2015年4月26日
作曲家・編曲家の服部克久氏の講演会「戦後70年の記憶『戦後70年 音楽の記憶をたどる~あの時、この曲が選ばれた~』」(主催:朝日カルチャーセンター新宿教室)が7月4日に行われるというので、受講することにした。受講理由の一つは、案内書に「服部克久さんが、戦後を代表する10の楽曲を選びます」と書かれていたことに大いに心が引かれたからだ。安保法案などの“行く末”はともかくとして、戦後70年という区切りで、いったん立ち止まり、“来しかた”を振り返るのも、また意味があるのに違いあるまいと考えた。
まず、服部克久氏の略歴を見てみよう。1936年、作曲家の服部良一の長男として生まれ、成蹊高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐ、作曲活動に入る。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。その後、日本レコード大賞企画賞を2回(第32回:1990年、第40回:1998年)受賞している。現在までの作編曲タイトル数は、約6千曲、編曲スコア数7万曲を超えるという。現在の主な役職は、日本作編曲家協会会長、東京音楽大学客員教授。
さて、服部克久氏が選んだ、「戦後を代表する10の楽曲」とは?
①りんごの歌 (並木路子)
②東京ブギウギ (笠置シヅ子)
③青い山脈 (藤山一郎/奈良光枝)
④有楽町で逢いましょう (フランク永井)
⑤上を向いて歩こう (坂本 九)
⑥悲しい酒 (美空ひばり)
⑦この広い野原いっぱい (森山良子)
⑧卒業写真 (荒井由実)
⑨昴 (谷村新司)
⑩恋するフォーチュンクッキー (AKB48)
以上の10曲である。予想通りであったろうか。
当日の受講生は、ほぼ服部克久氏と同世代が多かったので、次のような質問が飛び出した。
<質問>「最近の若者の歌は分からない。服部先生はどう思うか」
<答え>「昔の歌は音声だけだったわけだが、最近の歌は、踊りや照明など音声以外の要素を取り込んでいる。総合的な観点からとらえねばならない。どちらがいいとか、悪いという話とは異なる。ただ、昔は作詞・作曲者が表面に出たが、最近は表面になかなか表れないのは残念」
<質問>「最近の曲は軽薄では」
<答え>「昔も、チャッチャッチャッやマンボなんていうのもあった。あまり変わらない」
<質問>「日本の歌が世界に広がる可能性はあるのか」
<答え>「残念ながら言語の問題があり、日本の歌が世界に広がることは、なかなか難しいと思う。それだからこそ、我々が日本の歌をもっと大切にする必要性がある」
<質問>「最近『フォレスタ』などのような合唱が流行っているが、服部先生の意見は」
<答え>「『フォレスタ』などがテレビで歌っているのを聴く。合唱は体が楽器であり、歌を表現するのに最も適している。合唱が流行ってくれることを期待する」
服部克久氏の話は明快で、親しみ易く、好感が持てた。「美空ひばりはとても心の優しい人だった」など、昔の歌手の話がたくさん盛り込まれた楽しい講演会であった。最後には服部克久氏のピアノのソロ演奏のサービスもあった。是非続編を望む。(蔵 志津久)