2014年6月08日
悲しき口笛 藤浦 洸・詩/万城目 正・曲/田代与志・編
越後獅子の唄 西条八十・詩/万城目 正・曲・編
あの丘越えて 菊田一夫・詩/万城目 正・曲/松尾健司・編
リンゴ追分 小沢不二夫・詩/米山正夫・曲・編
津軽のふるさと 米山正夫・詩・曲・編
ひばりのマドロスさん 石本美由起・詩/上原げんと・曲・編
港町十三番地 石本美由起・詩/上原げんと・曲・編
浜っ子マドロス 星野哲郎・詩/石本美由紀・補詩/船村 徹・曲・編
哀愁波止場 石本美由起・詩/船村 徹・曲・編
無法松の一生 吉野夫二郎・詩/古賀政男・曲/佐伯 亮・編
悲しい酒 石本美由起・詩/古賀政男・曲/佐伯 亮・編
人生一路 石本美由起・詩/かとう哲也・曲/佐伯 亮・編
みだれ髪 星野哲郎・詩/船村 徹・曲/南郷達也・編
川の流れのように 秋元 康・詩/見岳 章・曲/竜崎孝路・編
戦後(第2次世界大戦後)の日本を代表する歌手はと問われれば、今は既に年配となった多くの人々は、当時“歌謡界の女王”として君臨した美空ひばり(1937年ー1989年)の名を挙げるであろう。終戦直後の1946年、美空ひばりはNHKラジオ「素人のど自慢」に出場し、当時多くの国民に愛唱されていた「リンゴの唄」を予選で歌い、歌手人生のスタートを切った。1954年「ひばりのマドロスさん」で第5回NHK紅白歌合戦に初出場。1955年には江利チエミ、雪村いづみとともに東宝映画「ジャンケン娘」に出演するなど映画界のスターとしても人気を博した。1960年、「哀愁波止場」で第2回日本レコード大賞歌唱賞を受賞、この頃から“歌謡界の女王”と言われるようになり、丁度東京オリンピックと重なり、1965年にかけて「柔」が大ヒットし、この曲で1965年第7回日本レコード大賞を受賞する。以後「悲しい酒」「芸道一代」「真赤な太陽」と、立て続けにヒット作品を生む。しかし晩年になり、美空ひばりの体を病魔が襲い始め、1989年2月7日の福岡県北九州市小倉での公演が生涯最後のステージとなってしまった。この時は、廊下からステージに入る間の、わずか数センチの段差も1人では乗り越えられなかったほどの体で、全20曲を歌い終えたという。通算レコーディング曲数は、1,500曲(オリジナル楽曲517曲)に及んだ。没後の1989年には国民栄誉賞を受賞。美空ひばりは、まさしく戦後の日本を代表する不世出の大歌手であった。