2011年7月21日
日系二世で2010年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任したアラン・ギルバート(1967年ニューヨーク生まれ)が、ニューヨーク・フィル音楽監督就任後初めて来日し、東京都交響楽団を指揮した。会場は東京・赤坂のサントリーホール。アラン・ギルバートはこれまで度々来日し、N響などを指揮しているのでその演奏を聴いている方もおられるだろうが、私は初めてである。あまりCDも見かけないので、一度はその指揮ぶりを聴いてみようということで、出かけてみることにしたわけである。当日の曲目は、ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲、ドイツの俊英フランク・ペーター・ツィンマーマンのヴァイオリンによるベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」、そして、最後にブラームス:交響曲第1番というラインアップ。
最初のブラームス:ハイドンの主題による変奏曲は、私には、何かウォーミングアップみたいに聴こえ、残念ながら特別な特徴が、その棒さばきからは聴きとることはできなかった(私一人であるのかもしれないのだが)。しかし、もしかするとアラン・ギルバートは、後半追い上げ型の指揮者なのか、次のベルク:ヴァイオリン協奏曲に入ると、誠に幻想的な伴奏に徹し、ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンと息がピタリと合い、この類稀な美しさを備えたヴァイオリンコンチェルトを見事に指揮して見せたのである。ツィンマーマンは、現在、ニューヨーク・フィルのレジデント・アーティストを務め、ギルバートとは個人的な交流を含めて親密な間柄ということを後で知り、さもありなんと一人納得したわけである。この日の演奏会は、ギルバートの指揮を聴きに行ったわけなのであるが、結果的にツィンマーマンの名演を聴き、さらに2人のコンビネーションに感心したという、通常の演奏会の2倍の楽しみを味わうことができた。
そして、最後にギルバート指揮でブラームス:交響曲第1番が始まった。一体どんな指揮ぶりを聴かせてくれるのかと、私は2階の席に座り、興味津々であったことは言うまでもない。ところで一般的に2階の、それも壁際の席が一番良い音が聴こえるのに、1階の席から埋まっていくのは一体何故だろう?などという、実につまらぬことを考えながら聴き進んで行ったのである。結論から言うと、ギルバートの指揮は、従来の伝統的なブラームス像に埋もれることなく、実に新鮮ではつらつとしたブラームス像を創造することに成功した。東京都交響楽団もそんなエネルギッシュなギルバートの指揮に敏感に反応し、生き生きとした演奏を繰り広げた。ギルバートはアメリカで生まれ育ち、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任したわけで、ある意味では、ヨーロッパの伝統に足を引っ張られることなく、現代のアメリカの空気に最も馴染むブラームス像を新たに再構築することができたのではないだろうか。ここまで聴いてアラン・ギルバートが、今回何故ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任したのかが何となく分ってきた。この姿勢で今後も指揮を続けて行けば、多分ギルバートは世界のクラシック音楽界の新しい旗手の一人に成長を遂げるであろう。
ギルバートの父は、ニューヨーク・フィルの元ヴァイオリン奏者であり、母は現在ニューヨーク・フィルでヴァイオリニストを務める建部洋子さん。建部洋子さんは、1942年横浜生まれで、1957年、1958年、16歳で日本音楽コンクールヴァイオリン部門で1位の実績を持っている。ギルバート自身もこれまで、ジュネーブ国際音楽コンクール指揮部門優勝、Bunkamuraオーチャードホールの「未来の巨匠」賞、ゲオルグ・ショルティ賞などの受賞歴があり、妹もヴァイオリニストという音楽一家だ。今回の日本公演は、ニューヨーク・フィル音楽監督就任後初来日し、母の母国での言わば“凱旋公演”でもあった。
そんなギルバートが「親愛なる日本の皆さまへ」と題するコメントを寄せているので、最後に紹介しておこう。「日本は、様々な理由で、私にとって世界中で最も重要な場所のひとつです。いうまでもなく母が日本人なので、まず家族という意味で、親密な絆を感じています。また、音楽家という職業としては、日本に帰ってくると特別にアットホームな感じがするのは、いくつかの思い出深い音楽的な体験が、この日本にあったからです。今年、大震災と福島の原発事故があった後で、特に重要なことは、世界中の音楽家が日本を支援する意思を示し、日本の音楽家と人々との兄弟愛を示したことです。そういう理由で、私が今回来日し、素晴らしい東京都交響楽団と一緒に音楽ができることは、普段以上に特別な意味があると感じています」 アラン・ギルバート。(蔵 志津久)