2016年5月11日
作曲家でシンセサイザー奏者の冨田 勲が5月5日に亡くなった。
冨田 勲は、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放の音楽を担当した。初期のころには、作曲家として活動する一方、新たに出現してきた電子機器と古典的な楽器とを融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求し始めた。
1969年にシンセサイザーと出会ったことが、冨田 勲のその後の音楽活動を大きく変えるこにとなる。つまり、シンセサイザーを使い、古典的名曲を現代的な解釈を付け加えて発表するという活動が中心となって行くわけである。
この結果、1974年には「月の光 – ドビッシーによるメルヘンの世界」が、日本人として初めてグラミー賞にノミネートされると同時に、全米レコード販売者協会の1974年最優秀クラシカル・レコードにも選ばれた。さらに、次作の「展覧会の絵」はビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得し、1975年全米レコード販売者協会の最優秀レコードを2年連続受賞することになる。
さらに、1975年度の日本レコード大賞・企画賞を受賞。次作の「火の鳥」はビルボード全米クラシックチャート第5位、さらにその次作の「惑星」もビルボード全米クラシック部門で第1位にランキングされた。
「バミューダ・トライアングル」では、発売翌年のグラミー賞で 2回目、1983年のアルバム「大峡谷」では3回目のグラミー賞のノミネートを受けた。以降「バッハ・ファンタジー」(1996年)まで、冨田 勳のアルバムはいずれも世界的なヒットを記録し、「イサオ・トミタ」は世界的名声を得ることになる。
ここに冨田 勲の一枚のLPレコード「VOYAGE(ヴォヤージュ:航海)」がある。これは、ファースト・アルバム「月の光」に始まり、「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」「宇宙幻想」」「バーミューダ・トライアングル」「ダフニスとクロエ」と立て続けに世界的規模でのグレイテスト・ヒットを放ってきた冨田 勲の偉大な軌跡を鳥瞰するために特に編まれたアルバムなのだ。
それまでのアルバムから収録してあるLPレコードなのではあるが、単なる曲の寄せ集めではなく、一つの物語を構成してある。それが「VOYAGE(ヴォヤージュ:航海)」という意味なのだ。出発点は、我らの母なる地球であり、行先は宇宙の彼方からメルヘンの世界にまで及ぶ、壮大極まりない規模のコースである。 合掌 (蔵 志津久)
【A面】
1.出発(冨田)
2.ソラリスの海(バッハ~冨田)⑤
3.パシフィック231(オネゲル)⑤
4.亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー)①
5.バーバ・ヤーガの小屋(ムソルギスキー:「展覧会の絵」より)②
6.卵のからをつけたヒナの踊り(ムソルギスキー:「展覧会の絵」より)②
7.シベリアのツングースに激突したことのあるまばゆく光る円筒形の物体(プロコフィエフ:交響曲第6番第1楽章~冨田)
8.答えのない質問(アイヴス)⑤
【B面】
1.夢(ドビュッシー)①
2.パスピエ(ドビュッシー)①
3.沈める寺(ドビュッシー)①
4.ボレロ(ラヴェル)⑦
5.フィナーレ(ストラヴィンスキー:「火の鳥」より)③
6.シンコペーテッド・オクロック(アンダーソン~梅垣~冨田)
<収録アルバム名>
①「月の光」
②「展覧会の絵」
③「火の鳥」
④「惑星」
⑤「宇宙幻想」
⑥「バーミューダ・トライアングル」
⑦「ダフニスとクロエ」
シンセサイザー:冨田 勲
LP:RVC RCL―8044