2013年9月30日
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲
フルート:ジャン=ピエール・ランパル
ハープ:リリー・ラスキーヌ
CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS 21050
モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲は、フルートとハープというあまり例のない組み合わせであることから、入門者向けの曲としては、必ずしもふさわしいとは言えないのかもしれませんが、曲自体の出来栄えは、このくらい優雅で、煌めくような曲は、ほかにないと言ってもいいくらい、鮮やかな出来栄えの協奏曲に仕上がっています。一度聴いたら忘れられないメロディーが、3つの楽章のすべてに渡ってちりばめられ、入門者が最初に聴くモーツァルトの曲の第一候補と言って過言はないでしょう。リスナーを、まるで天上の音楽を聴く気分にさせてくれます。
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2013年9月03日
ビゼー:交響曲ハ長調
指揮:ジャン・マルティノン
管弦楽:フランス国立放送管弦楽団
CD:ユニバーサルミュージック(ポリドール) POCG-91014
西欧では、オペラがベースにあり、その上に交響曲などを演奏するオーケストラが編成されるので、必ずしも交響曲が中心とも言えないが、わが国でクラシック音楽の醍醐味と言うとやはり交響曲に尽きよう。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ベルリオーズ、ブルックナー、マーラーなどが数多くの交響曲の名曲を書き残し、今でも多くのリスナーが愛好している。しかし、ビギナーにとって一部を除き、これらの曲の多くはそう聴きやすい曲ではない。そこで、これから交響曲を聴きたいという人には、ビゼーの交響曲ハ長調から入ることをお勧めする。オペラ「カルメン」の作曲家で知られるビゼーが作曲したこの交響曲は、全4楽章が美しいメロディーで覆われ、実に楽しい曲に仕上がっている。
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2013年7月29日
~ショパン名曲集~
ピアノ:ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
CD:ソニー・ミュージックディストリビューション BVCC-38335
<ディスク:1>
夜想曲変ロ短調op.9-1
夜想曲変ホ長調op.9-2
夜想曲嬰へ長調op.15-2
夜想曲嬰ハ短調op.27-1
幻想即興曲嬰ハ短調op.66
練習曲ホ長調op.10-3「別れの曲」
練習曲ハ短調op.10-12「革命」
ポロネーズ第3番イ長調op.40-1「軍隊ポロネーズ」
バラード第1番ト短調op.23
バラード第4番へ短調op.52
<ディスク:2>
ワルツ変ホ長調op.18「華麗なる大円舞曲」
ワルツ変ニ長調op.64-1「小犬のワルツ」
ワルツ嬰ハ短調op.64-2
ワルツ変イ長調op.69-1「告別」
ワルツ ロ短調op.69-2
前奏曲イ長調op.28-7
前奏曲変ニ長調op.28-15「雨だれ」
マズルカ変ロ長調op.7-1
マズルカ イ短調op.7-2
マズルカ ト短調op.24-1
マズルカ ハ短調op.30-1
マズルカ ロ短調op.30-2
マズルカ嬰ト短調op.33-1
マズルカ ニ長調op.33-2
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調op.22
ショパンのピアノ曲は、クラシック音楽におけるスタンダードナンバーといってもいいほど、多くの人の共感を得ている名曲が数多くあります。これらの曲の多くは、表面的にはピアノ音楽の華麗で優美な面が魅力となっていることは事実ですが、その奥にはショパンの祖国を思う激しい闘争心が潜んでいる曲も少なからずあります。よく、ショパンのピアノ曲の表面は綺麗な花で覆われているが、その奥には大砲が隠されている、などと表現されます。そんなショパンのピアノ曲のエッセンスが収められているCDから聴き始めることをお勧めします。
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2013年7月01日
チャイコフスキー:弦楽セレナード
管弦楽:オルフェウス室内管弦楽団
CD:POLYDOR F35G 50457
名曲は、往々にして初演の時には、聴衆の関心を引かないか、批判を浴びることすらあります。ところがチャイコフスキーの作曲した弦楽セレナードに関しては、このことが当て嵌まりません。1881年の初演の時から大変好評を博したようであり、チャイコフスキー自身も、支援者だったメック夫人宛てに「きっと満足していただけるものと思います」と書き送ったほどの自信作。そして今聴いてみても「こんなに美しく、しかも哀愁の思いがたっぷりと込められた弦楽合奏曲は他には見当たらない」と思うほどの名曲なのです。
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2013年6月01日
グリーグ:劇音楽「ペールギュント」第1組曲/第2組曲
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
管弦楽:エーテボリ交響楽団
CD:ユニバーサルミュージック(ドイツ・グラモフォン) UCCG-5093
グリーグは、素朴の中に人間の自然と湧きあがる感情を巧みにとらえた名曲を数多く書き残しています。文豪イプセンの戯曲に付けた劇音楽からの2つの演奏会用組曲もその一つですね。奔放な若者ペール・ギュントが世界を放浪する中で繰り広げる冒険談なのですが、全部で23曲ある劇音楽から4曲ずつを2つの組曲にまとめたもの。特に、第1組曲の第1曲「朝」、第2曲「オーゼの死」、第2組曲の第4曲「ソルヴェイグの歌」などの心に沁みるようなメロディーは、一度聴いたら忘れることができなくなるでしょう。
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2013年4月14日
ロリン・マゼールが、昨年音楽監督に就任したミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日するというので、4月13日(土)にサントリーホールに聴きに出かけた。演奏曲目は、ベートーヴェン:序曲「コリオラン」と交響曲第4番それに交響曲第7番の、オール・ベートーヴェン・プロ。ロリン・マゼールは、ロシア人の父親とハンガリー人とロシア人のハーフの母親のもと、1930年フランスで生まれ、生後ほどなく一家で米国に移住した。8歳の時には、ニューヨーク・フィルを指揮して、指揮者としてのデビューを果たしたというから、マゼールは、まあ、指揮者になるべくして生まれてきたのであろう。1960年には、バイロイト音楽祭に史上最年少でデビューし、その天分をいかんなく発揮。さらに1982年にはクラシック音楽の総本山ともいうべきウィーン国立歌劇場の総監督にまで昇りつめた。その後、2002年から2009年までニューヨーク・フィルの音楽監督に就任、そして、2012年からは、クリスティアン・ティーレマンの後任としてミュンヘン・フィルの音楽監督に就任した。マゼールは、現存する指揮者の長老の一人であり、巨匠と呼ばれるにふさわしい指揮者なのである。
私は、若き日のマゼールが、1980年に来日した時、名古屋でウィーン・フィルを指揮し、ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」を演奏したライヴ録音のLPレコードを、今でも大切に保管している。この時は、マゼールがウィーン国立歌劇場の総監督に就任する2年前の来日であり、まだ、マゼールとウィーン・フィルとの付き合いは始まったばかりの時の録音だ。そのためか、演奏にかなりの緊張感が漂っていることが聴き取れる。互いに自己主張をし合っているようでもあり、互いに手の内を読みあっているようにも聴こえる。それが逆に面白く、かなり質の高い「運命」に仕上がっている。このレコードは、指揮者として絶頂期のマゼールの演奏が聴ける貴重盤であるが、特に終楽章は、その後のマゼールとウィーン・フィルの活躍を占うように、壮大で力強さに覆われる名演となっている。そんなレコードを愛聴していたので、老境に入ったマゼールが今、新しいパートナーであるミュンヘン・フィルをどのように指揮して、ベートーヴェンの交響曲を演奏するのか、興味津々で聴きに行ったわけである。
演奏会が始まり、序曲「コリオラン」そして交響曲第4番の第1楽章、第2楽章の順番で、この新コンビの音がサントリーホールに響きわたり始めた、が・・・、どうも、これがあの若い頃、才気あふれる指揮ぶりで世界に名を轟かせたマゼールの指揮かな?と思わせるような平凡な演奏に終始したので、がっかりとすると同時に、春眠暁を覚えずではないが、不覚にも、うとうとしてしまった。天下のマゼールも寄る年波には勝てないのか、というような不遜な考えが時折、頭をもたげながら。オーケストラのコンサートは、通常、夜の7時スタートが多いいが、この日のコンサートだけは、土曜日なので午後の1時にスタートであった。ということは、その日の指揮者もオーケストラも、スタートから直ぐにエンジン全開とは行かなかったのではないか、ということに後で気が付いた。
この推測が当たったのかどうかは分からないが、第4番の第3楽章辺りから徐々にエンジンが掛かり始めたようで、第4楽章に入ると、マゼールとミュンヘン・フィルの息がぴたりと合い、緊張感がホール全体を包み込み始めた。こうなるとマゼールの指揮は、俄然若さを取り戻して、軽快な足取りでミュンヘン・フィルを巧みにリードする。ミュンヘン・フィルもそんなマゼールの指揮ぶりに一部の隙もなく応える。そして、最後の曲目ベートーヴェン:交響曲第7番の演奏は、第1楽章から異常な緊張感に包まれた演奏に終始した。マゼールの指揮は、そう大きなジェスチャーを伴わないが、オーケストラの持てる力をフルに発揮させる、天性の才能に恵まれていると思う。そんな指揮ぶりにオーケストラも知らず知らずに、全力を振り絞り、この日の名演奏を生んだように感じた。ミュンヘン・フィルの音は、それほど大きくはないが、その音色の特徴は、こくのある美音とでも言ったらいいのであろうか。このコンサートのチラシに「重厚・絢爛 ミュンヘンサウンド」と書いてあったが、看板に偽りなしであった。それに、ミュンヘン・フィルは、大変気持ちの良いオーケストラだ。会場に入った来た時から、「皆さんようこそ」といった感じで団員一人一人が笑みを湛えているし、演奏が終わった後、全員一斉に180度回転し、後ろの聴衆に挨拶をしていた。演奏内容の高さといい、その態度といい、これからも来日してもらいたいオーケストラだ。(蔵 志津久)
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2013年3月15日
音楽の友社から「創設50周年記念 レコードアカデミー賞のすべて」(「レコード芸術」編)が発刊された。その昔、まだ駆け出しのクラシック音楽リスナーであった私とっては、月刊「レコード芸術」に毎月掲載されるレコードの「新譜月評」は、掛け替えのない道しるべであった。
音楽評論家の先生達が、毎月情熱をもって、新発売になったレコードを評価する文章を読むと、まだ聴いていないレコードでも、何か耳元で聴いているような錯覚に陥ることもあったほど。時々、辛辣な評価も載っていて、そんなところが、公正な評価であるという印象を受け、毎月楽しみにしていたのである。
レコードアカデミー賞とは、毎月の「新譜月評」の集大成として毎年1月号の掲載され、過去1年間で発売されたレコードの中から選ばれる。つまり、その年のレコードアカデミー賞に選ばれることは、権威ある音楽コンクールで第1位を獲得したことにも匹敵する、とでも言えようか。
毎年、12月に発売される1月号のレコードアカデミー賞を見て、その年を振り返ることもしばしばであった。言ってみればクラシック音楽版紅白歌合戦とでもいった趣だ。同書で過去を振り返り、同時に、将来の名盤の出現に期待しよう。特に、日本人の演奏家の受賞盤が今後増えることを念じながら。(蔵 志津久)
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2013年3月13日
NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュが、2013年2月22日に亡くなった。享年89歳。高齢なので天寿を全うしたと言った方がいいのかも知れないが、私は、何か古い記憶がもぎ取られたような感じに捉われた。というのは、私のクラシック音楽リスナーライフにおけるサヴァリッシュ&N響の比重は、かなり高いものがあったからだ。当時、FMラジオ放送のクラシック音楽番組にダイアルを回すと、アナウサーの「今日は、ウォルフガング・サヴァリッシュさんの指揮、NHK交響楽団の演奏で、・・・をお送りします」という台詞が飛び込んでくることがしょっちゅうあった。つまり私は、サヴァリッシュ&N響の演奏で、多くのクラシック音楽の名曲を聴いてきたわけであり、いわば、私のクラシック音楽リスナーライフにおける先生役でもあったのだ。サヴァリッシュは、決して天才的な巨匠型の指揮者ではなかったと思うが、それこそ学校の先生みたいな風貌で、多くの日本のリスナーに親しまれた指揮者であった。演奏内容は、明快で分かりやすく、常に曲の核心に迫る名演を聴かせてくれていたことを思い起こす。
サヴァリッシュの存在は、第二次世界大戦後の日本のクラシック音楽界の発展にとって、大変幸せことであったのだろうと思う。当時は、今に比べ、まだまだクラシック音楽への国民の認識は低く、天才的指揮者よりも、クラシック音楽の楽しさを多くの人へ伝えてくれる指揮者が必要であったからだ。ヨーロッパは、オペラが主でオーケストラは従だとするなら、日本はその逆。つまり、オーケストラの質の高さが、わが国のクラシック音楽のバロメーターとなると言っても過言無かろう。そして日本のオーケストラの頂点に立つのがN響であり、N響の質を高めたキーマンがサヴァリッシュだったのだ。今、各オーケストラの音を聴き比べるとN響だけが、他のオーケストラとは異なる音色を出す。私は、これはサヴァリッシュがN響と共につくり上げた音色ではないかと考えている。サヴァリッシュとN響の結びつきはことのほか強く、サヴァリッシュは、日本での40年間にもわたる指揮活動で、N響以外のオーケストラを振ったことがなかったという。
3月10日(日)、NHKテレビ(Eテレ)でサヴァリッシュの追悼番組が放映されたが、その中で、健在の時にドイツで行われたインタビューで面白い話をしていた。日本に最初に来たとき、「オーケストラの前で指揮棒を振って、果たしてどんな音が出てくるのか、怖かった」と語っていたほど、当時の日本のクラシック音楽界の状況は、海外に知られてなかったのだ。さらに、「日本に着いて、言葉も文化も分からず、1週間でドイツに帰ろうと妻と二人で話した」という。それを救ったのがピアニストの園田高弘(1928年―2004年)で、園田から日本の文化や生活のことなどを聞き、ようやく日本を理解でき、その後は日本の文化や生活に敬意を持てたという。この番組で特に印象的であったのは、N響のベテラン団員達のサヴァリッシュへの哀悼の辞であった。サヴァリッシュ先生へ感謝の念を語っているうちに、大粒の涙を流す団員や「あの世で、サヴァリッシュ先生とオペラの演奏できればいいな」という団員。サヴァリッシュへ対する敬愛が、如何に大きいものであるかを窺わせていた。
サバリッシュは、1923年にドイツ南部ミュンヘンに生まれる。ドイツのアウクスブルクやアーヘンなどの歌劇場で活躍。バイロイト音楽祭で1957年から1962年まで指揮した。ケルン歌劇場音楽総監督(1960年―1963年)、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団音楽総監督(1961年―1973年) を経て、 1971年にバイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任。ウィーン交響楽団や米フィラデルフィア管弦楽団などでも活躍した。1964年からNHK交響楽団を指揮し、以後頻繁に来日。N響の名誉指揮者(1967年1月~1994年10月)の後、1994年11月から桂冠名誉指揮者の称号を贈られた。そんなサバリッシュが、40年の長きにわたって手塩にかけてきたN響は、今年の夏に4都市でヨーロッパ公演を行う。8月25日には、世界の檜舞台であるザルツブルク音楽祭から招かれ、同音楽祭で初めての演奏を披露することになっている。「サヴァリッシュさん、これまで多くの名演をありがとうございました。先生が多くの時間を割いて育てたN響は、今年の夏、ザルツブルク音楽祭に招かれ演奏しますよ。サヴァリッシュさんの指揮ぶりは、もう聴くことができなってしまったので、最後に『さようなら』を言わせていただきます」(蔵 志津久)
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2013年1月13日
クラシック音楽を長らく聴き続けていると、つい深淵で長大な曲を追い求めることになってくる。モーツァルトの交響曲を聴き、その良さに触れると、次はベートーヴェンだ、ブラームスだとなり、ブルックナー、マーラーに行きつく。これはこれで一つのものを追い、極めるという、趣味の王道とも言えるもので、ある意味では至極まっとうなことである。一方で、これでは、あまりにも専門的になり過ぎ、音楽が本来持つ、大衆性とか、日常生活の活性化などのシンプルな意味合いが薄れることに繋がりかねない。
私自身、クラシック音楽を聴く切っ掛けとなったのは、ヴォルフ=フェラーリの歌劇「聖母の宝石」第1間奏曲とか、ベートーヴェンの「ロマンス第1番/第2番」とか、マスネーの「タイスの瞑想曲」とか、グリーグの「ソルヴェーグの歌」などの小品の名曲であった。その当時に、ブルックナーとかマーラーの交響曲を聴いても、交響曲が鳴ってるなぐらいしか認識できなかったし、とても全曲を聴き通すことなどは考えられなかった。だからと言って、ブルックナーやマーラーを聴く、今と比べて、クラシック音楽リスナーライフが貧弱であったかというと、そうとも言えない。これらの小品の名曲には、大曲に少しも劣らない魅力を秘めた曲も数多くあるからだ。
そんなわけで、初心に帰りたいと思い、小品の名曲を網羅した本を探したのであるが、意外にありそうでないのである。クラシック音楽の入門者向けの本に、いくつかの小品の名曲を紹介したものはあるのだが、「網羅」したものと言うと、これがないのである。もう諦めかけていた時、「クラシック 珠玉の小品500 心地よい曲・懐かしい曲・知られざる曲<改訂増補版>」(宮本英世著/DU BOOKS発行/ディスクユニオン発売)が発売されるという広告が目に入った。早速購入し、今私の机の端に置いてある。そして時間のある時に1曲、1曲の解説を読み、「そうだ、昔はこんな曲に夢中になってたな」と昔を思い出すと同時に、「こんな小品にも、こんな隠された逸話があったのか」と小品の魅力を再認識し、楽しんでいるところである。
筆者の宮本英世氏は、音楽関係の会社を経て、現在は、名曲喫茶ショパン(東京都豊島区高松2-3-4)の店主を務めている。宮本さんの著作は、同じ出版社から発刊された「クラシック深夜便 眠れぬ夜の音楽入門」を読んでいたので、内容には信用が置けた。この「クラシック深夜便」も面白い本で、ともすると専門的になりがちなクラシック音楽を、人生という観点から見つめ直した内容。どいうわけか、このようなクラシック音楽の本は現在ではあまり見かけなくなったので、面白く読めた。
この「クラシック 珠玉の小品500」の方は、500曲の小品の名曲を1曲約1ページ使い解説した内容。全体が、第1章名曲世界の旅情~第21章大曲中の聴きどころ、まで21のテーマに分けられ紹介されているので読み物として読みやすく、また巻末にはアイウエオ順の曲名索引が付けられているので、辞書機能も備えている。この本をマスターすれば、あなたも必ずやクラシック音楽の小品についての薀蓄を語れるようになることでしょう。(蔵 志津久)
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2012年10月18日
たまたま、同じコンサートホール(東京都小金井市の「小金井市民交流センター」)において10日ほどの間隔で、小山実稚恵のピアノリサイタル(10月4日)と遠藤郁子のピアノリサイタル(10月15日)を聴く機会に恵まれた。2人とも単に技巧に走ることはせず、心のこもった演奏を常に心掛けているピアニストだ。両方のリサイタルとも期待にたがわず、“魂のピアノリサイタル”といってもいいほどの出来栄えで、来場者の満足げな雰囲気も感じ取ることができた。この小金井市民交流センターは今年オープンになったばかりのホールであり、「大ホール」という名が付いていても、実際は客席数578席とこじんまりとしたもの。ちなみに渋谷NHKホール3677席、東京文化会館2303席、サントリーホール2006席、東京オペラシティコンサートホール1632席であり、これらと比べると4分の1から5分の1の規模。
ところが、私のこれまでの経験からすると、ピアノリサイタルは規模の大きいホールは、どうもしっくりとこない。何かピアニストの微妙な息遣いみたいものが伝わってこないのだ。これに対し中小規模のホールは、ピアニストのすぐ側で聴いている感じを肌で感じ取ることができ、聴衆とピアニストとの一体感はいやが上にも高まる。今回も中小規模ホールの良さが存分に発揮されたピアノリサイタルとなった。しかし、経済的な点からすると、中小規模ホールでの演奏会は難しいことが多いのかもしれない。特に、海外からの来日演奏会では、経済効率が重視されることは容易に推察される。こうなると、これからは注意して、一流演奏家が中小規模ホールで演奏する機会を見逃さないようにするしかない。
小山実稚恵のピアノリサイタルのプログラムは、ショパン:ノクターン第2番/第13番、バラード第1番、ワグナー(リスト編):イゾルデの愛と死、バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ、フランク:前奏曲/コラールとフーガ、ショパン:バラード第4番/ポロネーズ第6番「英雄」であった。小山実稚恵のピアノ演奏はいつも実に暖かい。心の底から自然に湧き出してくる音を、ピアノの鍵盤を通して聴衆に訴えている。このコンサートのために小山実稚恵がチラシに書いた文章に、中規模ホールで演奏する彼女の思いが伝わってくる。「コンサートは一期一会。演奏も、ピアノの響きも、ホールの空気感も、すべてはその場に居合わせる人の世界です。・・・(中規模ホールのため)客席では演奏者の息遣いまで感じられるダイレクトな音が体感でき、また舞台上では聴衆の方たちの気がヒシヒシと伝わってくるような密度の濃い響きを感じ取ることができます。・・・」と。
一方、遠藤郁子のピアノリサイタルは全てショパンで、プレリュード第7番、ノクターン第2番/第5番、即興幻想曲第4番、バラード第1番、スケルツォ第2番、マズルカ第47番/第48番/第1番/第2番/第5番/第23番、ワルツ第1番「華麗なる大ワルツ」、アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズが演奏された。1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールにおいて、遠藤郁子が特別銀賞を受賞した直ぐ後に発売されたショパンのノクターン集のLPレコードを、私は、今でも愛聴している。遠藤郁子は死線をさまよう大病を患うが、奇跡の復活を遂げた。「2010年ショパン生誕記念全曲演奏会」に対しては、ポーランド国立ショパン研究所からショパンブロンズ胸像を受章するなど、現在では演奏活動を積極的に展開している。実際のピアノ演奏を聴いてみると、死線をさまよう大病を経験した人の演奏とは到底思えない、ピアノタッチの力強さにびっくりさせられた。
今回、たまたま、中規模ホールで2人のピアニストの演奏を聴いたわけであるが、技巧第一の風潮が強い中、小山実稚恵と遠藤郁子の存在は、誠に貴重であると思う。心のこもった演奏がどれほど人の心を打つものであるかを、中規模ホールの良さと共に実感できたピアノリサイタルであった。(蔵 志津久)
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