クラシック 指揮者


バックナンバー 2010年 12月

2010年12月30日

ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)  出身国:ハンガリー


ショパン:バレエ音楽「レ・シルフィード」
ドリーブ:バレエ組曲「シルヴィア」
     バレエ組曲「コッペリア」
オッフェンバック:バレエ音楽「パリの歓び
ファリャ:バレエ「三角帽子」の三つの舞曲
グノー:歌劇「ファウスト」よりバレエ音楽

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

CD:CBS/SONY 52DC 375-6

 このオーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団の名コンビにより、有名なバレエ音楽を収録したのがこのCDである。CDが市場に提供されてから2年半後にこのCDが発売されたようだが、今聴いてもその音はみづみづしく息づいているのは真にうれしいことだ。ライナーノートによると「このマスター・テープは、今回特に米CBSに依頼して、当時の3~4チャンネル・オリジナル・テープからデジタル2チャンネルに新たにトラックダウン(ニュー・リミックス)し直したもの」という。このためマスター・テープさながらの新鮮で迫力に溢れたフィラデルフィアサウンドを聴くことができる。例えば、ドリーブのコッペリアなどは、音だけを聴いてもバレリーナの踊りが自然と目に浮かび上がるほど、真に迫る演奏に感動させられる。クラシック音楽は、ベートーベンやブラームスあるはワグナーなど何か哲学みたいなものが背景にあるのが優れていて、バレエ音楽などは踊りの付随音楽と考えられがちだが、決してそんなことはない。オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団のこれらのバレエ音楽を聴くとそんな既成概念はどこかに吹っ飛んでしまうほどで、つくづく「クラシック音楽っていいな」と感じさせてくれる名盤となっている。

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2010年12月30日

オイゲン・ヨッフム(1902年―1987年)  出身国:ドイツ


ブラームス:交響曲全集

演奏:オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:TOCE‐6927

 ブラームスの交響曲はベートーべンのそれと並び、これが交響曲だといった重さがある。ベートーベンが9つの交響曲を書いたのに対し、ブラームスは4つの交響曲で終わった。しかし、4つの交響曲がそれぞれ違うアプローチで書かれており、4つで十分と考えられる。このCDでヨッフムは素晴らしいブラームスを聴かせてくれる。一つの気負いもなく、静かにブラームスを奏でていくが、それがかえって重厚で、しかもスケールの大きな演奏となっている。フルトベングラーのブラームスは何か天才的で近寄りがたい雰囲気をかもし出すが、ヨッフムのブラームスは人生の伴侶として常に横にいてほしいような親しみを感じる。

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2010年12月30日

アンドレ・クリュイタンス(1905年―1967年)  出身国:ベルギー


ベートーベン:交響曲全集

演奏:アンドレ・クリュイタンス指揮

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:東芝EMI CC25-3745-47

 ドイツ人でない指揮者がドイツ音楽を演奏した場合の成功例、失敗例いろいろあるが、このアンドレ・クリュイタンスのベートーベン交響曲全集は成功例の典型的なものだろう。我々がお馴染みのベートーベン像は“意思の人”とか“理想主義者”とかいった神様みたいな存在を思い描くが、クリュイタンスはそんなベートーベン像はくそ食らえとでも言いたいように、純粋に音楽としてのベートーベン像を描ききる。そこには何の誇張もなければ、独善もない。ただ、自然な音楽が流れるだけだ。実はこれができるということは、裸のベートーベンのそのものを表現しきっているということを意味する。よく最高の演技は「演技せずただ自然に振舞うことだ」といわれるが、役者は何十年の修行を積まねばこの境地には至らない。クリュイタンスのベートベンを聴くと「指揮をせずただ自然に演奏する」といった高みに達していると言わざるをえない。ドイツ系の指揮者には思いもつかない境地であることは間違いない。

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2010年12月30日

ルドルフ・ケンペ(1910年―1976年)  出身国:ドイツ


ブラームス:交響曲第1~4番
       悲劇的序曲/ハイドンの主題による変奏曲

指揮:ルドルフ・ケンペ

管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

CD:TESTAMENT(EMI Records) SBT 3054

 ドイツ人の指揮者のルドルフ・ケンペのこのCDは、最初はあまり印象に残ることはないが、何回も聴くうちにその真価がじわじわと心に沁みてきて、最後にはケンペの虜になってしまうという、独特の魅力が込められた隠れたる名盤なのである。通常指揮者はその指揮ぶりが、フルトヴェングラーみたいだとか(あまりいないが)、ワルターに似ているだとか、まるでトスカニーニみたいなど、と過去の巨匠たちの指揮に似ているといった捉え方をされることが多い。ところがケンペはどの巨匠とも異なり、独自の世界を展開する。そこが新鮮に映るし、魅力ともなっている。強いて挙げればシューリヒトに近いのかもしれない。しかしよく聴くと、シューリヒトは楽団員と一体化して自分の世界に引きずり込むという感じがするのに対し、ケンペはあくまで楽団員の自発性に期待し団員各自の能力を最大限に発揮させるようにもっていく。

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2010年12月30日

ヘルマン・アーベントロート(1883年―1956年)  出身国:ドイツ


ブラームス:交響曲第1番

指揮:管弦楽:バイエルン国立管弦楽団

CD:DISQUES REFRAIN DR920035

 ヘルマン・アーベントロートは、ケルン市の音楽監督をはじめ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者(1934年-1945年)、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者(1949年-1956年)、ベルリン放送交響楽団首席指揮者(1953年-1956年)を務めた経歴を見れば、大物指揮者であったことが分ろう。 過去に彼が務めた前任者や後任者の中に、ワルターやフルトヴェングラーなどの名前が見受けられることからしても、このことが裏付けられる。ただ、第2次世界大戦後は、東ドイツに留まったためか、わが国ではフルトヴェングラーやワルターほどには知名度は高くはない。しかし、彼の葬儀は東ドイツでは国葬が行われたというから、やはり凄い指揮であったのだ。

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2010年12月30日

エーリヒ・クライバー(1890年―1956年)  出身国:オーストリア


シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ベートーベン:交響曲第2番

指揮:エーリッヒ・クライバー

管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(シューベルト)
      ベルギー国立管弦楽団(ベートーベン)

CD:独TELDEC CLASSICS INTERNATIONAL 9031-76436-2

 名指揮者エーリッヒ・クライバーのこのCDは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」が1935年1月28日、ベートーベンの交響曲第2番が1938年1月31日と、今から70年以上前の録音にもかかわらず、いずれの音も豊穣で現在でも十分に鑑賞に耐えうるのには驚きだ。さすがに現在の録音のように、オーケストラの楽器の一つ一つ聴き分けられることはできないものの、オーケストラの全体の響きに訴える力があり、音にも安定感がある。オーケストラの場合は特に、楽器一つ一つの響きより、全体が醸し出す音の方が大切なので、このCDは今でも現役盤で十分に通用するといってもいいほどだ。そして、肝心の演奏の方も、指揮者のエーリッヒ・クライバーは、これら2曲の代表的名盤の一つといってもおかしくないほどの名指揮ぶりを、我々に披露してくれる。シューベルトの「未完成」は、誠に粋で曲全体が息づいているとでも言ったらよいだろうか。“小股の切れ上がったいい女”という表現があるが、クライバーの「未完成」は正にそんな感じがするのだ。決してべたべたしない、軽快であるがただ軽いのではない、優美さを兼ね備えた軽さなのだから、その魅力に触れるともう一度聴きかえしたくなる。

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2010年12月30日

ディミトリ・ミトロプーロス(1896年―1960年)  出身国:ギリシャ


ベートーベン:交響曲第6番“田園”
ボロディン:交響曲第2番

ディミトリ・ミトロプーロス指揮

管弦楽:ミネアポリス交響楽団(ベートーベン)/ニューヨークフィル(ボロディン)

CD:伊IRONNEEDLE 

 ディミトリ・ミトロプーロスはアメリカで活躍した名指揮者だ。このCDは1940年に録音されたもので、音質の状態は万全ではないが、ミトロプーロスの偉大さの片鱗を窺い知ることができる。その指揮ぶりは躍動感あふれるもので、CDを聴いてるだけでも生き生きとした指揮ぶりに惚れ惚れする。フリッチャイに似たリズム感ではあるが、一方では、あたかもワルターのように雄大な巨匠風の指揮ぶりも見せ付けて、聴いていて飽きが来ない。ベートーベンの“田園”をこんなに劇的に指揮した録音は聴いたことがない。全曲これミトロプーロス節といった趣であるが、ぜんぜん嫌味がないところがさすがと感じさせる。

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2010年12月30日

エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)  出身国:ロシア出身


~新ムラヴィンスキーの芸術~<ライブ録音盤>

モーツアルト:交響曲第39番
グラゾノフ:組曲「ライモンダ」
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

演奏はというと、どれを取っても曲の本質を、一切の贅肉をそぎ落とし、しかも少しも、ぎすぎすしたところがなく、しかもある意味では豊穣な香りが立ち上る感覚を覚えるところが、ムラヴィンスキーの指揮の凄いところだ。例えば、ムラヴィンスキー同様、トスカニーニも余計な贅肉をそぎ落とした指揮をするのだが、トスカニーニは筋肉質の緊張感が表面に出てくる。それに対し、ムラヴィンスキーは、豊かな詩情を残しながら、しかも演奏の本質は筋肉質で無駄はない。言ってみればトスカニーニとワルターとを足して二で割ったような印象を持つ。足してニで割ると言っても、決して2者の中間という意味でなく、あくまで独自の主張を持った曲づくりがその中心にある巨匠であることが、このCDを聴くとよく分る。

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2010年12月29日

フランツ・コンヴィチュニー(1901年―1962年)  出身国:ドイツ


ベートーベン:交響曲全集/序曲集
演奏:フランツ・コンビチュニー指揮/ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団
CD:独ETERNA 0020 005

 コンビチュニーは玄人受けする指揮者だ。どちらかといえば職人芸に近い。ただ、職人芸といってもあくまで一流の職人であって、そんじょそこらの職人とは違う。フルトベングラーがオーケストラをぐいぐい引っ張る激情家、カラヤンが一部のすきもない合理主義者、チェビリダッケがオケの持つ能力を引っ張り出す策士家なのに対し、コンビチュニーはあくまで楽譜に忠実な音づくりをする名人といえるだろう。その昔、著名な音楽評論家の山根銀二氏がラジオで繰り返し紹介していたのが、コンビチュニーであった。音楽評論家としては最も信頼の置ける指揮者といえるのだろう。コンビチュニーと聞くと、すぐにラジオの音楽番組と山根銀二氏の名解説を思い出してしまい、懐かしさがこみ上げてくる。

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2010年12月29日

グィド・カンテルリ(1920年―1956年)  出身国:イタリア


モーツアルト:交響曲第29番
ベートーベン:交響曲第7番
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
フランク:交響曲

指揮:グィド・カンテルリ

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団/NBC交響楽団(フランク)

CD:EMI CLASSICS CZS 5 68217 2

 カンテルリの指揮のスタイルは、メンデルスゾーンがその曲が持つ姿を客観的な立場で指揮をして以来の伝統的指揮法によっている。当時流行ったヨーロッパにおける新即物主義がこの指揮法を後押ししたこともあって、現在まで連綿と続いているのである。この客観的指揮法のドンがトスカニーニとするなら、主観的(ロマン的)指揮法のドンはフルトヴェングラーなのである。このCDを聴くと、カンテルリはドン・トスカニーニの指揮ぶりにもっとも近い指揮者といわれている以上に、ほかの指揮者にない何物かを備えていることが聴き取れる。曲想を捻じ曲げないで指揮することは間違いないのではあるが、ただそれだけではなんとも退屈な演奏に終わってしまう。カンテルリの凄いところは、オーケストラが発する音そのものが実に生き生きと輝くのだ。

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