2013年4月14日
ロリン・マゼールが、昨年音楽監督に就任したミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日するというので、4月13日(土)にサントリーホールに聴きに出かけた。演奏曲目は、ベートーヴェン:序曲「コリオラン」と交響曲第4番それに交響曲第7番の、オール・ベートーヴェン・プロ。ロリン・マゼールは、ロシア人の父親とハンガリー人とロシア人のハーフの母親のもと、1930年フランスで生まれ、生後ほどなく一家で米国に移住した。8歳の時には、ニューヨーク・フィルを指揮して、指揮者としてのデビューを果たしたというから、マゼールは、まあ、指揮者になるべくして生まれてきたのであろう。1960年には、バイロイト音楽祭に史上最年少でデビューし、その天分をいかんなく発揮。さらに1982年にはクラシック音楽の総本山ともいうべきウィーン国立歌劇場の総監督にまで昇りつめた。その後、2002年から2009年までニューヨーク・フィルの音楽監督に就任、そして、2012年からは、クリスティアン・ティーレマンの後任としてミュンヘン・フィルの音楽監督に就任した。マゼールは、現存する指揮者の長老の一人であり、巨匠と呼ばれるにふさわしい指揮者なのである。
私は、若き日のマゼールが、1980年に来日した時、名古屋でウィーン・フィルを指揮し、ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」を演奏したライヴ録音のLPレコードを、今でも大切に保管している。この時は、マゼールがウィーン国立歌劇場の総監督に就任する2年前の来日であり、まだ、マゼールとウィーン・フィルとの付き合いは始まったばかりの時の録音だ。そのためか、演奏にかなりの緊張感が漂っていることが聴き取れる。互いに自己主張をし合っているようでもあり、互いに手の内を読みあっているようにも聴こえる。それが逆に面白く、かなり質の高い「運命」に仕上がっている。このレコードは、指揮者として絶頂期のマゼールの演奏が聴ける貴重盤であるが、特に終楽章は、その後のマゼールとウィーン・フィルの活躍を占うように、壮大で力強さに覆われる名演となっている。そんなレコードを愛聴していたので、老境に入ったマゼールが今、新しいパートナーであるミュンヘン・フィルをどのように指揮して、ベートーヴェンの交響曲を演奏するのか、興味津々で聴きに行ったわけである。
演奏会が始まり、序曲「コリオラン」そして交響曲第4番の第1楽章、第2楽章の順番で、この新コンビの音がサントリーホールに響きわたり始めた、が・・・、どうも、これがあの若い頃、才気あふれる指揮ぶりで世界に名を轟かせたマゼールの指揮かな?と思わせるような平凡な演奏に終始したので、がっかりとすると同時に、春眠暁を覚えずではないが、不覚にも、うとうとしてしまった。天下のマゼールも寄る年波には勝てないのか、というような不遜な考えが時折、頭をもたげながら。オーケストラのコンサートは、通常、夜の7時スタートが多いいが、この日のコンサートだけは、土曜日なので午後の1時にスタートであった。ということは、その日の指揮者もオーケストラも、スタートから直ぐにエンジン全開とは行かなかったのではないか、ということに後で気が付いた。
この推測が当たったのかどうかは分からないが、第4番の第3楽章辺りから徐々にエンジンが掛かり始めたようで、第4楽章に入ると、マゼールとミュンヘン・フィルの息がぴたりと合い、緊張感がホール全体を包み込み始めた。こうなるとマゼールの指揮は、俄然若さを取り戻して、軽快な足取りでミュンヘン・フィルを巧みにリードする。ミュンヘン・フィルもそんなマゼールの指揮ぶりに一部の隙もなく応える。そして、最後の曲目ベートーヴェン:交響曲第7番の演奏は、第1楽章から異常な緊張感に包まれた演奏に終始した。マゼールの指揮は、そう大きなジェスチャーを伴わないが、オーケストラの持てる力をフルに発揮させる、天性の才能に恵まれていると思う。そんな指揮ぶりにオーケストラも知らず知らずに、全力を振り絞り、この日の名演奏を生んだように感じた。ミュンヘン・フィルの音は、それほど大きくはないが、その音色の特徴は、こくのある美音とでも言ったらいいのであろうか。このコンサートのチラシに「重厚・絢爛 ミュンヘンサウンド」と書いてあったが、看板に偽りなしであった。それに、ミュンヘン・フィルは、大変気持ちの良いオーケストラだ。会場に入った来た時から、「皆さんようこそ」といった感じで団員一人一人が笑みを湛えているし、演奏が終わった後、全員一斉に180度回転し、後ろの聴衆に挨拶をしていた。演奏内容の高さといい、その態度といい、これからも来日してもらいたいオーケストラだ。(蔵 志津久)