2010年11月10日
とある日曜日の午後、東京・新宿の東京オペラシティのタケミツ・メモリアルホールで行われた、ヨーロッパのある室内オーケストラのコンサートを聴きに行ってみた。どの位、観客が集まってくるのか興味津々で見ていたら、あの大きなホールいっぱいの満員となったのである。世の中、不況などというのにクラシック音楽ファンは「なんと熱心なもんだな」と妙な感心をしてしまった。
ただ、“ヨーロッパの”という辺りが集客と関係があるのではと、余計な勘ぐりを入れてしまう。もし、これが日本の室内オーケストラであったら、果たして満席になったか疑問だ。日本人は明治維新以来この方、欧米に追いつき、追い越せの精神でやってきて、ようやくGDPで世界第2位になった(もっとも今では中国に抜かれ、近いうちにインドにも抜かれそうだが)。つまり、欧米の技術や文化に接すると、「まずは勉強だ」という習慣から今でも抜け出せずにおり、その結果、特にクラシック音楽では欧米の本場ものなら、何でも?絶賛”する癖がついてしまってはいないだろうか。
最近の日本のクラシック音楽の演奏は、欧米のレベルにかなり接近してきており、日本人の演奏家の方が、来日する欧米の演奏家より、高い場合だって決して少なくない。ただ、?高名”な音楽評論家なんかが、「よく聴くとまだまだ日本の演奏家のレベルは低い」などと雑誌になんかに書くと、?普通”の人は大概沈黙してしまう。音楽評論家は「まだだめだ」と書かないと自分の商売が成り立たなくなるので書くだけなのだ。我々?普通”の人は、自分の耳に自信を持って、欧米の演奏家だろうが、日本の演奏家だろうが関係なく「日曜日の午後の一時を、優れた演奏の、心やすまるクラシック音楽を聴いて、互いに楽しもう」という精神でコンサートに出かけたいものだ。
ところでこの演奏会でもう一つ気になったことがあった。あるピアニストによるピアノ協奏曲の演奏があったのだが、私にはこのピアニストの演奏が、聴いていていまいち気分が乗れなかったので、拍手を3回だけして後はしなかった。ところが、会場は拍手の連続であったのだ。私の隣に座っていた人はちらちら私の方をみて「会場の皆が拍手しているのに、お前だけ何故拍手しないのか」と言っているように私には感じられた。冗談じゃない。「良いか、悪いかは個人が決めるもので、多数決で決めるもんでない!」とその人に言いたかったが、さりとて言う度胸もなかった。我々日本人は、特に欧米人に対しては「わざわざ遠いアジアの島国まで来てくれたのだから、演奏が良かろうが悪かろうが、とりあえず盛大な拍手だけはしておこう」という気持ちが強すぎはしまいか。それとも、私がただひねくれているだけなのか。(蔵 志津久:10/3/27)