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2010年12月03日

♪ 大阪交響楽団の音楽監督・児玉宏の「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」方針に共感 ♪


 NHN教育テレビで「オーケストラの森―創立30年 新たな名前で次の時代へ~大阪交響楽団~」(2010年11月28日放映)を途中から見ていたら、タネーエフの第4交響曲が児玉宏指揮の大阪交響楽団の演奏され、初めて聴くことができた。なかなか正統的な交響曲で、ドイツの伝統ある曲にも聴こえたし、一方ではチャイコフスキーの曲のようなロシア国民楽派の曲のようにも聴こえ、愉しむことができた。いずれにしても、滅多にコンサートでは聴けない曲(アマゾンなどでCDは購入できるようであるが)なのに何故放映されたのか?と不思議に思い見ていたら、2008年から大阪交響楽団の音楽監督に就任した児玉宏の「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」という方針の下、実現したということであった。

 考えてみれば、コンサートやテレビで放送される曲目は、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキーなどなど、すべて大昔から変わらない大家の作品ばかりで埋め尽くされている。もう、我々の頭に既成概念が出来上がり、著名でない作曲家については、文字通り「聴く耳持たず」とばかり無視してしまう。「それはないだろう」と立ち上がったのが児玉宏であったのである。曲目の斬新さもあり児玉宏が音楽監督に就任後、大阪交響楽団のコンサートの聴衆が増え始めているとうから驚きだ。「まあ、モーツァルトやベートーヴェンを演奏曲目にしておけば安泰」といった今のオーケストラ運営に、児玉宏が警鐘を鳴らしたとも取れるのである。

 児玉宏は、1952年生まれ。1975年桐朋学園大学を卒業し。齋藤秀雄、小澤征爾に師事した“斉藤門下生”の一人なのだ。大学卒業後すぐにドイツに渡り、劇場の下積みからキャリアをはじめたとあるから、文字通り本場仕込みの指揮者といえる。1996年ー2001年、バイエルン州立コーブルク歌劇場の音楽総監督を務めた。そして、2008年4月、大阪交響楽団(旧大阪シンフォニカー交響楽団)の音楽監督・首席指揮者に就任し、今日に至っている。これまでドイツでの指揮者活動が長かったので、日本での知名度はまだこれからといえるだろう。そんな児玉宏であるからこそ、日本の既成概念を破り、タネーエフという日本ではあまり馴染みのない作曲家の作品をコンサートの曲目に取り上げ、結果として聴衆から支持を受けるという、これまでのクラシック音楽界では考えられなかった“快挙”を成し遂げたと言えまいか。

 現在、コンサートで取り上げられる曲目が固定してしまっている一因は、一昔前に一大勢力を形成していた、いわゆる“現代音楽”にあると私は思っている。例えば、ジョン・ケージなどは、ピアニストが舞台に登場し、ピアノを弾かず退場し、それが音楽作品だと主張する。また、同じフレーズをピアニストが何百回と演奏する現代音楽もある。これらの作品自体を高く評価する音楽専門家はいるし、それはそれでかまわないと思う。ただ問題なのは、そんな“先進的な現代音楽”が分らないのは遅れているといった風潮が蔓延したことだ。このことで多くの健全な聴衆が現代音楽から離れていってしまい、結果として有名な作曲家の“安全な曲”しか聴かなくなってしまったのだ。そんな中で児玉宏の投げかけた「日本で馴染みの薄い作品を積極的に取り上げる」という方針は、大きな意味があると私は考えている。有名な作曲家の“安全な曲”以外の“隠された名曲”探しを、リスナー自身が始める時が来ているのではないかと思うが、いかがなものであろうか。(蔵 志津久)

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