり神様のような存在だ。ギーゼキング以降、ギーゼキングを超えるピアニストはいまだ出ていないと私は固く信じている。何故かというと、弾き出す音そのものが一音一音宝石のように輝いているいるうえに、形づくられる音楽がけっしてぶれない。それでいて形式に押し込められることなく、音楽が泉のごとく湧き出してくる感覚がなんとも素晴らしい。ピアノをドラマチックに弾きこなす名ピアニストは多い。しかし、ギーゼキングのようにぶれずに(新即物主義)、それでいてその曲の本質を引き出せるピアニストは稀だ。このCDはギーゼキングが54歳のときに録音された放送テープによる貴重なものである。

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