クラシック音楽 ブックレビュー


2011年6月15日

◇伊東乾著「指揮者の仕事術」(光文社新書)

 

書名:指揮者の仕事術

著者:伊東 乾

発行:光文社(光文社新書)

目次:イントロダクション なぜ音を出さない音楽家が生まれたのか?
    第1章 「攻撃と守備」から考える(危機管理という仕事)
    第2章 聴こえない音を振る(音を出さない演奏家)
    第3章 リハーサルこそ真骨頂(プロを納得させるプロ)
    第4章 「正しく直す」って何だろう?(魅惑の「ズラシのテクニック」)
    第5章 言葉に命を吹き込む仕事(「第九交響曲」の魂を訪ねて)
    第6章 片耳だけで聴く音楽?(野生の両耳/知性の利き耳)
    第7章 「総合力」のリーダーシップ(指揮者ヴァーグナーから学ぶこと)
    終章 夢を見る権利

 
 オーケストラの演奏会では、その中央に必ず指揮者がいる。室内合奏団の場合には、指揮者がいなくても演奏する場合があるが、ほとんどの場合指揮者がいる。その指揮者もフルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなどの巨匠ともなれば、マエストロと呼ばれ、楽団員はいうに及ばず、一般の聴衆からも尊敬を一身に受けるのである。こんな当たり前の話も、一歩引いて考えればどうも不可思議なことに気が付く。音を出しているのはオーケストラの団員達であり、指揮者ではない。それに、演奏中に指揮者の方を見ている楽団員なんてほんの僅かで、ほとんどの楽団員は楽譜とにらめっこばかりをしていて、指揮者なんて無視している。それに、指揮者の動作は、音が鳴っているからまともに見えるが、もし音を消して見るとするならば、到底、正気の沙汰とは思えない(失礼)ほどなのである。このことは指揮者を正面から見ることが出来る席(例えばでサントリーホールの舞台後ろの聴衆席)で聴くと(見ると)、そう見当外れでないことを理解してもらえると思う。

 しからば、指揮者の仕事とはなんなのか?そんな素朴な質問に懇切丁寧に回答してくれるのが伊東乾著「指揮者の仕事術」(光文社新書)なのである。著者の伊東乾氏は、作曲家兼指揮者でベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学理学部物理学科を卒業し、第1回出光音楽賞を受賞した経歴があり、著作も多数に上るというわが国クラシック音楽界の重鎮の一人であり、私などは近くにも寄れない存在である。普通、そんな方が本を書くと、やたら難しくて理解不能な内容になりがちなのであるが、この「指揮者の仕事術」は、初心者が読んでも指揮者とはどんな仕事をしているのかが理解することができる内容となっている。イントロダクションからして「なぜ音を出さない音楽家が生まれたのか?―優れた監督が選手の力を千倍にも生かす―」という題が付けられており、ずばり、素人が考える素朴な疑問に答えようとする姿勢がありありと見え、この本なら指揮棒一本で尊敬を一身に集める指揮者という職業の謎を解いてくれそうだ、という期待感を十分に持たせてくれる。

 その期待通り、誰もが知っているベートーヴェンの「運命」を例に挙げて指揮者の仕事を解説している。「この作品を演奏する時は、『ジャジャジャジャーン』では表現できない休符が大変重要になります。ベートーヴェンが記した楽譜に忠実に表現するなら、『ジャジャジャジャーン』という音の直前に、『ん』という休符のリズムを補ってやる必要があるのです。これをカタカナで書くと、『んジャジャジャジャーン んジャジャジャジャ―ン』となります。・・・そして指揮者は、この「ん」つまり休符を演奏する唯一のプレーヤーとして、オーケストラのど真ん中に立っているのです。」なるほどなるほど、これでようやく指揮者の仕事の一端が見えて来たぞ、と実感することができるのだ。この辺の様子をインターネットの動画を通して見ることができるのも、この本の特徴の一つである。そして、読者は指揮者の仕事に知らず知らずのうちに引きずり込まれてしまう。それは「西洋音楽には『テンポ』と『リズム』があります。この違いをご存知ですか?」と著者は読者に問いかけてくる。そう改まって訊かれても返答に窮する読者もいるはずだ。そうだ、テンポとリズムは指揮者の大事な仕事の一つであることを、読者は無意識のうちに知らされる。そしてそれは、ピエール・ブーレーズの指揮テクニックの写真解説の話へと繋がっていく。

 著者の伊東乾は、音楽を極めるには物理学の知識が必要だということで、東大で物理学を勉強したというから単なる音楽家とは一味違う。指揮をする際の腕や手の「ねじり」や「ひねり」を画像解析技術により解析し、その成果は、ピエール・ブーレーズなどから高く評価されているという。つまり、筆者は、指揮者の仕事を物理学の観点からも解き明かそうとしたわけであり、この経緯についても触れている。この本は全部で7章から構成されているが、特に圧巻なのは第5章言葉に命を吹き込む仕事―「第九交響曲」の魂を訪ねて、と第7章「総合力」のリーダーシップ―指揮者ヴァーグナーから学ぶこと、である。日本人の誰でもが知っているベートーヴェンの第九交響曲。誰でも知っているので、ことさら問題にしようとしない。しかし、「歓喜の歌」が、ベートーヴェンの“苦悩を克服して歓喜に至る”という思想を音楽にした曲と単純に思って疑わない、そのこと自体が危ういのだと筆者は指摘する。「実は、ここに、『第九』が本家本元のヨーロッパで難解とされ、そうひんぱんに演奏されない大きな理由があります。ドイツ語を普通に理解する人々にとって、『第九』は現在でも、矛盾に満ちた不可解な作品、創造的な問いを発し続ける問題作であり続けているのです。」詳しくは本書を読んでもらうしかないが、「歓喜の歌」を文字通り単なる歓喜の歌と捕らえるのは皮相であり、シラーの元の詩とベートーヴェンの作詞部分を正しく理解することこそ指揮者の仕事である、と筆者は言いたいのだ。

 第7章「総合力」のリーダーシップ―指揮者ヴァーグナーから学ぶことは、ワーグナーが、ベートーヴェンの「第九」を再評価し、その指揮をした経緯やワーグナーの楽劇とバイロイト祝祭劇場の成り立ちが詳しく紹介されている。特に、舞台裏か見た演奏の方法は、我々が知らない世界だ。オーケストラ・ピットに目隠しが付けられているが、その中でどのようにして指揮者とオーケストラが演奏しているのか、バイロイト祝祭劇場の音響が何故すぐれているかなど、事細かに解説している。俗説ではワーグナーは誇大妄想家とされているが、筆者は、それは間違いだと指摘する。優れた指揮者でもあったワーグナーは、緻密な計算の基に楽劇を作曲し、それらの作品を最上の状態で演奏することができる場として、バイロイト祝祭劇場をつくったのだという。ワーグナーが優れた指揮者であったことが文献に残されている。

 この本のあとがきで筆者は「音を出さない音楽家である指揮者の究極の仕事術は、音楽を通じて生きる夢や希望を、みんなと分かちあうことです」としている。(蔵 志津久)

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