クラシック音楽 音楽の泉


バックナンバー 2010年 12月

2010年12月30日

♪ 指揮者・柳澤寿男が、コソボで命懸けで成し遂げた2つのコンサートの快挙 


 多くの日本人は、コソボという名前を聞いても、確か以前”コソボ紛争”といったことをニュースで聞いたことがあるな、といった程度の認識しか持ち合わせていないのではないだろうか。実は、私もそうであった。コソボ共和国は、バルカン半島にある国で、2008年2月に独立した世界で一番新しい国であるという認識は、昨年、テレビで国立コソボ・フィルハーモニー常任指揮者・柳澤寿男の活動の報道を通して得たものである。そのときのテレビ番組では、確か日本でセルビア人とアルバニア人とが集まりコンサートを成功させたところで終わっていたかと思う。そんなことがあり、その後私は時々、「どうなったのかなあ」とコソボのことを思い出すことがあった。

 そして、ふとテレビ番組表を見たら「戦場に音楽の架け橋を~指揮者 柳澤寿男 コソボの挑戦~」(2010年12月29日、BSジャパン)と出ているのを発見!早速「その後、セルビア人とアルバニア人の演奏家同士の交流は続いているのか?」という思いで、食い入るようにテレビの画面に見入ったのである。番組は2時間という長いドキュメンタリー番組なのにも関わらず、柳澤寿男の正に命がけの奮闘努力の様子が画面からもひしひしと伝わり、2時間が一瞬のようにすら思えたほどであった。現在、表面的にはコソボ共和国として一つの独立国とはなっているが、橋を挟んで、セルビア人とアルバニア人とが交流もなく,対峙しているのが実態。つまり、戦火は一応止んではいるが、2つの民族の溝は何にも変わっていない様子が映し出されていた(セルビア人地区には武装した軍隊が警備に当たっている)。

 そんな中、柳澤は、セルビア人とアルバニア人による合同コンサートができないものかという、当時としては奇想天外で、しかも命にも関わりかねない難問への取り組みを開始したのである。案の定、国連事務所などに話を持っていっても、「危ないから止めた方がいい」といった反応がほとんどであった。しかし、柳澤は決して挫けない。それは「音楽に国境があってはならない」という固い信念に基づいたものであった。そんな柳澤の思いが通じたのか、賛同する演奏家が徐々に出始め、橋を挟んでセルビア人地区とアルバニア人地区とで、それぞれ1回ずつコンサートを開催するまでに漕ぎ着けた。しかし、本当に演奏家が会場まで来るのか、何の保証もないのである。コンサート当日、会場の前で演奏家の到着を不安げに待つ柳澤。そして、演奏たちの到着を見た柳澤の本当に嬉しそうな顔。どんなドラマよりも手に汗握る場面であった。そして2会場ともコンサートは無事終了した。

 柳澤は、命にも関わりかねない、このようなプロジェクトに何故取り組んだのか?番組では、その回答がいくつか柳澤の口から直接語られていた。「音楽に国境なんて関係ない」「アルバニア人、セルビア人、マケドニア人、それに日本人のコラボレーションで、コソボ・フィルをバルカン一のオーケストラにしたい」「お互いに心を開かなかったら、いいものはできない」・・・。そして、分断の橋の双方でのコンサートを成功させたあと、柳澤は、「音楽に関わってきて良かった」「音楽が架け橋となった」「一生忘れられない演奏会となった」などと言った後に、「音楽の持つ力を実感できた」とポツリと語っていた。柳澤寿男の信念と実行力には敬服すべきものがある。「ペンは剣より強し」という言葉があるが、柳澤が今回成し遂げたことは、「音楽は剣より強し」ということを実証して、皆の前にはっきりと提示したことに意義があるのだと思う。今年は、宇宙探査衛星「はやぶさ」の快挙に日本中が賞賛の声で沸き返ったが、私は、柳澤が命がけでコソボで2つのコンサートを成功させたことは、決して「はやぶさ」に劣ることのない快挙であると思う。(蔵 志津久)

コメント/トラックバック投稿 »


2010年12月24日

♪ 平原綾香が自ら作詞したベートーヴェンの第9の第3楽章の歌「LOVE STORY」がテレビ初公開されて思うこと 


 

 ホルストの「惑星」をカバーしたデビュー曲「ジュピター」で一躍スターの座を射止めた平原綾香が、今回、何とベートーヴェンの第9交響曲の第3楽章に自ら歌詞をつけた世界初の歌「LOVE STORY」を歌った模様が、このほどテレビで初公開された。

 実際に平原綾香が歌ったのは、一般公募で参加した1万人の合唱団が、プロの歌手とともにベートーヴェンの「交響曲第9番」を歌い上げる、今年で28回目を迎える大阪の師走恒例の大規模コンサート「サントリー1万人の第九~歌のある星へ~」(2010年12月5日・大阪城ホール)でのこと。この公演の模様が、12月23日の特別番組「1万人の第九 meets 平原綾香~フロイデ×ジョイフル~」(毎日放送ほか)としてテレビ放映されたもの。

 仕掛けたのは、「サントリー1万人の第九」の総監督であり、来年ベルリン・フィルを振る指揮者の佐渡裕。平原綾香は作詞には相当のプレッシャーがあったようであるが、佐渡の助言で何とか乗り越え公演にこぎつけたものらしい。私は、最初ベートーヴェンの第9の第3楽章と聞いて、第4楽章の間違えではないかと思った。でもよく考えてみると、何時も第9の第3楽章を聴くとき、あのメロディーを、何となく小さく口ずさんでいる自分に思い当った。「そうなんだ、第3楽章は歌にして歌えば、第4楽章に勝るとも劣らない曲になるんだ!」このことをいち早く見抜いたのが佐渡裕だし、その期待に応えたのが平原綾香だ。

 私はこの番組で演奏された賛美歌「ジョイフルジョイフル(Joyful, joyful)」にも大いに興味を引かれた。この曲は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章の主題旋律に、新たな歌詞(英語)を付け、1907年に発表されたものだという。番組では、平原綾香と共演の子供達が、ゴスペル調の「ジョイフルジョイフル」を踊りながら熱唱していた映像に強い印象を受けた。

 普通、クラシック音楽を聴く場合、表情を一切出さず、身動き一つしないというのが“しきたり”となっている。本来これはおかしいことで、人間は良い音楽を聴いたときは、体を動かしたり、声を出す方が自然なのだ。もし演奏家が体を動かさないで演奏したら、いい音楽なんて演奏できるわけがない。リスナーだけに“不動の姿勢”を強いる、今のクラシック音楽界のあり方自体に私は以前から強い疑念を持っている。

 そんなわけで、私は佐渡裕&平原綾香が生み出した、ベートーヴェンの第9の第3楽章の“世界初”であり“日本発”の歌「LOVE STORY」が世界に向かって広がったらいいな、と思うし、なにより、きっと草葉の陰でベートーヴェンが大喜びするに違いないと思っている。2011年3月には、CDのアルバムに収録され発売されるらしいので今から楽しみだ。(蔵 志津久)

コメント/トラックバック投稿 »


2010年12月18日

♪ 堀米ゆず子と江藤俊哉 


 

 日本人が海外の音楽コンクールで入賞することは、そう珍しいことではなくなってきた。最近では優勝者の数も多くなってきたように思う。2009年は、辻井伸行が第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝し、国民的喝采を浴びたのは、まだ記憶に新しいところ。同じ2009年、山田和樹が第51回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝している。さらに宮田大が同じく2009年、4年に一度開催され、チェロ部門の国際音楽コンクールの最高峰と言われるパリ市主催の第9回ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールで日本人として初の優勝を果たした。そして2010年には、ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で萩原麻未が日本人初優勝を成し遂げた。同コンクールのピアノ部門でのこれまでの第1位受賞者は、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、フリードリヒ・グルダ、マルタ・アルゲリッチなど、そうそうたるピアニストが名を連ねており、ポリーニでさえ2位に甘んじたほどレベルの高いコンクールとして知られている。

 その30年も前、世界3大音楽コンクールの一つとして知られる「エリザベート王妃国際音楽コンクール」に日本人として初めて優勝という快挙を成し遂げたヴァイオリニストがいる。現在ベルギー在住のヴァイオリニストの堀米ゆず子である。何故、突然堀米ゆず子かというと、一つは私が書いているブログ「クラシックLPレコード倶楽部」に掲載するため、エリザベート王妃国際音楽コンクールに優勝した年に堀米ゆず子が録音したブラームスのヴァイオリンソナタ第1番と第3番のLPレコード(写真)を改めて聴いてみたことである。その瑞々しい感覚に今聴いてみても新鮮さを感じられるし、若々しく伸びやかな音づくり、さらに借り物でない自発性のある音楽性を聴いて、改めてエリザベート王妃国際音楽コンクール優勝者だけのことはある演奏だなとの思いを深くした。もう一つは、12月11日にBS-TBSで放映された「音楽を次の世代に・・・世界に誇る日本人バイオリニストの挑戦」を見たためである。

 現在、堀米ゆず子は、ベルギーで家族とともに生活をしているが、現地でヴァイオリニストとして尊敬を集めている様子には感心した。日本人が西洋音楽の本場で居を構え、しかも、西洋音楽そのもので高い評価を受けていることに、正直「凄いことだ」と思わずにいられなかった。現在、堀米ゆず子はブリュッセル王立音楽院客員教授を務めているが、世界中から集まってくる若い演奏家が堀米ゆず子の演奏を聴き、皆が「何とか堀米先生の演奏に近づきたい」と語っていることでもこのことが裏付けられる。堀米ゆず子は、時々日本でも演奏会を行っているが、安い料金で若い人が少しでも多く生の音楽を聴けるような活動に参画していることも、この番組で紹介されていた。その堀米ゆず子の日本でのヴァイオリンの先生が江藤俊哉(1927年―2008年)だったのである。

 日本のクラシック音楽の演奏家の多くは海外留学をする。サントリーホールとか東京文化会館など、一流のコンサートホールで演奏する日本人演奏家のほとんど全てが海外留学の経験者である。まあ、東洋人が西洋音楽を演奏するのであるから、本場で修業するのは、当たり前と言えば当たり前の話だが、実は堀米ゆず子は、エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝する前には、海外の経験はなかったのである。つまり、日本の国内でクラシック音楽の勉強をし、本場に乗り込み、いきなり優勝したのである。当時、第1次審査の堀米ゆず子の演奏を聴いて、地元ベルギーの新聞は「ここに希有の天才が現れた」という書き出しで、彼女の演奏を絶賛した。このことからも海外留学は、必ずしも一流演奏家になるための絶対条件でないことが分かる。問題は受けた教育の"質”そのものにある。テレビで堀米ゆず子は「江藤先生は怖くてしょうがなかった」と語ると同時に今あるのは江藤先生のお陰とも語っていた。海外留学はあくまで手段であり、仮に日本にいても、正しい教育を受ければ一流のクラシック音楽の演奏家は育つのだということを、この放送は教えてくれていたように思う。(蔵 志津久)

コメント/トラックバック投稿 »


2010年12月03日

♪ 大阪交響楽団の音楽監督・児玉宏の「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」方針に共感 ♪


 NHN教育テレビで「オーケストラの森―創立30年 新たな名前で次の時代へ~大阪交響楽団~」(2010年11月28日放映)を途中から見ていたら、タネーエフの第4交響曲が児玉宏指揮の大阪交響楽団の演奏され、初めて聴くことができた。なかなか正統的な交響曲で、ドイツの伝統ある曲にも聴こえたし、一方ではチャイコフスキーの曲のようなロシア国民楽派の曲のようにも聴こえ、愉しむことができた。いずれにしても、滅多にコンサートでは聴けない曲(アマゾンなどでCDは購入できるようであるが)なのに何故放映されたのか?と不思議に思い見ていたら、2008年から大阪交響楽団の音楽監督に就任した児玉宏の「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」という方針の下、実現したということであった。

 考えてみれば、コンサートやテレビで放送される曲目は、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキーなどなど、すべて大昔から変わらない大家の作品ばかりで埋め尽くされている。もう、我々の頭に既成概念が出来上がり、著名でない作曲家については、文字通り「聴く耳持たず」とばかり無視してしまう。「それはないだろう」と立ち上がったのが児玉宏であったのである。曲目の斬新さもあり児玉宏が音楽監督に就任後、大阪交響楽団のコンサートの聴衆が増え始めているとうから驚きだ。「まあ、モーツァルトやベートーヴェンを演奏曲目にしておけば安泰」といった今のオーケストラ運営に、児玉宏が警鐘を鳴らしたとも取れるのである。

 児玉宏は、1952年生まれ。1975年桐朋学園大学を卒業し。齋藤秀雄、小澤征爾に師事した“斉藤門下生”の一人なのだ。大学卒業後すぐにドイツに渡り、劇場の下積みからキャリアをはじめたとあるから、文字通り本場仕込みの指揮者といえる。1996年ー2001年、バイエルン州立コーブルク歌劇場の音楽総監督を務めた。そして、2008年4月、大阪交響楽団(旧大阪シンフォニカー交響楽団)の音楽監督・首席指揮者に就任し、今日に至っている。これまでドイツでの指揮者活動が長かったので、日本での知名度はまだこれからといえるだろう。そんな児玉宏であるからこそ、日本の既成概念を破り、タネーエフという日本ではあまり馴染みのない作曲家の作品をコンサートの曲目に取り上げ、結果として聴衆から支持を受けるという、これまでのクラシック音楽界では考えられなかった“快挙”を成し遂げたと言えまいか。

 現在、コンサートで取り上げられる曲目が固定してしまっている一因は、一昔前に一大勢力を形成していた、いわゆる“現代音楽”にあると私は思っている。例えば、ジョン・ケージなどは、ピアニストが舞台に登場し、ピアノを弾かず退場し、それが音楽作品だと主張する。また、同じフレーズをピアニストが何百回と演奏する現代音楽もある。これらの作品自体を高く評価する音楽専門家はいるし、それはそれでかまわないと思う。ただ問題なのは、そんな“先進的な現代音楽”が分らないのは遅れているといった風潮が蔓延したことだ。このことで多くの健全な聴衆が現代音楽から離れていってしまい、結果として有名な作曲家の“安全な曲”しか聴かなくなってしまったのだ。そんな中で児玉宏の投げかけた「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」という方針は、大きな意味があると私は考えている。有名な作曲家の“安全な曲”以外の“隠された名曲”探しを、リスナー自身が始める時が来ているのではないかと思うが、いかがなものであろうか。(蔵 志津久)

コメント/トラックバック投稿 »