クラシック音楽 音楽の泉


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2010年11月11日

♪ 連休最終日にイーヴォ・ポゴレリッチのコンサートを聴いてはみたが・・・ ♪


 イーヴォ・ポゴレリッチは1958年ロシアのベオグラード生まれのピアニストである。その彼に一躍世界中の注目が集まったのはショパン国際コンクールであった。といっても上位に入賞して注目を浴びたわけでないから面白い。

 1980年のショパン国際コンクールの本選を前に落とされ、このことで審査員の間で論争が起こり、抗議して帰国してしまう審査員も出たそうである。その中の一人に、かの有名なマルタ・アルゲリッチがいたことがポゴレリッチを一躍時の人にしてしまったのだ。アルゲリッチは無名のポゴレリッチを「だって彼は天才よ!」と言ってのけたというのだ。

 そのポゴレリッチが、確か3年ぶりに来日して、サントリーホールでリサイタルを開くというので聴きに行ってみた。現在“ピアノ界の異端児”として自他共に認める(?)ポゴレリッチが果たしてどんな演奏を聴かせてくれるのか、半分興味津々、半分恐る恐るで出かけて見ることにした。

 大ホール内は、ゴールデンウィークの最終日というハンディ(?)にもかかわらず、ほぼ満席の状態で人気のほどが窺える。

 さて、演奏であるが、これがまた凄まじかった。クラシック音楽の常識をひっくり返すような、破天荒なピアノ演奏をやってくれた。ショパンの夜想曲から始まったのであるが、まあ、これはこれなりにあるかな、といった許容範囲内であったように感じられたが、ショパンのピアノソナタ第3番が始まると「はてこの曲は誰のなんていう曲?」と隣の人に聴きたくなるまでに、変貌を遂げてしまったのだ。

 ショパンの曲は、「花束の奥に大砲が隠されている」と言った表現が使われるが、その日のポゴレリッチの演奏は、正に花束を隠して大砲を前面に描き出したように私には感じられた。であるからして、破天荒な弾き方であっても、これはこれでありかな、とこれも肯定的に捕らえ、後半の演奏に期待をつなぐことにした。

 後半の最後のラヴェルの「夜のギャスパール」の演奏も、破天荒な演奏で、ほとんどラヴェルとは思えないものに変貌を遂げていた。しかし私はそんな新解釈があっても決して悪くないと思う。私にとって問題は、ピアノを鍵盤楽器ではなく、打楽器化したことだ。私は、これはやりすぎで、許容外になるのではないのかと思う(現代音楽ではしばしばやるのだが)。

 過去の伝統的なクラシック音楽を、ジャズ(ラヴェルなどは影響を受けたが)やロックや現代音楽風に新しく解釈し直して演奏することは、果たして何を意味するのか。ポゴロレチがそうであるとは言わないが、古いクラシック音楽を現代に蘇らそうとして、彼なりの挑戦をしているようにも見えるのも事実なのだが・・・。最後の演奏が終わり、アンコールの拍手のとき、少数ではあるが、スタンディングオベーションをする聴衆がいた。おそらくポゴレリッチの熱烈なファンなんであろう。そんなファンを2階席から眺めているとき「異端児が将来、正統として認められることだってあるよ」という悪魔のささやきが、私の頭の片隅をほんの一瞬よぎった。(蔵 志津久:10/5/10)

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