2012年10月18日
たまたま、同じコンサートホール(東京都小金井市の「小金井市民交流センター」)において10日ほどの間隔で、小山実稚恵のピアノリサイタル(10月4日)と遠藤郁子のピアノリサイタル(10月15日)を聴く機会に恵まれた。2人とも単に技巧に走ることはせず、心のこもった演奏を常に心掛けているピアニストだ。両方のリサイタルとも期待にたがわず、“魂のピアノリサイタル”といってもいいほどの出来栄えで、来場者の満足げな雰囲気も感じ取ることができた。この小金井市民交流センターは今年オープンになったばかりのホールであり、「大ホール」という名が付いていても、実際は客席数578席とこじんまりとしたもの。ちなみに渋谷NHKホール3677席、東京文化会館2303席、サントリーホール2006席、東京オペラシティコンサートホール1632席であり、これらと比べると4分の1から5分の1の規模。
ところが、私のこれまでの経験からすると、ピアノリサイタルは規模の大きいホールは、どうもしっくりとこない。何かピアニストの微妙な息遣いみたいものが伝わってこないのだ。これに対し中小規模のホールは、ピアニストのすぐ側で聴いている感じを肌で感じ取ることができ、聴衆とピアニストとの一体感はいやが上にも高まる。今回も中小規模ホールの良さが存分に発揮されたピアノリサイタルとなった。しかし、経済的な点からすると、中小規模ホールでの演奏会は難しいことが多いのかもしれない。特に、海外からの来日演奏会では、経済効率が重視されることは容易に推察される。こうなると、これからは注意して、一流演奏家が中小規模ホールで演奏する機会を見逃さないようにするしかない。
小山実稚恵のピアノリサイタルのプログラムは、ショパン:ノクターン第2番/第13番、バラード第1番、ワグナー(リスト編):イゾルデの愛と死、バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ、フランク:前奏曲/コラールとフーガ、ショパン:バラード第4番/ポロネーズ第6番「英雄」であった。小山実稚恵のピアノ演奏はいつも実に暖かい。心の底から自然に湧き出してくる音を、ピアノの鍵盤を通して聴衆に訴えている。このコンサートのために小山実稚恵がチラシに書いた文章に、中規模ホールで演奏する彼女の思いが伝わってくる。「コンサートは一期一会。演奏も、ピアノの響きも、ホールの空気感も、すべてはその場に居合わせる人の世界です。・・・(中規模ホールのため)客席では演奏者の息遣いまで感じられるダイレクトな音が体感でき、また舞台上では聴衆の方たちの気がヒシヒシと伝わってくるような密度の濃い響きを感じ取ることができます。・・・」と。
一方、遠藤郁子のピアノリサイタルは全てショパンで、プレリュード第7番、ノクターン第2番/第5番、即興幻想曲第4番、バラード第1番、スケルツォ第2番、マズルカ第47番/第48番/第1番/第2番/第5番/第23番、ワルツ第1番「華麗なる大ワルツ」、アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズが演奏された。1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールにおいて、遠藤郁子が特別銀賞を受賞した直ぐ後に発売されたショパンのノクターン集のLPレコードを、私は、今でも愛聴している。遠藤郁子は死線をさまよう大病を患うが、奇跡の復活を遂げた。「2010年ショパン生誕記念全曲演奏会」に対しては、ポーランド国立ショパン研究所からショパンブロンズ胸像を受章するなど、現在では演奏活動を積極的に展開している。実際のピアノ演奏を聴いてみると、死線をさまよう大病を経験した人の演奏とは到底思えない、ピアノタッチの力強さにびっくりさせられた。
今回、たまたま、中規模ホールで2人のピアニストの演奏を聴いたわけであるが、技巧第一の風潮が強い中、小山実稚恵と遠藤郁子の存在は、誠に貴重であると思う。心のこもった演奏がどれほど人の心を打つものであるかを、中規模ホールの良さと共に実感できたピアノリサイタルであった。(蔵 志津久)