クラシック音楽 音楽の泉


2015年12月14日

★ LPレコードに聴くポップス・オーケストラ      ロニー・アルドリッチ(ピアノ)&ロンドン・フェスティバル管弦楽団


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ロミオとジュリエット            ニーノ・ロータ曲
ある愛の詩                 フランシス・レイ曲
いそしぎ                   ジョニー・マンデル曲
夜霧のしのび逢い             ジョー・ヴァン・ウェッター曲
“ゴットファーザー”愛のテーマ      ニーノ・ロータ曲
シェルブールの雨傘            ミッシェル・ルグラン曲
酒とバラの日々               ヘンリー・マンシーニ曲
恋のアランフェス              ホアキン・アランフェス曲
やさしく歌って                ロバータ・フラック曲
青春の光と影                ジョニー・ミッチェル曲
風のささやき                 ミッシェル・ルグラン曲
おもいでの夏                 ミッシェル・ルグラン曲
“スター誕生”愛のテーマ         バーバラ・ストライザンド曲
スターダスト                 ホギー・カーマイケル曲

ピアノ:ロニー・アルドリッチ

管弦楽:ロンドン・フェスティバル管弦楽団

合唱:ザ・レディ・バーズ<女声コーラス>(“スター誕生”愛のテーマ )

発売:1979年

LP:キングレコード(ロンドン) GXG 505

 ロニー・アルドリッチ(1916年―1993年)は、英国ケント州エリス生まれ。ギルドホール音楽演劇学校でピアノを学び、第二次世界大戦前と戦争の間は、オーケストラと共にピアノ演奏活動を展開。戦後は、The Squadronairesオーケストラとともにピアノ演奏を行い、1964年にバンドが解散するまで、英国の最も人気のあるビッグバンドの一つであった。その後、テムズテレビジョンの音楽監督となり、録音やラジオのコンサート活動を行った。ロニー・アルドリッチの録音の特徴の一つは、多重録音(録音を重ねることによって多人数が演奏している感じを出す)にある。このLPレコードで共演しているロンドン・フェスティバル管弦楽団とは、英デッカ(ロンドン)が、自社のポピュラー・アーティストのバックのために独自に編成したオーケストラのこと。

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2015年12月13日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ     マントヴァーニ・オーケストラ


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シャルメール
グリーン・スリーヴス
アンチェインド・メロディー
コメ・プリマ
枯葉
ジェラシー
至上の愛
魅惑の宵
ライムライト
夏の日の恋
ロシアより愛をこめて
悲しき天使
慕情
ムーラン・ルージュの秋

指揮:マントヴァーニ

管弦楽:マントヴァーニ・オーケストラ

 アヌンツィオ・パウロ・マントヴァーニ(1905年―1980年)は、イタリアのヴェニスで生まれ。第二次世界大戦の前の1930年代に、マントヴァーニは、一家ともどもイギリスに渡って、ヴァイオリニストとしてスタートを切ると同時に、ロンドンのメトロ・ポール・ホテルの小編成のサロン・オーケストラを組織し、編曲者、指揮者としての道を歩み始める。マントヴァーニ・オーケストラがそのスタイルを確立したのは1951年以降。同年、マントヴァーニは、42名からなる大編成のオーケストラを組織し、その中の28名をストリングスにあて、たっぷりとメロディーを奏でる体制を整えた。さらに、この膨大なストリング・セクションの魅力を一層高めるため、カスケーディングという新手法を編み出した。カスケーディングとは、“滝のような”といった意味であるが、つまり、ヴァイオリン陣を3つ、あるいはそれ以上のセッションに分け、例えば、高音から低音に移行したりする場合、途中で音を次々に重ね合わせて、次第にハーモニーを厚くして行き、あたかも滝が流れ落ちるさまを思わせる、見事な効果を発揮させたのだ。これにより、マントヴァーニ・オーケストラは、“シンギング・ヴァイオリンズ”とか“カスケーディング・ストリングス”とか呼ばれ、一世を風靡し、リリックでエレガントなムード・ミュージック界の本流を歩み続けたわけである。1940年にイギリスのデッカと契約し、亡くなるまでの40年間に767曲を録音し、「シャルメーヌ」「グリーンスリーヴス」「ムーランルージュのテーマ」「80日間世界一周」など数多くのミリオンセラーヒットを生み出した。

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2015年12月01日

◇2015年、内外の国際音楽コンクールで多くの入賞者を輩出した日本勢


 花束

 2015年10月にワルシャワで行われた第17回ショパン国際ピアノコンクールで韓国のチョ・ソンジンが優勝し、大きな話題をさらったが、2015年の日本のクラシック音楽界も、内外の国際コンクールで多くの入賞者を輩出した。

 中でも光ったのが、11月に開催された若手音楽家の登竜門として知られるジュネーブ国際音楽コンクールの作曲部門での薮田翔一の優勝である。同部門での日本人の優勝は初。2010年に、同コンクールのピアノ部門で萩原麻未が優勝して以来の日本人の優勝となる。

 「ロン=ティボー=クレスパン国際音楽コンクール」のピアノ部門では、1位なしの第3位に實川風、第5位に深見まどかが入賞を果たした。同コンクールは、伝統ある「ロン=ティボー国際音楽コンクール」から、2011年より声楽部門が加わったことで、現在の名称に変更された。

 ドイツ・ハノーファーで行われた第9回ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで、第2位に南紫音が、辻彩奈が第5位(併せて「聴衆賞」「特別賞」を受賞)に入賞した。同コンクールでは、2009年に三浦文彰が優勝している。

 このほか、10月にクロアチアで行われた第6回ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで粟辻聡が第2位に入賞を果たした。粟辻は、2011年京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻を首席で卒業し、オーストリア国立グラーツ芸術大学大学院オーケストラ指揮科で学び、現在国際的に活躍している。

 国内で行われた国際コンクールに目を転じると、第17回東京国際音楽コンクール<指揮>において、第2位に太田弦が入賞した。同コンクールは、1976年以来3年に1回開催される若手指揮者の登竜門として知られる。今年は、40か国・地域から239人の応募があった。これほど応募者の多い指揮者コンクールは、世界でもほかにないという。

 これも3年に1回開催される第11回国際オーボエコンクール・軽井沢で、荒木奏美が優勝(大賀賞)した(併せて軽井沢町長賞<聴衆賞>を受賞)。日本人の同コンクールでの優勝は初で、アジア勢としても初となる。同コンクールは故大賀典雄の発案のもと、ソニー音楽財団が主催している。(蔵 志津久)

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2015年4月26日

◇ 「朝日カルチャーセンター」(東京・新宿)の室内楽コンサートを聴いて思うこと 


 一般のコンサート会場は、ステージが客席から一段と高い位置にあり、最前列に座っていても演奏家からの距離はかなりある。オーケストラの場合はこれでも構わないが、室内楽の場合は何か親近感が湧かない。コンサート専門の会場ならば採算の面でも、多くの聴衆を収容しなければならないはずであり、この結果、演奏家と聴衆の距離が近づくということは、通常ではありえないようだ。

 そんな、欠点を解消して、演奏家とほんの数メートルの位置で、しかもステージとの段差がなく、少人数(100名以内)で聴ける、穴場的な会場がある。「朝日カルチャーセンター」(東京都新宿区)が、通常の講座の講義室を使って行うレクチャーコンサートである。演奏者と聴衆との間が近いために、音響的にも何も問題は起きないし、何か演奏家の自宅で行う私的なコンサートに招待されたような親近感も感じられる。

 そんな会場で2015年4月25日(土)の午後1時~2時30分に開催された「モーツァルトとシューマンのピアノ四重奏曲の午後」(曲目=モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番/シューマン:ピアノ四重奏曲)は、曲目ならびに演奏内容の両方とも最良のものであり、久しぶりに室内楽の醍醐味を味わうことができた。コンサート専門の会場ではない場所で、このような満足感の高い室内楽の演奏を聴けたということは、大いに収穫であった。

 当日の出演は、ピアノが、ジュネーブ国際コンクールなど数々の受賞歴を持つ日本ピアノ界の大御所、深沢亮子。ヴァイオリンが、ベルリン芸術大学大学院を卒業し、現在ベルリンに在住して国際的演奏活動を展開する瀬川祥子。ヴィオラが、現在桐朋学園大学音楽学部1年在学中で、第11回東京音楽コンクール弦楽器部門第1位の田原綾子。チェロが、現在桐朋学園大学大学院在籍で、大学在学中にCDデビューを果たした霧島国際音楽賞受賞者の水野由紀。つまりベテランから若手までが一堂に会したところに特色があるメンバーである。

 それに加え、通常の演奏会ではあまりない、中野 雄氏による軽妙洒脱な解説付きだったので、会場の雰囲気も和らいだ。演奏内容は、モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番は、モーツァルトらしい歯切れのいい快活な表現が印象的であり、シューマン:ピアノ四重奏曲では、シューマンのロマンの香りが馥郁とする、いずれも秀演であった。とても臨時編成の四重奏団とは思えないほどの出来栄えである。

 今回の「朝日カルチャーセンター」での室内楽コンサートを聴き、弦楽四重奏曲などの演奏は、ステージと客席との間に段差がなく、演奏者を身近で聴ける会場で開催できないものかと強く感じた。演奏者を会場の中心に配置し、聴衆がその周りをぐるりと取り囲むようにすれば、収容人員もかなり増やすことができるはずだし、それなら採算も取りやすくなるのではないだろうか。そうすれば、室内楽がもっと身近な存在になるはずだと思うのだが・・・。(蔵 志津久)

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2015年4月18日

◇ 日本全国へ、そして世界に向けて静かに広がる「レクイエム・プロジェクト」の輪


 今、日本全国に「レクイエム・プロジェクト」の輪が静かに広がり始めている。2015年8月30日(日)午後2時、「ティアラこうとう 大ホール」(東京都江東区)において、「レクイエム・プロジェクト東京 2015」演奏会が開催された。演奏会の最初に、会場いっぱいとなった聴衆と演奏者が全員起立して、関東大震災や東京大空襲などで亡くなられた方々に対して黙とうを捧げた後に、演奏会が開始となった。

 曲目は、全て作曲家の上田 益氏の作品で、<第1部>「スターバト・マーテル~悲しみの聖母~」<第2部>合唱曲「若夏に思う」「とうさんの海」「大切なふるさと」「樹憶~きおく~」<第3部>「レクイエム~あの日を忘れない~」の順で演奏された。指揮は上田 益と右近大次郎、管弦楽はレクイエム・プロジェクト東京管弦楽団、合唱は、すみだ少年少女合唱団など多くの合唱団が参加し、独唱者を合わせると100名を超える大編成となっていた。

 これほどまでの大規模な演奏会が整然と行われる自体、参加者全員の「レクイエム・プロジェクト」へ対する熱き思いがなくては到底実現は不可能であろう。「レクイエム・プロジェクト」とは、阪神・淡路大震災の被災地「神戸」で、2008年から始まった市民参加型の追悼と希望の合唱プロジェクトのこと。その目的は、自然災害や戦災で傷ついた地域の方々が、悲しみや苦しみなど、自らの思いを歌に託し、相互にそれぞれのコンサートに自由参加しながら、各地の痛みを共有し、共感し合い、被災地と被災地、そして被災者の方々同士がその活動の中で、つながっていくことにある。

 「レクイエム・プロジェクト」が注目される点は、いくつかある。一つは、市民参加型運動が永続的であるという点。2015年だけでも1月神戸、6月沖縄、7月仙台、広島、8月気仙沼、兵庫県作用町、そして東京と続き、9月には北いわて、長崎でのコンサートが予定されている。日本全国で静かにではあるが「レクイエム・プロジェクト」の輪が広がりを見せ始めているのだ。二つ目は、新たに作詞、作曲された曲が、常日頃の練習を積み重ねて、コンサートの場で発表されること。決して出来合いのものではなく、自ら生み出すという精神。三つ目は、日本国内に留まらず、海外へもその輪が広がりを見せていること。

 2014年10月11日には、ウィーンのカトリック教会「聖シュテファン大聖堂」で、日本からの参加者158名に加えた総勢195名で、上田 益:レクイエム~あの日を忘れない~など合計14曲が演奏され、約800名の聴衆に深い感銘を与えた。約850年の歴史を持つ「聖シュテファン大聖堂」で日本人の作曲したレクイエムが演奏されたのは、初めてのことであり、演奏後10分を超えるスタンディング・オベーションが続いたという。そして2016年9月には、バチカン・カトリック教会総本山「サン・ピエトロ大聖堂ミサ演奏」など、イタリアの4か所での演奏会が予定されている。

 このように、「レクイエム・プロジェクト」は、これまでの日本における市民運動の枠を越えて、大きく世界に羽ばたこうとしていることは、大いに注目されることだ。「レクイエム・プロジェクト」のスタートとなった上田 益:レクイエム~あの日を忘れない~は、CD化され(上田 益指揮プラハ・フィルハーモニー管弦楽団、キューン合唱団ほか)、アマゾンから誰でもが手軽に購入できる。このレクイエムは一度聴くと直ぐに耳に馴染む。そして何より日本人の作曲したレクイエムということがひしひしと伝わってくる。この曲は、本当に心がやすまる、真の傑作なのだ。(蔵 志津久)

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2015年4月17日

◇ シベリウスの音楽をこよなく愛するアマチュアオーケストラ「アイノラ交響楽団」と正指揮者の新田ユリ 


 2015年4月12日(日)、杉並公会堂(東京)に、シベリウスの音楽をこよなく愛するアマチュアの演奏家によるオーケストラ「アイノラ交響楽団」の第12回定期演奏会を聴きに行った。曲目は、シベリウスのカレリア組曲と独唱と合唱付きの交響詩「クレルヴォ」である。指揮は同楽団の正指揮者である新田ユリ、メゾ・ソプラノは駒ヶ嶺ゆかり、バリトンは末吉利行、男声合唱は合唱団お江戸コラリアーず。

 交響詩「クレルヴォ」は、“クレルヴォ交響曲”という愛称でも知られた、シベリウスの知る人ぞ知る的な、演奏時間が80分をこえる長大な曲である。果たしてアマチュアオーケストラがどこまで弾きこなせるのか、聴き始めるまでは疑心暗鬼的な気分があったのも事実だった。

 ところが結論から言うと、少なくとも「クレルヴォ」に関する限り、アイノラ交響楽団は、プロのオーケストラと遜色ないどころか、その魂のこもった演奏ぶりは、ひょっとすると、何の特徴を持たないようなプロオーケストラであったなら、これを凌駕するのではないかとさえ感じられたほどだった。それは、当日の聴衆から発せられた複数の熱狂的なブラボーが、私の評価があながち的外れでないことを裏付けているように思う。これは、シベリウスに専門特化し、11年間磨き上げた成果なのであろう。正に“継続は力なり”である。

 ところで、“アイノラ”とは一体何なのか。アイノラとは、フィンランド語で「アイノのいる場所」という意味だという。シベリウスは、最愛の夫人「アイノ」の名にちなみ、ヘルシンキ郊外にあるヤルヴェンバーという街に構えた自邸をアイノラと呼んでいたのである。そして、ここで多くの傑作か生まれている。「アイノラ」の名を戴いたアイノラ交響楽団は、シベリウスの音楽をこよなく愛するアマチュア演奏家達によって、2000年12月に設立され、シベリウスが遺した7つの交響曲はじめ、交響詩・音詩を含む数々の管弦楽作品すべての演奏を目標としている。
 
 この「アイノラ交響楽団」は、2004年2月29日に第1回定期演奏会を開催し、今回「クレルヴォ」が演奏された2015年4月12日が第12回定期演奏会となった。このように、一人の作曲家の作品を取り上げるオーケストラは日本はおろか、世界的に見ても珍しい存在ではあるまいか。団員一人一人がシベリウスの音楽をこよなく愛すること人後に落ちないことが、楽団の継続に繋がっていることは明らかだろう。それに加え同楽団の正指揮者である新田ユリの存在も小さくないようだ。当日の同楽団と新田ユリの気の合った演奏を聴けば容易に想像がつく。

 新田ユリは、国立音楽大学卒業。桐朋学園大学ディプロマコース指揮科入学。指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦各氏に師事。1990年第40回ブザンソン国際青年指揮者コンクールのファイナリスト。1991年東京国際音楽コンクール指揮部門第2位。同年に東京交響楽団を指揮してデビュー。2000年10月~2001年10月文化庁芸術家在外研修員としてフィンランドに派遣され、音楽監督オスモ・ヴァンスカ氏のもとラハティ交響楽団で研修。フィンランド国立歌劇場とサヴォンリンナ音楽祭においても、オスモ・ヴァンスカ氏のアシスタントを務める。

 そして、国立音楽大学、桐朋学園、相愛大学、同志社女子大学にて後進の指導に当る一方、2014年日本シベリウス協会会長に就任した。さらに2015年愛知室内オーケストラの常任指揮者に就任。現在、日本とフィンランドの両国を拠点に活躍している。これらの経歴を見ると、「アイノラ交響楽団」の正指揮者としてこれほどふさわしい人物は他になかろう。さらにこのほど、シベリウス&ニルセン生誕150年を記念して、シベリウスと北欧の作曲家の作品を紹介した「ポポヨラの調べ~指揮者がいざなう北欧音楽の森~」(新田ユリ著、五月書房)を上梓した。

 話を演奏会当日に戻そう。最初の曲目は、シベリウスのカレリア組曲。演奏内容は、少々音にばらつきが感じられたが、全体に高揚感があり無難にまとめた演奏であった。アマチュアオーケストラは、プロに比べ練習量は少ないであろうから、最初の曲をどう乗り切るかがポイントとなろう。

 そして次が本日のメインの曲の「クレルヴォ」である。この曲は、シベリウスがフィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を基に書いた、管弦楽、独唱、合唱による一大交響的叙事詩とも言える曲である。話の内容は、クレルヴォの悲劇の一生を描いている。クレルヴォは、若い娘を誘惑し籠絡する。2人は互いの身の上を語り、初めて生き別れの兄妹であったことを知る。妹は川へ入水し、クレルヴォも自殺を考えるが母に制止され、代わってウンタモの一族を滅ぼして家を焼き払う。クレルヴォは罪の呵責に耐えきれず、自らの体に刀を突き刺して死ぬ。

 「クレルヴォ」は、全5楽章からなる曲だが、実に雄大で力強い曲想を持つ。マーラーやブルックナーを思い出させる部分や、ワーグナー風の部分もあり、ちょっとR.シュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルも想起させる曲だ。この日の演奏は、終楽章に向かうに従って新田ユリの指揮と楽団員が一体化し、実に密度が濃い演奏に仕上がった。

 この「クレルヴォ」は、とても録音では取り込めないほど迫力ある分厚い音響感のある曲だが、この日の演奏は、存分にそれらに応えた演奏内容だったと言っていい。さらに、アンコールに応えて演奏された、シベリウスの「フィンランディア」(合唱団お江戸コラリアーずの合唱付き)と「アンダンテ・フェスティーヴォ」の出来も絶品であった。「アイノラ交響楽団」のシベリウスのへの敬愛のこもった演奏は、プロのオーケストラにも比肩し得るレベルにあると私には聴こえた。(蔵 志津久)

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2015年4月16日

【2015年はシベリウス生誕150年―名曲・名盤①】


シベリウス:交響曲第1番
       
        交響詩「タピオラ」
        交響詩「ポポヨラの娘」

指揮:ロベルト・カヤヌス

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:KOCHインターナショナル 3‐7127‐2 H1

 このCDで指揮をしているロベルト・カヤヌス(1856年―1933年)は、フィンランド出身の指揮者・作曲家。ライプツィヒ音楽院で学び、1880年代に指揮者としてデビューを果たす。シベリウスと親交が深く、シベリウスの交響詩「伝説」や交響詩「ポホヨラの娘」はカヤヌスに献呈されるなど、シベリウス作品の権威者であった。カヤヌスが作曲した交響詩「アイノ」は、シベリウスに感銘を与え、この結果、シベリウスの「クレルヴォ交響曲」が生まれたと言われている。カヤヌスは、長年にわたりヘルシンキ管弦楽団の指揮者を務め、レジオンドヌール勲章ほか数々の栄誉を受けている。このCDでのカヤヌスの指揮は、全体に力強く、しかも深い情感のこもった演奏を繰り広げる。シベリウスの交響曲第1番の初演の指揮者はカヤヌスであった。

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2015年4月15日

【2015年はシベリウス生誕150年―名曲・名盤②】


シベリウス:交響曲第2番

指揮:セルジュ・チェリビダッケ

管弦楽:ルツェルン祝祭管弦楽団

CD:AUDIOR AUD‐7014

 シベリウスの交響曲第2番は、ドイツ・オーストリア系音楽に慣れ親しんだリスナーにとっても、耳に馴染みやすい曲であることもあって、シベリウスの交響曲の中では、演奏される回数が多い交響曲となっている。シベリウスは1901年に家族と共にイタリア旅行に出かけるが、そこでこの曲の作曲に着手し、帰国後に完成させた。曲想は第1番と同様、フィンランドのロシアからの民族独立の機運が盛り込まれると同時に、特に第1楽章が牧歌的な雰囲気であることから、シベリウスの「田園交響楽」とも呼ばれる。このCDは名指揮者セルジュ・チェリビダッケ(1912年―1996年)が遺したライブ録音盤。ここでのチェビリダッケの指揮は、ドイツで活躍した指揮者とは思えないほど、シベリウス特有な幽玄な雰囲気をオーケストラから引き出すことに、ものの見事に成功している。

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2015年4月14日

【2015年はシベリウス生誕150年―名曲・名盤③】


シベリウス:交響曲第4番
        交響曲第6番

       劇音楽「嵐」
       交響詩「レミンカイネンの帰郷」
       交響詩「吟遊詩人」

指揮:サー・トーマス・ビーチャム

管弦楽:ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
     ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(交響曲第6番)

CD:EMI RECORDS CDM 7 64027 2

 交響曲第4番は、シベリウスの7つの交響曲のうちで最高傑作と評価する人も少なくない。しかし最初に聴くと、あまりの晦渋さに腰が引けることもまた事実。これは、旋律が省略され、断片的な動機が基本となり、すべてが凝縮され、簡潔化され、余分な音符が一つもないことからくること。そんな曲だが一旦その魅力にはまると容易に離れられなくなる。宇野功芳氏などは、ある書籍で「最初訊いたときはなにがなんだかチンプンカンプンだった。ところが今ではいちばん好きなのがこの曲なのだ」と書いているほど。一方、交響曲第6番は、シベリウスとしては珍しく、全てが明るく幸福感に満ちており、聴き易い。交響曲第2番よりは第6番を“田園交響曲”とした方が相応しいように思う。このCDでは、ロンドンおよびロイヤルフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めたイギリスの名指揮者サー・トーマス・ビーチャム(1879年―1961年)の中庸だがメリハリのある名演が聴ける。

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2015年4月13日

【2015年はシベリウス生誕150年―名曲・名盤④】


シベリウス:交響曲第7番

       劇音楽「ペレアスとメリザンド」
             ①城門にて②メリザンド③庭園の泉④三姉妹
             ⑤田園曲⑥糸を紡ぐメリザンド⑦入場⑧メリザンドの死
       交響詩「大洋女神(波の娘)」
       交響詩「タピオラ」

指揮:サー・トーマス・ビーチャム

管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

CD:東芝EMI TOCE‐6426

 交響曲第7番は、シベリウスの最後の交響曲となった(一時期、交響曲第8番が作曲されたという噂が立ったが、事実ではなかった)。曲は、単一楽章で書かれており、曲想は極度に純化され、この偉大な交響曲作曲家が最後に到達した孤高の姿に、聴くものすべての人々に感銘を与えざるを得ない曲と言える。この曲は、単に単一楽章として書かれた交響曲というだけでなく、全体に極限にまで高められた統一感を持ち、その緊密感や凝縮感は、交響曲の歴史に新しいページを新たに書く加えたと言っても過言ではないほどだ。初演は、1924年にシベリウス自身の指揮でストックホルムで行われた。その後、シベリウスは、1930年を境に、何故か作曲の筆を一切絶つことになる。このCDで、シベリウスの最大の理解者と言われたビーチャムの指揮は、この純化された交響曲を、シベリウスがあたかも独白するがごとく演奏し、リスナーに大きな感銘を与えずにはおかない。

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