クラシック音楽 ブックレビュー


バックナンバー 2017年1月16日

2017年1月16日

◇「ブルックナー」(根岸一美著/音楽の友社)


ブルックナー

書名:ブルックナー

著者:根岸一美

発行:音楽の友社(作曲家◎人と作品シリーズ)

目次 : 【生涯篇】

        聖フローリアン教師時代まで(1824―1855)
        リンツ時代(1856―1868)
        ウィーンで(1868―1884)
        絶頂期(1884―1891)
        晩年(1891―1896)

     【作品篇】

        エクアーレ ハ短調~交響曲第9番 ニ短調 終楽章

     【資料篇】

        人名索引
        曲名索引
        ブルックナー年譜
        ジャンル別作品一覧
        主要参考文献

 アントン・ブルックナー(1824年―1896年)という名前を聴くと、反射的に9つの交響曲それにミサ曲などの宗教音楽の大家ということを思い浮かべる。そういう意味では、著名な作曲家の一人ではあるが、この書籍「ブルックナー」(根岸一美著、音楽之友社刊)を読むまで私は、何となく「ブルックナーは偉大な作曲家ではあるが、孤高の人で、名誉欲や金銭欲とは無縁な純粋無垢な性格であり、生前はその実力が評価されずに世を去ってしまった」といったイメージを抱いていたのである。ところがこの書を読んでみると、このようなイメージとは程遠く、実は、生前から評価は圧倒的に高く、当時の人気作曲家の一人であったようだ。もっとも正当な評価を受けるまでには、相当な時間と努力が必要とされたのではあるが・・・。それに、名誉欲も相当なもので、教授職を得るまでの本人の周囲への働きかけは、凄まじいものがあったことが描かれている。当然、その裏には金銭的な保障というものがあったはずであり、金銭欲も人並みにあったということが証明される。それに加え、孤高の人というイメージとは程遠く、肉親からの援助や周囲との交流も活発に行われていたこともこの書から読み取れる。だからと言って、これらの真実はブルックナーの作品を少しも傷つけるものではなく、逆に、普通の生活を送った人が、よくあれほどまで崇高な作品を書き上げたことにこそ感心してしまう。

 この書の一つの読みどころは、当時の著名な音楽評論家のエドアルト・ハンスリック(1825年―1904年)とブルックナーの対立についてである。簡単に言うと、ことあるごとにハンスリックは、ブルックナーの新作にケチを付け、ブルックナーの評価を下げるような文書を発表し続けたことが、この書からよく読み取れる。この背景には、有名なブラームス派対ワーグナー派の対立という、今考えれば実にバカバカしい騒動の渦中だったのである。ブラームスの古典的な作品づくりに対し、ワーグナーの作品は、無調の領域にも足を踏み入れるなど、当時としては革新過ぎるほどの作品が話題となっていた。ハンスリックは、ブラームス派の旗手として、ワーグナー派と見られる作曲家をけちょんけちょんにけなしまくったのである。例えば、当時ワーグナー派と目されるリストのピアノ協奏曲第1番を聴いたハンスリックは、トライアングルが活躍する場面ををとらえて「トライアングル協奏曲」と言い放ったのであった。ハンスリックは、ワーグナー派の作曲家の一人であるブルックナーの作品が発表される度に評価できないという内容の評論記事を書いた。こんなこともあり、当初はブルックナーの作品は人々から評価を得られないでいた。ところが、この書には、ブラームスがブルックナーの作品を聴きに度々コンサート会場に姿を現したことを明らかにする。つまり、ブラームス自身は、ブルックナーを正当に評価していたのだ。これを見ると、ブラームス派対ワーグナー派の対立などは、音楽史上あまり意味がないことが明らかだ。

 ブルックナーというと必ず付きまとうのは、改訂版の存在である。この書には事細かく改訂版の出自の由来が記載されている。まあ、どんな作曲家も改訂版はつくるが、ブルックナーの場合は、改訂版だらけと言ってもいいほどの“改訂版魔”に染まってしまっているかのようだ。改訂版の始まりについてこの書では次のように記載されている。「こうしてウィーン・フィルにようやくうけいれられた交響曲第2番は、翌1876年2月20日、第3回楽友協会演奏会において新たな演奏の機会を得た。指揮はこのときもブルックナーが務めたが、演奏に先立って、ブルックナーは、ヘルベックの説得を受け入れ、いくつかの削除を伴う改訂をおこなった。それはあくまでも聴衆にうけいれやすくするための提案であったのだが、このことは彼の作曲活動を特徴づける『改訂』の不気味な端緒ともなった」。筆者の根岸一美氏も“不気味な端緒”と書かざるを得ないほどである。ブルックナーの交響曲は、当初、ウィーン・フィルによって「演奏不可能」と烙印を押されるされるなど、高い演奏技巧を要するものであったので、ブルックナー自身も自作の見直しは止む追えないことと考えていたのであろう。それに加え、ブルックナーの交響曲は演奏時間が長い。となると聴衆を引きとめるための最善の策を講ぜざるを得なかったということでもあろう。現在でもブルックナーの交響曲の演奏については、何版を採用しているということが一つの話題となるほどである。

 この書は、ブルックナーの生涯を綴った 【生涯篇】だけで164ページを要しているが、このほかに【作品篇】として64ページ、さらに 【資料篇】 (人名索引/曲名索引/ブルックナー年譜/ジャンル別作品一覧/主要参考文献)として25ページが付けられている。このため、交響曲の何番を直ぐに知りたいと思うときには、【作品篇】のその曲が記載されている項目だけを拾い読みするだけでその曲の概要を把握できるように配慮されている。例えば、「交響曲第9番」の項目を見ると「ポーランドのクラクフに所在が確認された第1楽章のスケッチに『1887年8月12日』という日付が記されており、ブルックナーは交響曲第8番の初稿を完成した2日後に第9番の仕事にとりかかったようである。しかし、・・・」といったようにその曲がつくられた背景から、各楽章ごとに分け内容の分析が記載されている。これは、ブルックナーのコンサートへ出かける前や自宅でCDやFM放送を聴く前に読んでおけば、聴いた後の感激も一層深まることに違いない。また、【資料篇】 は、詳細を極めており、ブルックナー研究書としての価値を高めている。要するに、ブルックナーのことを知りたいと思うときには、この書一冊があれば、まずはその全てが把握できるような配慮がされている意味でも貴重な書籍である。
(蔵 志津久)

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