2015年4月07日
書名:愛と裏切りの作曲家たち (洋泉社刊 「かくも罪深きオペラ」 改題)
著者:中野京子
発行:光文社(知恵の森文庫)
目次:第1章 ビゼー 「世にも恐ろしい災い」 「カルメン」
第2章 ヴェーバー すべては愛のために 「魔弾の射手」
第3章 ベッリーニ 嫉妬が生んだ名作 「ノルマ」
第4章 ヴァーグナー 過剰な執着心 「さまよえるオランダ人」
第5章 ロッシーニ 美食と神経過敏 「セビリアの理髪師」
第6章 モーツァルト 神童の放漫 「フィガロの結婚」
第7章 ヴェルディ 「道を踏み外した女」 「椿姫」
第8章 プッチーニ オペラ以上の悲劇 「蝶々夫人」
著者の中野京子氏は、作家・ドイツ文学者であるが、現在、月刊「文芸春秋」に「中野京子の名画が語る西洋史」を連載していることでも分かるように、趣味である絵画さらにはクラシック音楽にも精通している。その中野京子氏が1999年に洋泉社から発刊した「かくも罪深きオペラ」を改題して、新たに「愛と裏切りの作曲家たち」として、このほど光文社から発刊されたのがこの書である。全部で8人のクラシック音楽の大作曲者が作曲したオペラの一曲を俎上に挙げ、その裏に潜む人間ドラマを取り上げている。8曲の最初のページには、テーマとして取り上げたオペラのあらすじがそれぞれ要約されているので、仮にそのオペラを全く知らない読者であっても、本文を読み進めることができるように配慮されているのが嬉しい。本文についてもクラシック音楽の専門知識がなくても、人間ドラマとして十分に読みこなすことができる。それでは、クラシック音楽、中でもオペラに精通している人は、退屈するかというと、それとは全く逆で、改めてその大作曲家の心の奥に秘めた心情が、同書を読むことで初めて理解できることも少なくない。この本の帯には、「中野京子が紐解く、読んで語るためのオペラ入門。羨望、嫉妬、挫折、すべてが音楽になった」とある。
中野京子氏には、角川文庫から出されている「怖い絵」「怖い絵=泣く女篇=」「怖い絵=死と乙女篇=」という3部作の著作がある。いまでは“あの「怖い絵」の作者”と言われるほど中野京子の代名詞にもなっている。これらは、題名のごとくいずれも“怖い本”なのである。もちろん絵自体が怖いということも言えるが、それよりもっとその絵の背後に隠された画家の怖ろしい人生を、あたかも刑事が犯人をじわじわと追い詰め、最後にその真相が明らかにされるといった内容が怖いのだ。一枚の怖い絵を取り上げ、その絵を文章の最初のページに掲載して、まず読者の視線を釘付けにしてしまいうという趣向だ。もうこうなれば、読者は、筆者の催眠術にでもかかったかのように、怖いお話に最後まで付き合わされてしまう。「愛と裏切りの作曲家たち」はこの「怖い絵」のオペラ版といったところか。名作「怖い絵」シリーズの初版は、朝日出版社から2007年~2009年発刊されている。ということは、改題前の「かくも罪深きオペラ」は、1999年に発刊されているので、今回の「愛と裏切りの作曲家たち」は、ひょっとすると「怖い絵」シリーズの母体になった作品なのかもしれない。
名作「ノルマ」を作曲したベッリーニは、同時代の作曲家のドニゼッティに対し、異常とも言える徹底したライバル意識を持っていたという。「ベッリーニは、ドニゼッティの公演前日のリハーサルをロッシーニとともに見に行き、出来の悪さをせせら笑った。またも自分の勝を確信し、敵の無能をこきおろす。『あのオペラは短命。あっと言う間に幕を閉じると宣告されたのも同然です。だって今までで最悪だから。あきれたことに、これはあいつの48作目ですよ』ベッリーニのほうは、10作目だった」「ここまで圧勝しながら、だがなおベッリーニは、ドニゼッティを叩くのを止めない。後に出た新聞評が良かったことに腹をたて、『なにしろあいつときたら、パリ中の劇場や、とくに記者連中に対して、まるで道化みたいにお百度参りしていたんだから、悪く書かれるはずはない』そいう自分も、同じような工作をせっせと行っていたことは言わない」ベッリーニの葬儀を執り行ったのは、ロッシーニであった。そして、何と、葬儀で流す音楽の指揮をしたのがドニゼッティだったのだ。ドニゼッティは、ベッリーニから憎まれていたとは露知らず、心からその死を悼みつつ。そして、筆者は「墓場のベッリーニは憤慨したろう」と書く。これはやはり怖い。
日本でもお馴染みの「蝶々夫人」を作曲したプッチーニ。「マノンレスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」と立て続けの成功によって、ヴェルディの後継者の地位を不動なものとしていた。つまり人生の絶頂期を迎えていたのだ。そして次の作品として日本を舞台にした「蝶々夫人」に取り組む。これは自分の最高傑作となるという予感を持ちつつ作曲に向かうが、筆は遅々として進まない。そんな折、医者に診てもらうため、運転手付きの車に乗る。帰りは夜道となった。しかし、早く帰り「蝶々夫人」を仕上げねばならなかった。運転手を急がせて、山道に差し掛かったところで、車は15メートル下の崖下に落下してしまう。なんとかプッチーニは九死に一生を得る。しかし、この時以降、プッチーニには不幸が押し寄せ始める。怪我をしたプッチーニの世話をするため純朴な若い娘ドーリアを、小間使いとして雇ったところまではよかった。しかし、妻のエルヴィーラがプッチーニとドーリアの間を怪しみ解雇してしまう。このことで妻のエルヴィーラは、最後は毒を飲んで死んでしまう。さらに、疑われた小間使いのドーリアも抗議の自殺をする。話は「蝶々夫人」さながらのストーリを辿リ始めるのだ。人生の絶頂期から一挙に人生の奈落の底に落ちたプッチーニ。この話も相当に怖い。この書には、8人の大作曲家の人間ドラマが、代表作のオペラを軸として展開する。(蔵 志津久)