2013年3月15日
♪ 「創設50周年記念 レコードアカデミー賞のすべて」(「レコード芸術」編)を読んで温故知新!
音楽の友社から「創設50周年記念 レコードアカデミー賞のすべて」(「レコード芸術」編)が発刊された。その昔、まだ駆け出しのクラシック音楽リスナーであった私とっては、月刊「レコード芸術」に毎月掲載されるレコードの「新譜月評」は、掛け替えのない道しるべであった。
音楽評論家の先生達が、毎月情熱をもって、新発売になったレコードを評価する文章を読むと、まだ聴いていないレコードでも、何か耳元で聴いているような錯覚に陥ることもあったほど。時々、辛辣な評価も載っていて、そんなところが、公正な評価であるという印象を受け、毎月楽しみにしていたのである。
レコードアカデミー賞とは、毎月の「新譜月評」の集大成として毎年1月号の掲載され、過去1年間で発売されたレコードの中から選ばれる。つまり、その年のレコードアカデミー賞に選ばれることは、権威ある音楽コンクールで第1位を獲得したことにも匹敵する、とでも言えようか。
毎年、12月に発売される1月号のレコードアカデミー賞を見て、その年を振り返ることもしばしばであった。言ってみればクラシック音楽版紅白歌合戦とでもいった趣だ。同書で過去を振り返り、同時に、将来の名盤の出現に期待しよう。特に、日本人の演奏家の受賞盤が今後増えることを念じながら。(蔵 志津久)
コメント/トラックバック投稿 »
2013年3月13日
♪ サヴァリッシュさん、「幾多の名演をありがとう」そして「さようなら」
NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュが、2013年2月22日に亡くなった。享年89歳。高齢なので天寿を全うしたと言った方がいいのかも知れないが、私は、何か古い記憶がもぎ取られたような感じに捉われた。というのは、私のクラシック音楽リスナーライフにおけるサヴァリッシュ&N響の比重は、かなり高いものがあったからだ。当時、FMラジオ放送のクラシック音楽番組にダイアルを回すと、アナウサーの「今日は、ウォルフガング・サヴァリッシュさんの指揮、NHK交響楽団の演奏で、・・・をお送りします」という台詞が飛び込んでくることがしょっちゅうあった。つまり私は、サヴァリッシュ&N響の演奏で、多くのクラシック音楽の名曲を聴いてきたわけであり、いわば、私のクラシック音楽リスナーライフにおける先生役でもあったのだ。サヴァリッシュは、決して天才的な巨匠型の指揮者ではなかったと思うが、それこそ学校の先生みたいな風貌で、多くの日本のリスナーに親しまれた指揮者であった。演奏内容は、明快で分かりやすく、常に曲の核心に迫る名演を聴かせてくれていたことを思い起こす。
サヴァリッシュの存在は、第二次世界大戦後の日本のクラシック音楽界の発展にとって、大変幸せことであったのだろうと思う。当時は、今に比べ、まだまだクラシック音楽への国民の認識は低く、天才的指揮者よりも、クラシック音楽の楽しさを多くの人へ伝えてくれる指揮者が必要であったからだ。ヨーロッパは、オペラが主でオーケストラは従だとするなら、日本はその逆。つまり、オーケストラの質の高さが、わが国のクラシック音楽のバロメーターとなると言っても過言無かろう。そして日本のオーケストラの頂点に立つのがN響であり、N響の質を高めたキーマンがサヴァリッシュだったのだ。今、各オーケストラの音を聴き比べるとN響だけが、他のオーケストラとは異なる音色を出す。私は、これはサヴァリッシュがN響と共につくり上げた音色ではないかと考えている。サヴァリッシュとN響の結びつきはことのほか強く、サヴァリッシュは、日本での40年間にもわたる指揮活動で、N響以外のオーケストラを振ったことがなかったという。
3月10日(日)、NHKテレビ(Eテレ)でサヴァリッシュの追悼番組が放映されたが、その中で、健在の時にドイツで行われたインタビューで面白い話をしていた。日本に最初に来たとき、「オーケストラの前で指揮棒を振って、果たしてどんな音が出てくるのか、怖かった」と語っていたほど、当時の日本のクラシック音楽界の状況は、海外に知られてなかったのだ。さらに、「日本に着いて、言葉も文化も分からず、1週間でドイツに帰ろうと妻と二人で話した」という。それを救ったのがピアニストの園田高弘(1928年―2004年)で、園田から日本の文化や生活のことなどを聞き、ようやく日本を理解でき、その後は日本の文化や生活に敬意を持てたという。この番組で特に印象的であったのは、N響のベテラン団員達のサヴァリッシュへの哀悼の辞であった。サヴァリッシュ先生へ感謝の念を語っているうちに、大粒の涙を流す団員や「あの世で、サヴァリッシュ先生とオペラの演奏できればいいな」という団員。サヴァリッシュへ対する敬愛が、如何に大きいものであるかを窺わせていた。
サバリッシュは、1923年にドイツ南部ミュンヘンに生まれる。ドイツのアウクスブルクやアーヘンなどの歌劇場で活躍。バイロイト音楽祭で1957年から1962年まで指揮した。ケルン歌劇場音楽総監督(1960年―1963年)、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団音楽総監督(1961年―1973年) を経て、 1971年にバイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任。ウィーン交響楽団や米フィラデルフィア管弦楽団などでも活躍した。1964年からNHK交響楽団を指揮し、以後頻繁に来日。N響の名誉指揮者(1967年1月~1994年10月)の後、1994年11月から桂冠名誉指揮者の称号を贈られた。そんなサバリッシュが、40年の長きにわたって手塩にかけてきたN響は、今年の夏に4都市でヨーロッパ公演を行う。8月25日には、世界の檜舞台であるザルツブルク音楽祭から招かれ、同音楽祭で初めての演奏を披露することになっている。「サヴァリッシュさん、これまで多くの名演をありがとうございました。先生が多くの時間を割いて育てたN響は、今年の夏、ザルツブルク音楽祭に招かれ演奏しますよ。サヴァリッシュさんの指揮ぶりは、もう聴くことができなってしまったので、最後に『さようなら』を言わせていただきます」(蔵 志津久)
コメント/トラックバック投稿 »