2011年2月19日
モーツアルト:交響曲第40番
チャイコフスキー:弦楽のためのセレナード
指揮:岩城宏之
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢
CD:ビクター音楽産業 PRCD-5041
岩城のこのCDのチャイコフスキーは、チャイコフスキーの泥臭さは拭い去って、芯となる音楽だけをぶつけてくる。チャイコフスキーてこんなセンスのいい音楽だったんだと納得させられる。これは岩城がチャイコフスキーを追い求めた得た回答であったのではなかろうか。ここでも、わが国クラシック音楽の到達した一つの頂点が聳え立っているのが見える。岩城宏之マエストロの生の演奏がもう聴けないと思うと残念でならない。
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2011年2月19日
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
指揮:小澤征爾
管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
独唱:マリタ・ネイピアー(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ヘルゲ・ブリリオート(テノール)
カール・リッダーブッシュ(バス)
合唱:アンブロジアン・シンガーズ(合唱指揮:ジョン・マッカーシー)
CD:PHILIPS 420 296‐2
今聴いてみて、若き日の小澤の音楽的レベルの高さには敬服させられる。これまでの「第九」の録音のどれにも似ておらず、小澤がベートーヴェンの楽譜を読んだそのままを音に再現している。決してオーケストラを力で引っ張り上げることはせず、共に共感しあいながら音つくりをしていることが聴き取れる。このため、全体が豊かな音で溢れかえっている感じを強く受ける。私は、こんなに”音楽的”な「第九」は今まで聴いたことがない。
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2011年2月19日
チャイコフスキー:交響曲第6番“悲愴”
指揮:ジャン・マルティノン
管弦楽:ウイーンフィルハーモニー管弦楽団
CD:キングレコード K30Y 1515
このCDは名盤として名高く、“悲愴”の録音では必ずといっていいほど引き合いに出される。何が名盤かといって泥臭さがまったくない蒸留水みたいな“悲愴”となっているからである。普通チャイコフスキーの演奏はロシア音楽独特の癖というか泥臭さが付きまとい、逆にこれを強調することがチャイコフスキーを上手く演奏するコツみたいになっている。この逆を行ったのがジャン・マルティノンである。洗練されたチャイコフスキーがウィーンフィルの美しい音で演奏されることによって、ロシアを意識しないで堪能できる。つまり蒸留水みたいな演奏なのだが、ただ無色透明というわけでなく、鮮やかの色彩を持った蒸留水とでも言ったらよいのであろうか。なかなかこれだけのことをできる指揮者はいない。
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2011年2月19日
ボロディン:交響曲第2番
モーツアルト:交響曲第33番
演奏:カルロス・クライバー
管弦楽:シュツッツガルト放送管弦楽団/ウイーン交響楽団
CD:伊MEMORIES HR 4410
カルロス・クライバーの指揮は流れるように曲を組み立てて行くと同時に、その流れを何層かに積み上げていくという構成をとる。この結果これまでにない指揮ぶりとなり、これが魅力となっていた。特にボロディンの交響曲第2番はカルロス・クライバーの持つ特質が曲とぴたりと合い、かつてない名演となった(2曲ともライブ録音版)。
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2011年2月19日
チャイコフスキー:交響曲第6番“悲愴”
演奏:マリス・ヤンソンス指揮 オスロフィルハーモニー管弦楽団
CD:英CHANDOS RECORD
マリス・ヤンソンスは数々の録音を残しているし、日本でも演奏を行っているので親近感がわく。この“悲愴”も名録音の一つに挙げられる。ヤンソンスの指揮は躍動感溢れる指揮ぶりに加え、一方では叙情みにも優れた味わいを持っており、どことなく、フェレンツ・フリッチャイの指揮に似ている。聴いていて新鮮な味わいがするし、何よりもリズム感に富んでいる。オスロフィルもヤンソンスの指揮ぶりにぴったりの味わいを醸しだしている。十分に軽快なテンポを明快に弾きこむ一方で、幻想的な表現は他のオーケストラにはない独特なものだ。やはり北欧のオーケストラということが実感できる。
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2011年2月19日
メシアン/アイブス/ブリテン/バーバー
指揮:レオポルド・ストコフスキー
CD:米ミュージック&アーツ CD-787
ストコフスキーはかつて一世を風靡した人気のある名指揮者であった。ストコフスキーが指揮をすると何かが違う。では、何が違う?と質問されても困ってしまう。それでも何か答えなければいけないというなら「ポピュラー音楽みたいな指揮をするクラシック音楽の指揮者」とでもいおうか。聴いていて分かりやすいし、音楽が親しみやすくなる。そういう想いでストコフスキーのバーバーの弦楽のためのアダージョを聴くと、新鮮な演奏に聴こえてくる。
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2011年2月19日
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
指揮:ピエール・モントゥー
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ
CD:ユニバーサルミュージック(DECCA) UCCD‐5132
ベートーヴェンの「英雄交響曲」の第1楽章の響きからして、ドイツ系指揮者とは全く違う。力強さはあるが、同時に明るく爽快な響きが辺りを覆う。古い絵画を修復してみたら、我々が日頃見慣れたものとは違う絵が現れた、とでも表現したらいいのであろうか。第1楽章のスケールの大きさは、他に比較するものがないと言ってもても言い過ぎでないだろう。シューベルトの「未完成交響楽」の指揮ぶりは、ベートーヴェンの「英雄交響曲」ほど意外性は少ないが、それでもオーケストラの持てる能力を自然に発揮させ、その上で曲づくりをするというモントゥーの真価は発揮されている。
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2011年2月19日
ブラームス:交響曲第1番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番
指揮:フェリックス・ワインガルトナー
管弦楽:旧ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(ブラームス)
パリ音楽院管弦楽団(ベートーヴェン)
ピアノ:マルグリット・ロン
CD:KOCHインターナショナル 3-7128-2 H1
ワインガルトナーの指揮は、一切の曖昧な表現を避け、曲の本質にぐいぐい突き進む。ただ、凡庸な指揮者と一回りも二回りも違うのは、作曲者であるブラームスへの共感が、恐ろしいほど強固なことだ。特に、この録音の第1楽章と第4楽章の2つの楽章に、このことが如実に現れている。この2つの楽章だけとれば、あらゆるブラームス:交響曲第1番の録音の中でもトップクラスに入るのは間違いがない。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番のワインガルトナーの伴奏は、ブラームスの時と同じく実に雄大で、迫力のある指揮ぶりには頭が下がる。
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2010年12月31日
ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番
指揮:レナード・バーンスタイン
管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック
CD:GLAND SLAM RECORDS GS‐2054
1959年8月、ニューヨーク・フィルはヨーロッパ・ツアーを行ったが、この途中でモスクワでコンサートを行った時のことだ。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルがショスタコービッチの交響曲第5番を演奏し、聴衆から絶賛されたが、その中に作曲者のショスタコーヴィッチがおり、その演奏を激賞したのだ。要するにこのコンビの演奏が、作曲者自からお墨付きを与えられたのである。このことは米国でも大きく報じられ、帰国するないなや同じコンビで録音されたのが今回のCDなのである。そのためかスタジオ録音にもかかわらず、何かライブ録音の雰囲気を漂わせている。このCDの解説書で玉木正之氏は「私は、少々大人の落ち着きを感じさせる東京文化会館での来日公演ライブよりも、この旧盤の演奏のほうが、ずっとずっと好きだし、ずっとずっと名演だと確信している」と書いている。
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2010年12月31日
ベートーベン:交響曲第5番“運命”/シューベルト:交響曲第8番“未完成”他
フリッツ・ライナー指揮/シカゴ交響楽団
CD:RCA RCD1-5403
フリッツ・ライナーとシカゴ交響楽団のこの“運命”と“未完成”のCDは、その完成度の高さで他の追随を許さない。何しろ指揮者とオーケストラの信頼関係がCDを通してひしひしと伝わってくるのだ。オーケストラのメンバーはマエストロに全幅の信頼を置いて演奏していることが手に取るように分かる。また、ライナーの指揮ぶりもオーケストラの力量を存分に引き出すことに全力を挙げているかのようで、決して、強引な指揮ぶりは見せない。“運命”では中庸なテンポで奇をてらったりはしないのだが、実に生き生きと描ききる。一方“未完成”では新鮮な地下水が静かに沸いてくるような、すがすがしさを醸し出している。
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