2013年1月23日
書名:指揮者の役割~ヨーロッパ三大オーケストラ物語~
著者:中野 雄
発行:新潮社(新潮選書)
目次:序章 指揮者の四つの条件
第1章 指揮者なんて要らない?――ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
第2章 カラヤンという時代――ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
第3章 オーケストラが担う一国の文化――ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団・アムステルダム
終章 良い指揮者はどんな指示を出すのか?
オーケストラは、その国の民族的性格をかなり忠実に表現しており、聴いていて興味が尽きない。最近私が体験したケースで印象に残るのは、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のフランクフルト放送交響楽団の演奏会であった。当日は、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲第8番が演奏された。パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏は、ブルックナーに正面から取り組み、一部の隙もない緻密な演奏であった。同時に強烈なエネルギーの発散みたいなオーケストラの咆哮を久しぶりに聴くことができた。で、問題は演奏そのものでなく、オーケストラメンバーが席を立つ時と、席に座る時のタイミングである。フランクフルト放送交響楽団のメンバー全員は、誰の指示でもなく、この立つ時と座る時のタイミングが、全員ぴたりと一致するのである。まさか、練習しているわけでもないだろうから、この全員一致は国民性の現れではなかろうかと思わざるを得ない。
では、日本のオーケストラはどうか。これはもう演奏中の熱中度は世界一と思わせるような、全員の頑張りの姿勢が特に目立つのだ。これも“国民全員一致してことに当たる”といった日本の国民性の現れではなかろうか。一方、オーケストラの聴衆についても、国民性が現れる。欧米の演奏会の録音放送などを聴くと、演奏が終わり、一拍おいてから小さな拍手で始まり、それが徐々に大きくなって行く。一方、日本の聴衆はというと、演奏が終わるか終らないうちに拍手が始まり、しかもそれが最初から大きな拍手なのだ。これは、日本人がせっかちな国民性である、ということを現しているのであろうか?
この「指揮者の役割~ヨーロッパ三大オーケストラ物語~」(中野 雄著/新潮選書)は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、それにロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団というヨーロッパを代表する3つのオーケストラを取り上げ、それぞれの楽団の歴史から始まり、これまで活躍してきた指揮者、楽団員を浮き彫りすることにより、そのオーケストラの特徴を読者の前に赤裸々に提示する。同書が他書と異なる点は、当時現役として、それぞれのオーケストラを引っ張ってきた楽団員たちに、直接筆者がインタビューしている点である。つまり、貴重な歴史的証言が満載され、それぞれのオーケストラの貴重な歴史書にもなっている。このことは、現在においても、これらのオーケストラの演奏を聴く際に、大いに参考になると言っても、過言なかろう。
指揮者が、「巨匠(マエストロ)」と呼ばれて、その生涯を全うするための資質として、著者の中野 雄氏は、次の4点を挙げる。第一は、強烈な集団統率力、第二は、継続的な学習能力、第三は、巧みな経営能力、第四は、天職と人生に対する執念、の4つである。つまり、この書に登場する、歴史に名を残す大指揮者達は、これらの4つの資質を兼ね備えているということになる。一方、大指揮者に“仕える”楽団員の方はどうであろう。ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたライナー・キュッヒル氏が「良い指揮者とは、私たちの音楽を邪魔しない指揮者のことをいいます」と言ったということが紹介されている。この一言の中に、ウィーン・フィルの楽団員のプライドが込められているようで、思わず読みながら唸った。言い方を変えれば「我々をコントロールできると思うなら、やってみな」と言ってるのに等しい。そんなウイーン・フィルの楽団員達をフルトヴェングラー以降の指揮者がどうコントロールしていったのかは、読んでみてのお楽しみ。
ベルリン・フィルについては、カラヤンとの出会いと葛藤とが詳細に記載されており、現在でもベルリン・フィルの演奏を聴く際には是非とも知っておきたい内容である。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団については、筆者と50年来の付き合いというコンサートマスターだったヘルマン・クレッパース氏の貴重な証言により、メンゲルベルクから引き継いだ指揮者のベイヌムの人間像が明らかにされる。いずれにしてもこの書は、ヨーロッパ三大オーケストラを通して熱く語った、著者のクラシック音楽に対する愛着がひしひしと伝わってくる力作である。
(蔵 志津久)