クラシック音楽 音楽の泉


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2012年6月14日

♪ ヒラリー・ハーンそしてパーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団に感謝!


 

 今を時めく指揮者パーヴォ・ヤルヴィとドイツのオーケストラであるフランクフルト放送交響楽団の演奏会が、6月7日(木)にサントリーホール(東京・六本木)で行われるというので聴きに行くことにした。当日は、これも“今が旬”のヴァイオリニストであるヒラリー・ハーンが、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾くというではないか。これは是非聴いてみたいということになったわけである。

 席は2階のやや左側。コンサート会場で音が一番いいのが2階席か3階席の正面である。皇室の方が聴かれるのもこの辺の席である。この場合は多分音質というより、セキリュティ上の問題であろうかと思うが。そんなわけで、私は最近コンサートを聴く場合は、2階席か3階席の正面をターゲットにしている。1階席はあまり前だと音が“聴こえ過ぎて”よくないし、1階席の半分より後ろの席は、音がよく聴こえないし(音が頭の上を通過する感じ)演奏者の姿も見えにくい。それだったら2階席以上の上の階の方がずっといい。でも席がなくなるのは、いつも大体1階席からであるのは実に不思議なことではある。

 演奏が始まった。ヒラリー・ハーンは“今が旬”のヴァイオリニストらしく、ステージに登場したその時から、既に会場全体の雰囲気が盛り上がっていくのが肌で感じられた。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲自体はもう耳たこのように何回も聴いてきたので、そう感動するものではないが、ヒラリー・ハーンがどう弾きこなすか見もの(聴きもの)であった。ヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏は、かなりハリがあって、全体にピンと緊張感が漂うものであると同時に、私には、水墨画を見ているような“幽玄”な趣も強く感じられた。若いヴァイオリニストにありがちな、力ずくで弾きこなすといったことは微塵も感じられない。かと言って情緒纏綿に弾き切るわけでもない。私には、ヒラリー・ハーンがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏するに当たって、自分のイメージの上に再構築しながら弾いていたように聴こえ、聴き応え十分であった。

 さらにアンコールで弾いた2曲のバッハの無伴奏ヴァイオリン曲も絶品の出来栄えで、会場全体が緊張感で静まり返っていたほど。ヒラリー・ハーンは度々来日し、アンコールの曲目紹介も日本語でする。気軽にサイン会も行う。東日本大震災の時は、支援コンサートをアメリカで度々行ったという。これらのことは、子供の頃、スズキメソッドでヴァイオリンを習ったことが、何か関係しているのであろうか。

 そして次は本日のメーンイベントである、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のフランクフルト放送交響楽団によるブルックナーの交響曲第8番である。「ブルックナーの交響曲はどれも同じに聴こえる」と言い放った人がいたが、言いえて妙とでも言ったらよいのであろうか。第4番や第9番はしばしば演奏されるが、第8番はそう演奏される機会も多くないし、自宅でブルックナーの第8番をしょっちゅう聴いているというリスナーもそんなにいないのではないか。何しろ演奏時間が70分を超え、長いのが最大の関門だ。ブルックナーが作曲した時代の時間の感覚と、現代の我々の感じる時間の感覚自体が違うのだと私は思う。ブルックナーが生活していた時代は、時間はたっぷりとあり、現代人みたいに忙しくないので、第8番の長さは今感じるほどでもなかったと思う。

 パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏は、ブルックナーに正面から取り組み、一部の隙もない緻密な演奏であった。同時に強烈なエネルギーの発散みたいなオーケストラの咆哮を聴くことができ、久しぶりに溜飲が下がった思いがする。ドイツのオーケストラの真骨頂みたいなものが聴き取れたのである。パーヴォ・ヤルヴィの指揮は、堂々と曲に正面から取り組む姿勢が素晴らしい。要するに横綱相撲なのである。今後のパーヴォ・ヤルヴィの活躍には目(耳)が離せないと感じた。久しぶりに満足のいくコンサートに出会えて、ヒラリー・ハーンそしてパーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団に感謝!(蔵 志津久)

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