クラシック音楽 ブックレビュー


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2010年11月12日

◇古山和男著「秘密諜報員ベートーヴェン」(新潮新書)


書名:秘密諜報員ベートーヴェン

著者:古山和男

発行:新潮社(新潮新書)

目次:第1章 〈不滅の恋人〉への手紙とは
    第2章 ナポレオンの大陸制度
    第3章 ベートーヴェンとブレンターノ家の人々
    第4章 1812年7月、テプリッツ
    第5章 「手紙」の再検証
    第6章 大崩壊
    第7章 〈不滅の恋人〉の去ったヨーロッパ
    第8章 結論
 
 ベートーヴェンの名を聞けば、謹厳実直に音楽一筋の芸術家で、それ以外の世事には疎かったといのが、我々の大体の共通認識ではなかろうか。以前読んだ本には、ベートーヴェンは数字に弱く、コーヒー豆を使って足し算とか、引き算を行っていたなどと書かれていた。要するにベートーヴェンから音楽をとったら何も残らない、といった極端な見方が圧倒的に多かったわけである。

 ただ一つだけ、ナポレオンが独裁者になったときに「ナポレオンも俗物だ」と言い、交響曲第3番「英雄」の表紙を破り捨て、楽譜を床に叩きつけたという逸話が残っており、現在まで実際にあった話として信じられている。つまり、ベートーヴェンも政治に影響を受けて作曲活動を続けていたことをうかがわせる。ただ、この話も特別ベートーヴェンが実際の政治に関心が強かったということでなく、戦争より平和を願う作曲家であった、ということを裏付ける程度の軽い話としか捉えられてはいない。

 ところが、古山和男著「秘密諜報員ベートーヴェン」(新潮新書)によると、これらのこと全てが、全くのつくり話であるというのである。ベートーヴェンは、当時のウィーンを中心に、積極的に政治活動に身に委ね、秘密諜報員(つまりスパイ)として大活躍していたというのだ。誠にもって大胆不敵な推理であり、これまでの音楽以外の世事に疎いというベートーヴェンのイメージが、根底から音を立てて崩れ去ってしまう。

 それでは古山氏は、何を根拠にこんな大胆不敵な推理をするのか。その答えは、べートーヴェン自ら書いた3通の有名な「不滅の恋人への手紙」の内容にあるという。現在に至るまでこれらの手紙は「恋文」として知られ、相手は誰なのかが謎になっている。古山氏によると「この『手紙』が、恋文を装った『密書』、思想的で政治的なメッセージを含む、一種の『暗号通信文』」だというのだ。詳しくは本書を読んでもらう他ないが、古山氏は、ナポレオンの大陸封鎖政策とロシア遠征との関わりで、ベートーヴェンが書いた「不滅の恋人への手紙」を解釈すべきだと主張する。

 では、直接ベートーヴェンが諜報活動した証拠はあるのか。実はあるのである。例えば「1809年、オーストリア軍が降伏したウィーンの町を、楽譜やメモ帳を持って歩いていたベートーヴェンが、スパイ容疑で尋問されたとい話が残っている」のだそうだ。また、諜報活動を行うのに欠かせない資金であるが、「ベートーヴェンはプラハで得た金60ドゥカーテンを持っていた。秘密諜報員として行動するのにこれ以上有利な条件を備えたものはいなかった」と見る。では何故、為替や小切手でなく金なのかというと「諜報活動を成功させるには、どこでも通用する現金を潤沢に用意するのが鉄則」だと古山氏は主張する。

 そして、ベートーヴェン自身が英雄交響曲の楽譜の表紙を破り捨てて(あるいはペンで消して)、楽譜を床に叩きつけたという説に対し、古山氏は「表紙を『破ってもいない』し、(ナポレオンへの)献呈辞を『ペンで消してもいない』はずだ」と俗説を一蹴する。つまり、これまで信じられてきた逸話には、確たる証拠が残されているわけではないのである。

 古山和男著「秘密諜報員ベートーヴェン」は、ヨーロッパの歴史を克明に紐解きながら、一つ一つ検証を試みるという、気の遠くなるような作業を通して、ベートーヴェンの真の姿を炙り出そうとした労作である。本のタイトルだけを見ると、何か如何わしい雰囲気があるが、中身は全く異なり、新しいベートーヴェン像の創出に真正面から取り組んだ、意欲的な快著といえる。古山氏は、まだまだ新事実のデータを有しているそうなので、第2弾、第3弾の出版が待たれる。(蔵 志津久)(2010/8/23)

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2010年11月12日

◇鶴我裕子著「バイオリニストに花束を」(中央公論新社刊)


書名:バイオリニストに花束を

著者:鶴我裕子

発行:中央公論新社

目次:演奏家見ならい記 
       (もぐりで聴いたカラヤンのとてつもない「何か」 ほか)
    N響という“カイシャ” 
       (花粉アラモード ほか)
    外国ツアー・アラモード 
       (もはや「異国」ではないヨーロッパ ほか)
    オーケストラのゲストたち 
       (チョン・キョンファとヒラリー・ハーン ほか)
    定年までのカウントダウン 
       (「めしばん」は原点 ほか)

 この本はNHK交響楽団(この本では「N狂」または「わが社」の“愛称”でたびたび登場)の第一ヴァイオリニストとして活躍してきた鶴我裕子さんが、これまで書き連ねてきたエッセイを1冊の単行本にまとめ新たに発刊したものだ。236ページにわたり、鶴我さんの生い立ちから、愛し続けた「N狂」を“定年退職”するまでの歴史が書きとめられている。読む前はエッセイ集ということで気軽に読み始めたのであるが、読み終わった後は、何かずしっとした重みを感じた。これはきっと会社を定年退職した人にしか分らない人生の重みなのだろう。

 と書くと何か難しい本のように思うかもしれないが、「演奏家見ならい記」「N響という“カイシャ”」「外国ツアー・アラモード」「オーケストラのゲストたち」「定年までのカウントダウン」の各中見出しごとにまとめられたエッセイの数々は、抱腹絶倒の分を含めて、どのエッセイも鶴我さんの鋭くも優しい目線が行き届き、思わずニヤリとしてしまうのだ。

 例えば「オーケストラのゲストたち」編では、世界一流の演奏家でも鶴我さんの筆にかかればケチョンケチョンだ。「チョン・キョンファは、激変した。良いほうに。同じ人かと目を疑うほどだ」と軽くジャブを飛ばす。ということはその前は・・・これは読んでのお楽しみ。女性が女性を見る目は恐ろしいのだ。鶴我さんは男に対しても鋭い。「若きクレーメルが、初めてN響に来た時を思い出す。何とも言えない容貌だった。チャイコフスキーの協奏曲を弾き始めると、下あごをカパッとあけて、いっそう変な顔になった」のだそうだ。最後は「楽団員はしびれていた」と評価を下すが、クレーメルとしては東洋の島国まで来て、自分がそんな風に見られていたなんてゆめゆめ感じていなかっただろうに。なんだか可哀そう。

 この本は、普通の人では知りえないオーケストラの楽屋裏も垣間見せてくれる。「知られざる難行?コンマスの左隣り?」では、「アシスタント・コンサートマスター」の“地獄”の存在が紹介されている。コンサートマスターは誰でも知っているが、このコンマスを影で支えているのがアシスタント・コンサートマスターなのである。何故地獄の存在なのかは本書を読んでいただきたいが、要するに偉いコンサートマスターにいかに合わせて、オケ全体を引っ張っていかなくてはならないかという中間管理職の存在そのものが地獄なのだ。普通の会社に例えるなら、指揮者が社長とすると、専務がコンサートマスター、そしてこのワンマン専務に仕える部長か課長がアシスタント・コンサートマスターなのであろう。しかも、この地獄の役割は日本のオケ独特のものというから、ますます“N狂”が日本の“会社”そのものに見えてくる。

 本書は、一般のリスナーがクラシック音楽を聴くときに大いに参考になるはずだが、私は、将来オーケストラに“入社”して“社員”になりたいと考えている若い人たちに読んでもらいたいものだ思う。この本の行間からは、演奏家としてオケのメンバーとして一緒にやっていく厳しさと同時に、楽しさも伝わってくる。最後に鶴我さんが“会社”を“定年退職”する時の話などは、思わずホロリとさせられた。(蔵 志津久)(10/7/12)

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