クラシック音楽 音楽の泉


2011年2月23日

♪ 朝比奈隆から大植英次そして大阪フィル2011年東京公演 

 大植英次指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団の東京公演が、2011年2月20日にサントリーホールで開催されるというので聴くことにした。曲目はショスタコーヴィッチの交響曲第9番とブルックナーの交響曲第9番である。お目当ては、大植英次がどうブルックナーの交響曲第9番を振るのかということに尽きる。私は、ショスタコーヴィッチの第9交響曲については印象が薄く、何で今回のコンサートで取り上げるのかイマイチ納得がいかないまま、演奏が始まってしまった。演奏自体は細部にわたって実に丁寧に音が鳴り響き、大植英次の指揮ぶりも中庸をえた安定したもので、じっくり聴かせたといった感じであった。しかし、演奏が終わっても、私にとって、このショスタコーヴィッチの交響曲第9番は正体不明のシンフォニーであることには変わりはなかった。一説では、ショスタコーヴィッチがベートーヴェンが第9交響曲で終わってしまったジンクスをクリアーしようと、わざと力を抜いて作曲したとも言われている。これから何回聴くか分らないが、私にとってこのシンフォニーは永久に謎で終わりそうだ。

 そして、ようやくお目当てのブルックナーの交響曲第9番が始まった。大植英次は指揮台で祈るような姿勢で指揮をゆっくりと始める。私は「おゃ」という思いがした。あの大植英次なら第1楽章から大上段に振りかぶって、全力疾走するに違いないと勝手に考えていたが、どうも早とちりしてしまったようなのだ。大植はじっくりと手綱を絞り込み、豊かな自然の中、伸び伸びと散策でもしているような雰囲気を醸し出し、会場の雰囲気を和ませる。そして、第2楽章に入るのだが、今度ばかりは大植の本領発揮で、大阪フィルのメンバーの能力をフル発揮させ、地の底から鳴り響くような凄みのある迫力で、会場全体をオーケストラの音で包み込む。迫力と深みのある音が聴衆に襲い掛かってくるようだ。この辺は絶対ナマの演奏でしか聴けない醍醐味だ。さらに、第3楽章も第2楽章の余勢をかって、高揚感を感じさせる演奏だが、どことなく第1楽でみせた和やかな雰囲気も時折組み込みながら、バランス良く、しかもスケールを大きく描きながら終えた。そして、ブラボーが聴こえる中、大植英次は何度もカーテンコールに現れたのだった。

 大阪フィルの音は非常に明確で、良く訓練されたオーケストラだな、という印象を受けた。特に感心したのが、ブルックナーの音楽を自分達の音楽として完全に消化していることである。東京を拠点とするオーケストラは、その演奏技術では秀でているかもしれない。あるいはどんな曲でも器用に弾きこなす点では地方オーケストラ(私はあまり好きではない呼び方だが)より一日の長があるのかもしれない。しかし、それらの技量が西洋音楽の紹介といった中途半端な立場から抜け出てないように聴こえてならない。”個性のないオーケストラ”、東京を拠点にするオーケストラをこう評しては怒られるのだろうか。今回の大阪フィルの演奏を聴いて、オーケストラに個性はなくてはならないもの、ということを私は強く印象付けられた。単にブルックナーの音楽を紹介しようとするのではなく、「今のの日本人である我々はこうブルックナーを解釈して、その結果こう表現したい」と大植英次&大阪フィルは、聴衆一人一人に直接語りかけているみたいに私は感じた。その結果、ブラボーの歓声も飛び出す聴衆の大満足(私もその一人)だったのだ、と私は一人で勝手に今納得している。

 その背景には、朝比奈隆(1908年―2001年)の存在の大きさが改めて感じられる。朝比奈は、正規の音楽学校で音楽を習ったわけでなく、見よう見まねで個別の先生から音楽を取得していき、最後に指揮者に辿りついた。そして1947年には、現在の大阪フィルの母体となる関西交響楽団を結成している。そんな経歴が、単に西洋音楽を紹介する、といった平凡な動機ではなく、自分達の音楽をつくろう、といったような独立心旺盛な音楽環境を目指すことなったのではないかと思う。こう考えると朝比奈隆が正規の音楽学校で学ばなかったことが、今の大阪フィルの自立心みたいなものを生み出したのではなかろうか。一方、2003年から朝比奈隆の後を継いだ大植英次は、2005年に東洋人の指揮者として初めてバイロイト音楽祭の本公演でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、同音楽祭の歴史に足跡を残すなど、西洋音楽の本流を歩んできた。ある意味で朝比奈隆の夢を大植英次が実現したともいえるのだ。そんな2人の指揮者の歴史があってこそ、今回の大阪フィルのブルックナーの第9交響曲の演奏が聴衆から熱い支持を受けたのだと私は思っている。これからのオーケストラは、いかに個性的な演奏をするかが鍵を握っているように思えてならない。それにしても、大植英次&大阪フィルの演奏を聴いて、「ブルックナーの音楽は、何と日本の空気に馴染むことよ」と感じ入った次第である。そして、日本の寺院でブルックナーの演奏会を開催しても絵になるなぁ、とも思った。(蔵 志津久)

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