2010年11月12日
書名:バイオリニストに花束を
著者:鶴我裕子
発行:中央公論新社
目次:演奏家見ならい記
(もぐりで聴いたカラヤンのとてつもない「何か」 ほか)
N響という“カイシャ”
(花粉アラモード ほか)
外国ツアー・アラモード
(もはや「異国」ではないヨーロッパ ほか)
オーケストラのゲストたち
(チョン・キョンファとヒラリー・ハーン ほか)
定年までのカウントダウン
(「めしばん」は原点 ほか)
この本はNHK交響楽団(この本では「N狂」または「わが社」の“愛称”でたびたび登場)の第一ヴァイオリニストとして活躍してきた鶴我裕子さんが、これまで書き連ねてきたエッセイを1冊の単行本にまとめ新たに発刊したものだ。236ページにわたり、鶴我さんの生い立ちから、愛し続けた「N狂」を“定年退職”するまでの歴史が書きとめられている。読む前はエッセイ集ということで気軽に読み始めたのであるが、読み終わった後は、何かずしっとした重みを感じた。これはきっと会社を定年退職した人にしか分らない人生の重みなのだろう。
と書くと何か難しい本のように思うかもしれないが、「演奏家見ならい記」「N響という“カイシャ”」「外国ツアー・アラモード」「オーケストラのゲストたち」「定年までのカウントダウン」の各中見出しごとにまとめられたエッセイの数々は、抱腹絶倒の分を含めて、どのエッセイも鶴我さんの鋭くも優しい目線が行き届き、思わずニヤリとしてしまうのだ。
例えば「オーケストラのゲストたち」編では、世界一流の演奏家でも鶴我さんの筆にかかればケチョンケチョンだ。「チョン・キョンファは、激変した。良いほうに。同じ人かと目を疑うほどだ」と軽くジャブを飛ばす。ということはその前は・・・これは読んでのお楽しみ。女性が女性を見る目は恐ろしいのだ。鶴我さんは男に対しても鋭い。「若きクレーメルが、初めてN響に来た時を思い出す。何とも言えない容貌だった。チャイコフスキーの協奏曲を弾き始めると、下あごをカパッとあけて、いっそう変な顔になった」のだそうだ。最後は「楽団員はしびれていた」と評価を下すが、クレーメルとしては東洋の島国まで来て、自分がそんな風に見られていたなんてゆめゆめ感じていなかっただろうに。なんだか可哀そう。
この本は、普通の人では知りえないオーケストラの楽屋裏も垣間見せてくれる。「知られざる難行?コンマスの左隣り?」では、「アシスタント・コンサートマスター」の“地獄”の存在が紹介されている。コンサートマスターは誰でも知っているが、このコンマスを影で支えているのがアシスタント・コンサートマスターなのである。何故地獄の存在なのかは本書を読んでいただきたいが、要するに偉いコンサートマスターにいかに合わせて、オケ全体を引っ張っていかなくてはならないかという中間管理職の存在そのものが地獄なのだ。普通の会社に例えるなら、指揮者が社長とすると、専務がコンサートマスター、そしてこのワンマン専務に仕える部長か課長がアシスタント・コンサートマスターなのであろう。しかも、この地獄の役割は日本のオケ独特のものというから、ますます“N狂”が日本の“会社”そのものに見えてくる。
本書は、一般のリスナーがクラシック音楽を聴くときに大いに参考になるはずだが、私は、将来オーケストラに“入社”して“社員”になりたいと考えている若い人たちに読んでもらいたいものだ思う。この本の行間からは、演奏家としてオケのメンバーとして一緒にやっていく厳しさと同時に、楽しさも伝わってくる。最後に鶴我さんが“会社”を“定年退職”する時の話などは、思わずホロリとさせられた。(蔵 志津久)(10/7/12)