2010年11月23日
書名:ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール~市民が育む芸術イヴェント~
著者:吉原真里
発行:アルテスパブリッシング
目次: 序章 ドラマの幕は開く
第1章 第13回クライバーン・コンクールの幕開け
第2章 クライバーン・コンクールとは
第3章 予選
第4章 クライバーン・コンクールを支えるコミュニティと人びと
第5章 準本選
第6章 クライバーン・コンクールの舞台裏
第7章 本選
終わりに クライバーン・コンクールのもつ意味
「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」の名は、クラシック音楽ファンには馴染み深いコンクールではあっても、多くの日本人にとっては、「それって何?」ということになろう。少なくとも、2009年の第13回目の「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」が行われて、ここで辻井伸行が優勝するまでは・・・。
辻井の優勝がテレビを通じて報道されるや否や、もうずっと前からこのコンクールを多くの日本人が知ってたかのように国民的話題を集め、辻井は一躍国民的スターの座に付いたのだ。普通なら、熱しやすく冷めやすい国民性が身上の日本人なら、ここで終わりのはずであるのだが、辻井の場合はどうも少々違う。何の衒いもない辻井の人柄なのか、未だに多くの日本人が辻井の存在が気になってしょうがないようなのだ。そして、多分プロの音楽家が聴いても辻井の演奏は十分満足できる内容を備えているといっても間違いなかろう。スター性と実力を兼ね備えた辻井のような存在は、例外的存在なのだ。
ところで私自身「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」が、冷戦当時、チャイコフスキー国際コンクールで、米国人のヴァン・クライバーンが優勝し、国民的英雄となり、それを記念して始められたピアノコンクールということぐらいしか知らないことに、今頃になって気が付いた。当時「レコード芸術」誌にヴァン・クライバーンのレコードの広告が大きく載り、若々しいクライバーンの姿が目に浮かぶ。その後、クライバーンは精神障害から人とは会わない生活をおくっているようだ、といった報道があり、クライバーンも過去の人かと思っていたら、今回、歳はとったが元気そうな姿を見て、懐かしい気分にさせられた。そんな「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」を詳細に紹介したのが吉原真理著「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール~市民が育む芸術イヴェント~」(アルテスパブリッシング刊)なのである。
この本の優れたところは、クラシック音楽そのものを紹介するというよりは、コンクールを通じて垣間見えるアメリカという国の国民性を詳細にレポートしていることであろう。ピアニストは単にアメリカに来て、コンクールで演奏して帰る、なんてほんの表面的なことであり、実はその裏には、街を挙げての歓迎準備、特にホームステイ先の家庭の気配りには敬服してしまう。「アメリカの金持ちだからできる芸当さ」と言ってしまえばそれまでだが、逆に金持ちならできるのかと問われれば、ノーであろう。やはり、音楽への愛情、それに海外から来るピアニストへのおもてなしの精神、いずれもこの本にその辺のことがこと細かく紹介され、コンサートの舞台裏は大変なもんだ、と感心させられる。
逆に、これらの精神は、昔の日本人が大切にしてきたことであることに気付かされる。今の日本人は、あたかもどこそこのコンクールで何位に入賞したかにしか関心がないようだ。これでは、受け入れる側からすれば、「日本人はどたどたと集団でコンクールに来て、結果ばかり気にして帰ってしまう、なんて不思議な国民」と考えるかもしれない。欧米人にとって音楽コンクールとは、人と人の繋がりの場であることをこの本は示している。日本人といおうか、東洋人はもっとその辺を考えないと、将来双方のズレが生じかねないかもしれないことを、この本は暗に示しているように、私には思えてならない。
この本の特徴の一つは、コンサートの表面的な運営法をだけ追うのでなく、コンサートのコンセプトが如何に大切かを教えてくれることである。「1987年の第8回コンクールから20年にわたって、ロジンシキーは、コンクールの運営委員長そしてコンクールの母体組織であるクライバーン財団の会長として、見事なリーダーシップを発揮し、クライバーン・コンクールを、ショパン・コンクールやリーズ・コンクールなどど並んで、世界でもっとも権威あるピアノ・コンクールへと発展させた」とある。このロジンスキーにハワイ在住の著者・吉原が直接インタビューしている(なお、ロジンスキーが2011年のチャイコフスキー・コンクールの組織委員会最高顧問兼運営委員会委員長に就任することをこの本の最後で吉原は紹介している)。
同コンクールにアマチュア・コンクールがあることをこの本で私は初めて知った。また、今回辻井と優勝を分け合った中国のハオチェン・チャンなど、出場者への直接インタビュー記事も貴重なものだ。最後に、同コンクールに関わっている指揮者のコンロンのスピーチに私は強く惹かれた。「芸術において、一番などというものはない。仲間と競争をしようなどと思うものは、才能のとんでもない浪費である。本当の競争は、自分の持っている精神的、知的、情感的な要素を引き出すための、自分自身との闘いであるべきだ。真の競争はひとつしかない。それは、自分の持っている可能性を、生きているうちに存分に引き出すための、時間との競争なのだ」。この言葉の中にクライバーン・コンクールの魂を見る思いがした。(蔵 志津久)