2017年5月25日
♪ デューク・エイセス、今年の12月末で活動を終了
男声コーラスグループのデューク・エイセス(谷 道夫、槙野義孝、大須賀ひでき、岩田 元)は、活動を今年の12月末で終了すると発表した。
デューク・エイセスは、昭和30年(1955年)8月にグループ結成以来、現在まで62年間にわたり演奏活動をしてきた。
男声コーラスグループのデューク・エイセス(谷 道夫、槙野義孝、大須賀ひでき、岩田 元)は、活動を今年の12月末で終了すると発表した。
デューク・エイセスは、昭和30年(1955年)8月にグループ結成以来、現在まで62年間にわたり演奏活動をしてきた。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の2017年「JASRAC賞」(2016年度の分配額1位の国内作品)の金賞は、中島みゆきが作詞・作曲を手がけた「糸」が受賞した。
「奏楽堂日本歌曲コンクール」は、5月28日に台東区生涯学習センターミレニアムホール(東京都 台東区西浅草3-25-16) で 本選が行われる。
本選は、第28回歌唱部門と第24回作曲部門で開催。
全国最大の日本歌曲のコンクールを目標とする第1回「日本歌曲コンクール」(主催:座間市スポーツ・文化財団、ドイツ歌曲普及協会)がハーモニーホール座間(神奈川県座間市)で行われ、小林実佐子(ソプラノ、東京芸大大学院修了)が優勝した。
審査結果は次の通り。
【第1位】小林実佐子
【第2位】金子美香
【第3位】杉山知勢子
【聴衆者賞】又吉秀樹
【優秀共演者賞】篠宮久徳、田中悠一郎
【奨励賞】高橋千夏
昭和の歌をこよなく愛する、平成生まれの双子姉妹デュオ「山田姉妹」がデビューした。CD「あなた~よみがえる青春のメロディー」の発売を記念して、東京・銀座の王子ホールでのデビュー公演では、1部で、モーツァルトの歌劇「魔笛の独唱用のアリア」をデュオ用に編曲した曲を歌った後、2部では、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、小坂明子の「あなた」、荒井由美の「ひこうき雲」・・・など昭和の歌を披露した。「山田姉妹」は、共に音楽大学出身の本格的ソプラノ歌手としてクラシック音楽の名曲を歌うと同時に、昭和の歌であるポップス調のヒット曲も歌う、という幅の広さが身上のデュオだ。
通常、クラシック音楽出身の歌手がポップス調の歌を歌うと、曲そのものがたちどころに居住まいを正した雰囲気になってしまうのが常であるが、「山田姉妹」は違うのだ。「山田姉妹」がクラシック音楽の名曲を歌うときは、純クラシック調な雰囲気で歌い上げる一方、ポップス調の歌を歌いだすと、たちどころにスイング感をたっぷりと持ったポップス調に変化させてしまうのには感心させられる。クラシック音楽出身の新しい昭和の歌の歌い手の今後の活躍に期待したい。
デビューアルバムは、「昭和の時代に生まれて、その時、この歌を歌いたかった」というほどに、生まれる前の時代の歌を愛してやまない山田姉妹が吟味した13曲。山田姉妹は、1991年12月24日生れ、神奈川県出身の二卵性の双子ソプラノデュオ。姉の華は、東京藝術大学声楽科卒業。在学中に安宅賞受賞。第63回瀧廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール優良賞受賞。2011年度ミス鎌倉。
妹の麗は、国立音楽大学声楽科及びオペラソリストコースを首席卒業。卒業時に武岡賞を受賞。第84回読売新人演奏会に出演。女優としてTBS「3年B組金八先生」等に出演。NHK大河ファンタジー「精霊の守り人Ⅱ」“聖なる怒り~光の牙”のサウンドトラックを担当。
二期会オペラ研修所マスタークラス修了時、共に優秀賞を受賞。現在BS-TBS「日本名曲アルバム」出演中。(蔵 志津久)
◇
~CD 山田姉妹 満を持してのデビューアルバム よみがえる青春のメロディー~
翼をください 作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦 (赤い鳥 1971年)
雨やどり 作詞・作曲:さだまさし (さだまさし 1977年)
結婚しようよ 作詞・作曲:吉田拓郎 (吉田拓郎 1972年)
おはなし 作詞:遠藤侑宏 作曲:田村守 (キャッスル&ゲイツ 1969年)
あなた 作詞・作曲:小坂明子 (小坂明子 1973年)
見上げてごらん夜の星を 作詞:永六輔 作曲:いずみたく (坂本九 1963年)
木綿のハンカチーフ 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 (太田裕美 1975年)
風 作詞:北山修 作曲:端田宣彦 (はしだのりひことシューベルツ 1969年)
誰もいない海 作詞:山口洋子 作曲:内藤法美 (トワ・エ・モワ 1970年)
なごり雪 作詞・作曲:伊勢正三 (かぐや姫/イルカ 1974年)
ひこうき雲 作詞・作曲:荒井由実 (荒井由実 1973年)
切手のないおくりもの 作詞・作曲:財津和夫 (ペギー葉山/財津和夫 1977年)
この広い野原いっぱい 作詞:小薗江圭子 作曲:森山良子 (森山良子 1967年)
歌:山田姉妹(ソプラノ:山田 華、山田 麗)
ピアノ:木村トモカ、Momo、内門卓也、林そよか
ギター:松尾駿介
CD:日本コロムビア COCQ‐85333
公益財団法人「座間市スポーツ・文化振興財団」と一般財団法人「ドイツ歌曲普及協会」は、第1回日本歌曲コンクールを開催(本選:2017年4月23日)する。
これは、青少年及び広く一般に向けて音楽文化に対する理解を深め、 日本歌曲の認知度を高め、プロ・アマチュアを問わず声楽を勉強される方に披露・活躍の機会を設け、一層の日本の音楽文化の普及と座間の地域発展を目指すもの。
◇
【主 催】 公益財団法人「座間市スポーツ・文化振興財団」
一般財団法人「ドイツ歌曲普及協会」
【会 場】 ハーモニーホール座間(第1次予選・第2次予選・本選:大ホール)
神奈川県座間市緑ケ丘1-1-2 小田急線「相武台前」駅下車徒歩15 分
【参加資格】 2017年4月1日現在、年齢満16歳以上(20歳未満は保護者の同意が必要)。
国籍、学歴、音楽歴は問わない。
【応募方法】 所定の申込用紙に必要事項を記入し、(参加料振込日明記のうえ)期日までに下記「応募係」宛に郵送のこと(参加料入金確認後受付完了)。
【応募先】〒252-0021 神奈川県座間市緑ケ丘1-1-2 ハーモニーホール座間内
TEL:046-255-1100 FAX:046-252-8787
(公財)座間市スポーツ・文化振興財団
「座間歌曲祭2017~第1回日本歌曲コンクール」応募係 宛
【受付期間】 2016年11月1日(火)~ 2017年2月28日(火)(必着・送付受付のみ)
【コンクール日程】第一次予選 日時:2017年4月17日(月)・18日(火)11:00~19:00
第二次予選 日時:2017年4月20日(木)11:00~19:00
本選 日時:2017年4月23日(日)14:00~17:00(13:00開場)
表 彰 式 日時:2017年4月23日(日)18:30~19:30(本選会終了後、会場にて発表)
【表彰】 賞金及び表彰状は次の通り。
第一位: 賞状、賞金50万円(1名)
第二位: 賞状、賞金20万円(1名)
第三位: 賞状、賞金10万円(1名)
聴衆者賞: 賞状(1名※本選会で聴衆の方が好感を持った演奏者に与えられる。)
優秀共演者賞
(ピアニスト): 賞状、賞金5万円(1名)
奨励賞: 賞状、賞金5万円
【審査員】審査員長 小松英典(ドイツ連邦共和国認定終身教授/ドイツブレーメン芸術大学教授)
【後 援】 座間市/座間市教育委員会
【主 催】 公益財団法人 座間市スポーツ・文化振興財団
〒252-0021 神奈川県座間市緑ヶ丘1-1-2
TEL:046-255-1100 FAX:046-252-8787
一般財団法人 ドイツ歌曲普及協会
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2丁目2-3アライヴ人形町
TEL:03-3249-6788 FAX:03-5695-0125
2016年は、作曲家の山田耕筰(1886年―1965年)の生誕130年に当たる。これを記念して発売されたのがこのCDで、山田の活躍した時代に歌い、世に広めた当時のクラシック系の歌手、大衆歌謡のトップ歌手と童謡歌手の歌唱を収録。
◇
~山田耕筰の“歴史的名唱集”~
<Disc 1>
かやの木山の 藤原 義江
かえろかえろと 藤原 義江
からたちの花 藤原 義江
捨てた葱 藤原 義江
松島音頭 三浦 環
佐渡の金山 三浦 環
からたちの花 荻野 綾子
城ヶ島の雨 荻野 綾子
この道 柴田 秀子
からたちの花 関屋 敏子
中国地方の子もりうた ベルトラメリ 能子
六騎 ベルトラメリ 能子
野薔薇 浅野 千鶴子
鐘がなります 宮川 美子
からたちの花 加古 三枝子
中国地方の子もりうた 三枝 喜美子
海の向う 伊藤 武雄
箱根八里は 奥田 良三
ふなうた 牧 嗣人
曼珠沙華 徳山 璉
<Disc 2>
ペィチカ 藤原 義江
赤とんぼ 原 信子
この道 藤山 一郎
赤とんぼ 松原 操
待ちぼうけ 松田 トシ
赤とんぼ 二葉 あき子
あわて床屋 辻 輝子
砂山 辻 輝子
おかしの汽車 宮下 晴子
すかんぽの咲く頃 金子 一雄
赤とんぼ 金子 一雄
あゝ若き日よ 伊藤 久男
むかしの仲間 木下 保
のぼる朝日に照る月に 松原 操
燃ゆる大空 霧島 昇/ 藤山 一郎
全国中等学校優勝野球大会行進歌 内本 実
明治大学校歌 伊藤 久男
国際オリンピック選手派遣応援歌ー走れ大地をー 中野 忠晴
風が泣いてる 美空 ひばり
山の小駅 美空 ひばり
ペチカ・ナレーション 美空 ひばり
作曲:山田耕筰
ピアノ:山田耕筰
指揮:山田耕筰
管弦楽:コロムビア交響楽団
CD:日本コロムビア COCP39671~2
~クミコ/イカルスの星―越路吹雪を歌う~
愛の賛歌
サン・トワ・マミー
ちょっとおたずねします
家へ帰るのが怖い
イカルスの星
忘れたいの (セ・ラ・ヴィ)
愛の追憶
アプレ・トワ
誰もいない海
ジジ・ラモローゾ
夢の中に君がいる
ラスト・ダンスは私に
歌:クミコ
CD:avex io IOCD 20086
シャンソンは、フランス語で歌全般を意味し、特定のジャンルの歌を指すわけではない。しかし、我々日本人がシャンソンという場合は、1960年代までに流行した歌謡曲としてのシャンソンを言う。一部には海外で流行った歌がフランスに入ってシャンソンとして歌われることもあったようだが、いずれにしても、通常シャンソンは、フランス語の詩にフランス人が作曲し、フランス人の歌手が歌うわけである。先頃引退したフランスを代表するシャンソン歌手のジュリエット・グレコのコンサートを聴く機会があったが、社会を鋭く風刺したような歌も数多く含まれ、日本で言う歌謡曲とは少々趣が異なるようだ。ことほど左様に、どう考えてもシャンソンに日本人が入り込む余地などあまりないはずであるのだが、フランス語の詩を日本人が翻訳して、日本人の歌手がシャンソンを歌うと、たちどころに“日本の歌”に変身してしまうから不思議な話だ。アメリカの歌やイタリアの歌では、こうはいかない。このCDは、シャンソン歌手として一世を風靡した越路吹雪の持ち歌を、クミコが独自の味わいでカバーした一枚のアルバムである。越路吹雪の歌うシャンソンは、日本人のフィルターを通した“日本の歌”であったと私は思うが、クミコの歌う「越路吹雪のシャンソン」も、現代的センスを色濃く持った“日本の歌”のように私には聴こえる。フランス生まれのシャンソンを“日本の歌”として聴いても罰は当たるまい。(蔵 志津久)
~魂の歌 新垣 勉 ベスト・コレクション~
さとうきび畑
千の風になって
見上げてごらん夜の星を
芭蕉布
てぃんさぐぬ花
白百合の花が咲く頃
アヴェ・マリア(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より)
愛の喜び
赤とんぼ
私と小鳥と鈴と
涙そうそう
風に吹かれて
夢路より
愛燦燦
千の風になって(ライヴ・ヴァージョン)
歌:新垣 勉
放送作家・作詞家の永六輔が7月7日に亡くなった。作詩家としての永六輔の代表作「見上げてごらん夜の星を」(作曲:いずみたく、編曲:篠原敬介)を聴いてみたいと思いCDボックスを見てみたら、新垣 勉のCD「魂の歌 新垣 勉 ベストコレクション」の中にあるのを見つけ、久しぶりに「見上げてごらん夜の星を」聴いてみた。これほど曲と詩とが融合した歌は滅多にないというほど完成度の高い作品であることに今さらながら感じ入った。ところで、この曲を歌っている新垣 勉の前半生ほど壮絶なものはなかろう。新垣 勉は、沖縄で在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。出生後まもなく不慮の事故で全盲となってしまう。1歳の時に両親が離婚し、父親は帰国。母親は再婚したため、母方の祖母に育てられるが、その祖母も14歳の時亡くなり、天涯孤独の身となってしまうのだ。そんなある時、ラジオから流れてきた賛美歌を聴き教会に行き、これが切っ掛けとなり、牧師と声楽家になることを目指し始める。34歳で武蔵野音楽大学に入学し、牧師への道と同時に、本格的に声楽家への道も歩み始める。持ち前の澄んだ歌声がたちまち人気を集め、全国各地でのコンサート活動やCDの発売によって、現在の歌手としての地位を築くことになる。我々は毎日文句ばかりを言う。しかし、新垣 勉が全盲に加え天涯孤独という逆境を跳ね除けたことを思うと、我々の悩みなんかちっぽけなものだと思わざるを得ない。新垣 勉の歌声はほんとに澄んでいて暖かい。(蔵 志津久)
~ザ・ピーナッツ ベスト&ベスト デラックス~
可愛い花
情熱の花
ふりむかないで
恋のバカンス
銀色の道
心の窓にともし灯を
ウナ・セラ・ディ東京
東京の人
大阪の人
愛のフィナーレ
恋のフーガ
上を向いて歩こう
歌:ザ・ピーナッツ(伊藤エミ・伊藤ユミ)
CD:キングレコード SBB-307
双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の妹の伊藤ユミが、2016年5月18日に亡くなった。
姉の伊藤エミは既に2012年に亡くなっているので、これで「ザ・ピーナッツ」の二人は、過去の人になってしまった。
テレビで「ザ・ピーナッツ」が大活躍していた時に青春時代を送った者の一人として、残念としか言いようがない。
第二次世界大戦後の暫くは、日本が欧米のポピュラー音楽を盛んに導入し、そしてそれらの音楽を学び、逆に日本人の手で、作詞・作曲そして歌うといったサイクルが幾度か繰り返され、日本にポピュラー音楽が徐々に根付くようになって行った。
そんな環境の中で双子デュオの「ザ・ピーナッツ」は、誕生し、育っていった。
ちょうど、日本が高度成長期を迎えようとしていた頃の話だ。
「ザ・ピーナッツ」は、明るくはつらつとした歌声、リズム感たっぷりの抑揚、それに加えて愛らしいルックスで、当時、多くの人々の心を捉えた。
そして、何よりも二人の息がぴたりとあっていることには本当に驚かされた。
その結果、現在では「『ザ・ピーナッツ』は日本のポピュラーソングを世界レベルまで高めた」と高い評価を受けている。
完璧といっていいほど完成度の高い歌唱力を身に付け、最後の頃には、海外(ドイツなど)にも活躍の場を広げるなど、日本の音楽の海外進出の先陣の役割も果たしたのだった。
そんな「ザ・ピーナッツ」の二人は、もういない。寂しい限りだ・・・。 蔵 志津久