2011年10月05日
国際舞台での韓国、中国の若手演奏家の活躍が伝えられる中、これまで、日本人の入賞者を多く排出してきたショパン国際ピアノコンクールおよびチャイコフスキー国際コンクールでの敗退という厳しい現実に直面し、わが国のクラシック音楽界の将来に俄に暗雲が垂れ込めたかのような雰囲気が充満していた。「経済で中国に抜き去られ、韓国に追い詰められているが、クラシック音楽界でも同様なことになるのではないか」と・・・。
しかし、そんな雰囲気を一挙に拭い去る快挙がフランスからもたらされた。垣内悠希(33歳)がブザンソン国際指揮者コンクールで前回の優勝者・山田和樹に続き、日本人が2回連続優勝を成し遂げたのだ。ブザンソン国際指揮者コンクールは、小澤征爾をはじめとして、これまで多くの日本人の優勝者を排出してきたことで知られる。「ブザンソン国際指揮者コンクールは、日本人のための指揮者コンクールではないのか」と陰口を叩かれるほど日本人の若手指揮者の活躍が目立ち、今回もこの伝統を守り切ったわけである。
ところで、意外と日本では話題とはなっていないが、現在3人の日系指揮者が世界の檜舞台で大活躍している。その3人とは、モントリオール交響楽団とバイエルン国立歌劇場の音楽監督およびベルリン・ドイツ交響楽団の名誉指揮者を務めるケント・ナガノ(1951年生まれ)、それにライプツィヒ放送交響楽団(MDR交響楽団)首席指揮者・芸術監督の準・メルクル(1959年生まれ)、そしてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督のアラン・ギルバート(1967年生まれ)の3人である。
もうこの3人は、日本でも知られた存在の指揮者ではあるが、3人とも日系人であり、その日系人が同時期に、世界でも指折りのオーケストラの音楽監督の地位にあるということは、過去のわが国のクラシック音楽界においても無かったことではないかと思う。アラン・ギルバートがニューヨーク・フィルの音楽監督就任後、初来日のコンサートを開催した際も、日頃、海外での活躍を大々的に扱いたがるわが国のマスコミとしては、何故か沈黙していたのは、不思議と言えば不思議なことだ。日本のクラシック音楽ファンとしては、今後、この3人の日系人指揮者の活躍を見守って行きたいものである。
ケント・ナガノは、日系3世の米国の指揮者。父方の祖父が熊本からカリフォルニアへ渡った移民で、農園経営で成功したという。カリフォルニア大学とサンフランシスコ大学で学ぶが、音楽が全てではなかったようだ。1978年から28年間、バークレー交響楽団の音楽監督を務めると同時に、ハレ管弦楽団、リヨン国立オペラの首席指揮者、音楽監督も務める。2006年よりモントリオール交響楽団およびバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任。ベルリン・ドイツ交響楽団の名誉指揮者を務める。2008年には、日本政府より旭日小綬章を受賞している。
準・メルクルは、ドイツ人と日本人の母のあいだに生まれたドイツの指揮者。ミュンヘン音楽大学、ハノーファー音楽大学で学ぶ。1991年―1994年ザールラント州立劇場音楽総監督。1993年には、ウィーン国立歌劇場のデヴューで「トスカ」を指揮し、大成功を収めると同時に国際的にも注目を集める。1994年―2000年マンハイム国民劇場音楽総監督、2005年―2011年リヨン国立管弦楽団音楽監督、そして2007年からは、ライプツィヒ放送交響楽団(MDR交響楽団)首席指揮者・芸術監督に就任している。
アラン・ギルバートの父は、ニューヨーク・フィルの元ヴァイオリン奏者であり、母は現在ニューヨーク・フィルでヴァイオリニストを務める建部洋子さん。建部洋子さんは、1942年横浜生まれで、1957年、1958年、16歳で日本音楽コンクールヴァイオリン部門で1位の実績を持っている。ギルバート自身もこれまで、ジュネーブ国際音楽コンクール指揮部門優勝、Bunkamuraオーチャードホールの「未来の巨匠」賞、ゲオルグ・ショルティ賞などの受賞歴があり、妹もヴァイオリニストという音楽一家。2010年から、ロリン・マゼールの後を継ぎ、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任し、今後の活躍に期待が集まっている。(蔵 志津久)