クラシック音楽 日本の歌


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2015年12月16日

♪ フランク永井は偉大なバラード歌手であった 


フランク永井2

おまえに                  作詩:岩谷時子/作曲・編曲:吉田 正
大阪ぐらし                 作詩:石浜恒夫/作曲・編曲:大野正雄
逢いたくて                 作詩:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田 正
羽田発7時50分              作詩:宮川哲夫/作曲:豊田一雄/編曲:寺岡真三
夜霧の第二国道             作詩:宮川哲夫/作曲・編曲:吉田 正
有楽町で逢いましょう          作詩:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田 正
東京午前三時               作詩:佐伯孝夫/作曲:吉田 正/編曲:佐野雅美
西銀座駅前                作詩:佐伯孝夫/作曲:吉田 正/編曲:寺岡真三
俺は淋しいんだ              作詩:佐伯孝夫/作曲・編曲:渡久地政信
夜霧に消えたチャコ            作詩:宮川哲夫/作曲・編曲:渡久地政信
こいさんのラブ・コール          作詩:石浜恒夫/作曲・編曲:大野正雄
ラブ・レター                 作詩:佐伯孝夫/作曲:吉田 正/編曲:寺岡真三
公園の手品師               作詩:宮川哲夫/作曲:吉田 正/編曲:竜崎孝路
悲しみは消えない             作詩:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田 正
初恋の詩                  作詩:鴻池善右衛門/作曲・編曲:大野正雄
妻を恋うる唄                作詩:岩谷時子/作曲・編曲:吉田 正
霧子のタンゴ                作詩・作曲・編曲:吉田 正
好き好き好き                作詩:佐伯孝夫/作曲:吉田 正/編曲:寺岡真三
東京ナイト・クラブ(with松尾和子)   作詩:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田 正
君恋し                    作詩:時雨音羽/作曲:佐々紅華/編曲:寺岡真三

歌:フランク永井

CD:ビクターエンタテインメント VICL-41246

 独特の低音で多くの人を魅了したフランク永井(1932年―2008年)が亡くなってもう7年が過ぎた。一般にはフランク永井は、ムード歌謡歌手に分類されるが、私は、日本の偉大なバラード歌手であったと考えている。

 バラードとは、自由な形式の民衆的小叙事詩を指す。フランク永井が歌うと、あたかも詩を朗読しているかのようだ。決して自己主張するわけでなく、詩によって語らしむるという歌いっぷりだ。

 すべての歌が、ゆっくりと時が移ろうかのように流れ行く。これを、正確で美しい日本語の発音が支えている。このCDに収録されている曲の作曲家はすべて一流だが、作詩家もすべて一流であることに気付く。

 例えば、このCDの最後の曲の「君恋し」(作詩:時雨音羽)の「宵闇せまれば、悩みははてなし みだるる心に うつるは誰が影・・・」を読むと、一瞬のうちにそのつらい心情に誰もが引き寄せられてしまう。

 一流の板前は、新鮮な素材を探し出すのに長けていると言われるが、歌手も同じように、優れた作曲家、優れた作詩家との出会いが、その出来栄えを大きく左右する。

 フランク永井は、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)出身で、厨房の賄い、トラック運転手を経て、米軍キャンプでジャズを歌い始める。ラジオのアマチュア歌合戦で勝ち残り、ビクターレコードの専属歌手に。

 その後、作曲家の吉田 正の門下生となり、ジャズから歌謡曲に転向。“都会派のムード歌手”として、「有楽町で逢いましょう」が最初のヒット曲となり、以後、続々とヒット曲を飛ばす。

 「有楽町で逢いましょう」は、昔、東京の有楽町駅前にあった、そごう百貨店(現在は家電量販店「ビックカメラ」のビル)のPRソングであった。私は、山手線で有楽町駅を通るたびに、フランク永井のあの歌声を思い出す。

 フランク永井ほど、当時の都会で普通に暮らす人々の心情を掴んだ歌手はほかにいなかった。やはり、フランク永井は、詩をほんとに大切にして歌う、日本の偉大なバラード歌手であったと私は思う。(蔵 志津久)

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2015年12月04日

♪ 懐かしい岸 洋子の歌声をもう一度聴いてみよう


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<ディスク:1>

恋心
想い出のソレンツァーラ
別離
人の気も知らないで
サン・トワ・マミー
恋よまわれ
今宵あなたが聞く歌は
初恋
愛の讃歌
夜の子守唄
海鳴り
甦る明日
ケ・サラ

<ディスク:2>

夜明けのうた
昔きいたシャンソン
雪が降る
枯葉
ラスト・ダンスは私と
コマン・サ・バ
愛遥かに
恋人よ何故
わかっているの
二人の星
酔いしれて
愛あるかぎり
希望

歌:岸 洋子

CD:キングレコード KICX 3667~8

 シャンソン歌手の岸 洋子が57歳という若さで亡くなって、既に23年が経とうとしている。何気なく彼女の生年月日を見ていたら、1935年3月27日とある。ということは、2015年は“岸 洋子生誕80年”の記念の年にあたるわけである。

 そこで、以前買った「岸 洋子 ベストセレクション2009」というCD2枚組のアルバムを取り出して、久しぶりに岸 洋子の歌声を聴いてみようと思い立った。

 岸 洋子は、東京芸術大学に学ぶが、病気のためオペラ歌手となるのを断念。その時、病床で聴いたエディット・ピアフに感激し、シャンソン歌手として再出発することを決意する。同世代のシャンソン歌手には越路吹雪がいる。

 1962年にレコード・デビュー。1964年「夜明けのうた」で第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞、1969年芸術祭優秀賞を受賞と順風満帆の歌手人生を過ごす。

 しかし、幸せな歌手生活は長くは続くことはなかった。1970年に膠原病を発症してしまうのだ。膠原病は全身に激痛が走る難病だ。しかし、翌年には、膠原病の後遺症と闘いながら歌手活動を復活させる。

 この間、「希望」で第12回日本レコード大賞歌唱賞を受賞する。岸 洋子の出身地である山形県酒田市に「酒田市民会館希望ホール」があるが、これは岸 洋子の歌う「希望」がヒットしたことを記念して名付けられたものだ。

 岸 洋子の晩年に発売されたCDのジャケットには、膠原病で衰えた岸 洋子の痛々しい姿があった。そんな姿を人前に晒してでも歌手であり続けようとした岸 洋子の歌手魂には、ただただ頭が下がる。

 岸 洋子の歌声を聴いていると、安心感というか、名前の通り、前途洋々とした気分に浸れことができる。これは、卓越した歌唱力に加え、正確で美しい日本語の発声があるためだ。

 一般的には、岸 洋子はシャンソン歌手あるいはカンツォーネ歌手に分類されるが、例え作詞・作曲が外国人の曲でも、岸 洋子が歌うとたちどころに日本の歌へと変身を遂げてしまう。だから、岸 洋子は日本の歌の歌手と言っても少しもおかしくないと私は思う。

(蔵 志津久)

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