2016年11月23日
東京都杉並区荻窪に大田黒公園(杉並区荻窪3丁目33番12号)がある。音楽評論家の大田黒元雄(1893年-1979年)の屋敷跡地に、杉並区が日本庭園を整備して、昭和56年10月1日に開園したもの。約8900㎡(2,700坪)という広大な敷地で、これが個人の自宅であったというから驚きだ。園内中央にある建物の裏側にある井筒より流れが始まり、次第に幅を広げて、池に注ぐ回遊式日本庭園となっている。園内には茶室、大田黒元雄記念館、休憩室、催し物広場、芝生広場、駐輪場などがあり、杉並区民の憩いの場となっている。
大田黒元雄の父である大田黒重五郎は、日本の水力発電の先駆者であり、芝浦製作所(現東芝)の経営を再建し、財をなした。このことが大邸宅を構えることとなリ、現在の大田黒公園に繋がるのである。今では東京都杉並区荻窪は、住宅街で人家が密集しているが、父大田黒重五郎が自宅を建てた頃は、東京の郊外の田園風景が広がっていたはず。当時は、ここに広大な自宅を構えることは、さほど困難なことではなかったろう。ここで大田黒元雄は、1933年(昭和8年)から生涯を過ごすことになる。
大田黒元雄自身の自宅はというと、もとは東京都大田区山王にあった。ここに音楽好きの青年達、音楽評論家の野村光一(1895年―1988年)、音楽之友社を興した堀内敬三(1897年―1983年)、作曲家の菅原明朗(1897年―1988年)らが集まったが、ここで大田黒元雄は「ピアノの夕べ」と題するサロン・コンサートを主宰することになる。大田黒元雄は、プロのピアニストではなかったが、音楽学校の教師であったハンカ・ペツォルト夫人からピアノの手ほどきを受けていたので、ピアノを自由に弾きこなせたようである。当時、最先端の作曲家のドビュッシーやスクリャービンなどの曲が紹介されたという。
その頃の日本は、ドイツ音楽一辺倒であったはずで、フランス音楽が奏でられること自体珍しいことであったろう。それ以上に、自宅でクラシック音楽のコンサートが行われこと自体、あまりなかったはずで、わが国のクラシック音楽の大衆化の口火を切った場所であったともいえる。ここには、ロシア革命後の騒乱を嫌い、アメリカへと向かうプロコフィエフが、旅の途中日本に立ち寄り、大田区山王の大田黒元雄邸にも来てピアノを弾いたという。その後、このピアノは現在の大田黒公園に移された。そして永い眠りの後、このピアノは修復され、再び美しい音を響かせることになった。
このほど、ピアニストで文筆家の青柳いづみこ、作曲家でピアニストの高橋悠治の両氏が、大田黒公園に置かれ、プロコフィエフも弾いたという1900年製スタインウェイを演奏したCDが発売された。修復されたスタインウェイは、明るくまろやかな音色が特に印象に残る。このCDに収録されている曲目は、大田黒元雄主宰した「ピアノの夕べ」と題するサロン・コンサートと同一であるという。今では、全国各地で毎日コンサートが開かれ、FM放送、CD、さらにはインターネットを通して誰でも音楽のある生活を気軽に享受できる時代となったが、このCD「大田黒元雄のピアノ―100年の余韻―」を聴いたり、大田黒公園へ出かけて、わが国クラシック音楽界の黎明期に思いを馳せてみたい。(蔵 志津久)
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~CD「大田黒元雄のピアノ―100年の余韻」~
グリーグ:春に寄す《抒情小曲集》第3集 作品43より 第6曲
ドビュッシー:小さな羊飼い 《子供の領分》より 第5曲
ゴダール:牧神 《魔法のランプ》第1集 作品50より 第2曲
フォーレ:無言歌 作品17より 第3番
山田耕筰:若いパンとニンフ(五つのポエム)
マクダウェル:《森のスケッチ》作品51より
野ばらに寄す/秋に
スコット:《詩曲集》より Ⅱ. 魂の共感の庭
《詩曲集》より Ⅲ. 鐘
エジプトの舟歌 《エジプト》より
スクリャービン:24の前奏曲 作品11 より 15. Lento
4つの前奏曲 作品33 よりNo.1, No.2, No.3
2つの小品 作品57 Ⅰ. 欲望/Ⅱ. 舞い踊る愛撫
プロコフィエフ:束の間の幻影 作品22
ラヴェル:マ・メール・ロワ
ピアノ:青柳いづみこ、高橋悠治
使用ピアノ:スタインウェイ 1900年製(大田黒元雄旧蔵 杉並区立大田黒公園記念館蔵)
録音:2016年3月29~31日、6月14日、杉並区立大田黒公園記念館
CD:コジマ録音 ALCD‐7200