クラシック音楽 音楽の泉


バックナンバー 2015年 12月

2015年12月24日

◇2015年「ショパン国際ピアノコンクール」で、ヤマハ製ピアノが世界のスタインウェイと互角の勝負


 ヤマハピアノ

 NHK-BS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い~」が12月23日(水)午後9~午後10時50分に放送されたが、内容がかなり興味深い番組であった。

 「ショパン国際ピアノコンクール」は、5年に1度、若手ピアニストがしのぎを削る、スターへの登竜門のコンクールとして知られる。2015年は、韓国のチョ・ソンジンが優勝し、ベトナムのダン・タイ・ソン(1980年)、中国のユンディ・リ(2000年)に続き、アジアで3人目の快挙を成し遂げた。

 実は、この裏で、ピアノメーカーとその調律師たちが繰り広げる闘いも熾烈を極めていたことが、この番組を通して、ひしひしと伝わってきた。2015年の「ショパン国際ピアノコンクール」では、ピアニストは、米・独のスタインウェイ、日本のヤマハ、日本のカワイ、それにイタリアのファツィオリの4つのメーカーのピアノを、選考会ごとに選んでコンクールに臨むことになっている。

 ここで調律師たちが、自分のメーカーのピアノを如何にピアニストたちに気に入ってもらえるかの調律作業を深夜に行う。実は、今回のコンクールでは大半が日本人の調律師たちであった。これは、ヤマハとカワイは日本人の調律師で当たり前なうえ、イタリアのファツィオリの調律を担当したのが日本人の越智晃氏だったからだ。

 ファイナル(最終選考会)では、10人のピアニスト(ファイナリスト)によって争われるが、ファイナリストがどのピアノを選ぶかは、ピアノメーカーにとっての国際コンクールともいえるものとなる。何と2015年のファイナリストが選んだピアノメーカーは、最初、7人がヤマハ、3人がスタインウェイと、日本のヤマハが世界一を誇るスタインウェイを圧倒的に凌駕するという快挙を成し遂げたのだ。

 その後、2人がスタインウェイに鞍替えしたので、最終的には、ヤマハとスタインウェイにが5人ずつとなったが、日本のピアノメーカーが世界のスタインウェイと互角の勝負となったことは、やはり快挙と言うべきであろう。

 そして、最後の勝負は、ピアニストとっては優勝であるが、その優勝者がどのメーカーのピアノで優勝したかがピアノメーカーの勝負となる。果たして、ヤマハはスタインウェイに勝てるのか。結果は、韓国のチョ・ソンジンが優勝し、スタインウェイに軍配が上がった。

 2015年は、日本人のノーベル賞受賞、ホンダと三菱の国産ジェット旅客機の初飛行、ラグビーやアイススケートでの日本人の活躍が華々しく報道されたが、その陰で、日本のピアノメーカーのヤマハが世界のスタインウェイと互角の勝負をしたという快挙が、この番組を通じて初めて日本に伝えられた意義は大きい。

(蔵 志津久)

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2015年12月23日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ   ボストン・ポップス・オーケストラ①


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悲しき天使            作曲:ジーン・ラスキン/編曲:リチャード・ヘイマン
酒とバラの日々         作曲ヘンリー・マンシーニ/編曲:リチャード・ヘイマン
月の光               作曲:クロード・ドビュッシー
セプテンバー・ソング      作曲:クルト・ワイル/編曲:ジャック・メイスン
忘れられた夢           作曲:ルロイ・アンダーソン
春の如く              作曲:リチャード・ロジャース
“ファンタスティックス”メドレー 作曲:ハーヴエイ・シュミット/編曲:リチャード・ヘィマン
    序曲
    ネヴァー・セイ・ノー
    ゼイ・ワー・ユー
    もうすぐ雨が
    想い出の9月
    メタファー(ラヴ、ユー・アー・ラヴ)
夜も昼も             作曲:コール・ポーター/編曲:P.T.ボッジ
スターダスト           作曲:ポーギー・カーマイケル/編曲:ジャック・メイスン

指揮:アーサー・フィードラー

管弦楽:ボストン・ポップス・オーケストラ

LP:ポリドール(グラモフォンレコード) MGW 5258 

 ボストン・ポップス・オーケストラは、ボストン交響管弦楽団のメンバーが母体となり、通常のコンサートがオフになる夏のシーズンなどに、ポップス・コンサートを開催している。平常と違うのは、各パートの首席奏者が抜け、次席が引き継いでポップス・コンサートを行っていること。ライト・ミュージックを中心に内外のヒット・ナンバーやクラシックの小品などを気楽にリラックスして楽しもうという、いわばイージー・リスニングの趣きをもったコンサート。歴史は長く、初めてポップス・コンサートを行なったのは(初めはプロムナードと呼称)1885年の夏。そして、このポップス・オーケストラを広くに知らしめたのが、指揮者のアーサー・フィードラー(1894年-1979年)である。フィードラーは音楽修業をウィーンとベルリンで積み、1915年にはボストン響の楽員にもなっている。1930年にボストン・ポップスの指揮者に就任。以来、1979年に亡くなるまで約40年間その地位にあった。レパートリーは非常に広く、純粋にクラシカルな音楽からヒット曲まで多岐に亘っている。

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2015年12月22日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ   ボストン・ポップス・オーケストラ②


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グリーンスリーヴスによる幻想曲        作曲:ヴォーン・ウィリアムス
ボッケリーニのメヌエット              作曲:ボッケリーニ
ラルゴ                         作曲:ヘンデル
誓いのフーガ(小フーガ)              作曲:バッハ
G線上のアリア                    作曲:バッハ

(以上、ボストン・シンフォニー・ホールにおける実況録音)

白鳥の湖~情景と小さい白鳥たちの踊り   作曲:チャイコフスキー
くるみ割り人形~こんぺい糖の精の踊り    作曲:チャイコフスキー
中国の太鼓                      作曲:クライスラー
インドの歌                       作曲:リムスキー=コルサコフ
ユモレスク~故郷の人々              作曲:ドヴォルザーク~フォスター
峠の我が家                      作曲:トラディショナル
ブラームスの子守歌                作曲:ブラームス
ソルヴェイグの歌(※)               作曲:グリーク

指揮:アーサー・フィードラー

管弦楽:ボストン・ポップス・オーケストラ

ソプラノ:アイリン・ファーレル(※)

発売:1977年

LP:RVC(RCA)RVC-1007

 ボストン・ポップス・オーケストラは、ボストン交響管弦楽団のメンバーが母体となり、通常のコンサートがオフになる夏のシーズンなどに、ポップス・コンサートを開催している。平常と違うのは、各パートの首席奏者が抜け、次席が引き継いでポップス・コンサートを行っていること。ライト・ミュージックを中心に内外のヒット・ナンバーやクラシックの小品などを気楽にリラックスして楽しもうという、いわばイージー・リスニングの趣きをもったコンサート。歴史は長く、初めてポップス・コンサートを行なったのは(初めはプロムナードと呼称)1885年の夏。そして、このポップス・オーケストラを広くに知らしめたのが、指揮者のアーサー・フィードラー(1894年-1979年)である。フィードラーは音楽修業をウィーンとベルリンで積み、1915年にはボストン響の楽員にもなっている。1930年にボストン・ポップスの指揮者に就任。以来、1979年に亡くなるまで約40年間その地位にあった。レパートリーは非常に広く、純粋にクラシカルな音楽からヒット曲まで多岐に亘っている。

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2015年12月21日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ   ボストン・ポップス・オーケストラ③


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ドリゴのセレナード(ドリゴ)
シューベルトのセレナード(シューベルト)
トセルリのセレナード(トセルリ)
夢(ドビュッシー)
アンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー)
愛の夢(リスト)
夜想曲(ショパン)
愛の喜び(クライスラー)
ただあこがれを知る者だけが(チャイコフスキー)
月の光(ドビュッシー)

指揮:アーサー・フィードラー

管弦楽:ボストン・ポップス・オーケストラ

LP:RVC(RCA) RVC-1004

 ボストン・ポップス・オーケストラは、ボストン交響管弦楽団のメンバーが母体となり、通常のコンサートがオフになる夏のシーズンなどに、ポップス・コンサートを開催している。平常と違うのは、各パートの首席奏者が抜け、次席が引き継いでポップス・コンサートを行っていること。ライト・ミュージックを中心に内外のヒット・ナンバーやクラシックの小品などを気楽にリラックスして楽しもうという、いわばイージー・リスニングの趣きをもったコンサート。歴史は長く、初めてポップス・コンサートを行なったのは(初めはプロムナードと呼称)1885年の夏。そして、このポップス・オーケストラを広くに知らしめたのが、指揮者のアーサー・フィードラー(1894年-1979年)である。フィードラーは音楽修業をウィーンとベルリンで積み、1915年にはボストン響の楽員にもなっている。1930年にボストン・ポップスの指揮者に就任。以来、1979年に亡くなるまで約40年間その地位にあった。レパートリーは非常に広く、純粋にクラシカルな音楽からヒット曲まで多岐に亘っている。

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2015年12月20日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ  ハリウッド・ボウル交響楽団①


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~ショパン・バイ・スターライト~

ポロネーズ第6番「英雄」
夜想曲第2番
即興曲第4番
前奏曲第7番
ワルツ第7番
ポロネーズ第3番「軍隊」
前奏曲第4番
ワルツ第6番「子犬」
練習曲第3番「別れの曲」
ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」

指揮:カーメン・ドラゴン

管弦楽:ハリウッド・ボール交響楽団

LP:東芝EMI ECC-40192

 1950年代のアメリカ西海岸のハリウッドは、映画の都として、その黄金時代を謳歌していた。サウンド・トラックはステレオ化され、様々な映画がつくり出されていった。映画各社の音楽部長は、作曲界の巨匠たちが務め、華麗な映画音楽を提供し続けた。演奏家たちも例外でなく、全米あるいはヨーロッパから一流の奏者が集まり、ワーナー・ブラザース交響楽団、パラマウント交響楽団、ハリウッド交響楽団など、映画会社お抱えのオーケストラの一員として活躍した。そして、そんな映画のサウンド・トラック演奏だけでは飽き足らない演奏家達が、音楽監督カーメン・ドラゴンのもとに結集して創設されたのが、グレンデール交響楽団である。年10回以上の定期演奏会を開催するほどになったものの、その名は、一般にはほとんど知られることはなかった。その理由は、録音の際は、別名で録音していたからだ。CBSへはコロンビア交響楽団、RCAへはRCAビクター交響楽団、キャピタルへはハリウッド・ボウル交響楽団、キャピタル交響楽団と言った具合である。その実力の高さは、ブルーノー・ワルターが最晩年にコロンビア交響楽団と録音した名盤があることでも分かろう。ハリウッド・ボウル交響楽団の音楽監督は、一貫してカーメン・ドラゴンが務めたが、カーメン・ドラゴンの華麗な編曲が、ハリウッド・ボウル交響楽団の名を世界に知らしめることになった。

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2015年12月19日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ  ハリウッド・ボウル交響楽団②


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~愛しのノクターン~

ノクターン           (「抒情組曲」より)           <グリーク曲>
エレジー            (「復讐の三女神」より)        <マスネー曲>
ポエム             (詩曲)                  <フィビヒ曲>
祈り               (「ヘンゼルとグレーテル」より)   <フンパーディンク曲>
トロイメライ          (「子供の情景」より)          <シューマン曲>
タイースの瞑想曲                             <マスネ曲>
シューベルトのセレナード                        <シューベルト曲>
夢                                       <ドビュッシー曲>
夕星の歌           (「タンホイザー」より)          <ワーグナー曲>
ブラームスの子守唄                            <ブラームス曲>

指揮:カーメン・ドラゴン

管弦楽:ハリウッド・ボール交響楽団

LP:東芝EMI ECC-40193

 1950年代のアメリカ西海岸のハリウッドは、映画の都として、その黄金時代を謳歌していた。サウンド・トラックはステレオ化され、様々な映画がつくり出されていった。映画各社の音楽部長は、作曲界の巨匠たちが務め、華麗な映画音楽を提供し続けた。演奏家たちも例外でなく、全米あるいはヨーロッパから一流の奏者が集まり、ワーナー・ブラザース交響楽団、パラマウント交響楽団、ハリウッド交響楽団など、映画会社お抱えのオーケストラの一員として活躍した。そして、そんな映画のサウンド・トラック演奏だけでは飽き足らない演奏家達が、音楽監督カーメン・ドラゴンのもとに結集して創設されたのが、グレンデール交響楽団である。年10回以上の定期演奏会を開催するほどになったものの、その名は、一般にはほとんど知られることはなかった。その理由は、録音の際は、別名で録音していたからだ。CBSへはコロンビア交響楽団、RCAへはRCAビクター交響楽団、キャピタルへはハリウッド・ボウル交響楽団、キャピタル交響楽団と言った具合である。その実力の高さは、ブルーノー・ワルターが最晩年にコロンビア交響楽団と録音した名盤があることでも分かろう。ハリウッド・ボウル交響楽団の音楽監督は、一貫してカーメン・ドラゴンが務めたが、カーメン・ドラゴンの華麗な編曲が、ハリウッド・ボウル交響楽団の名を世界に知らしめることになった。

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2015年12月18日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ       キャピタル交響楽団①


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~メロディーの花束~

愛の夢                リスト曲
スウィート・アンド・ロウ      バーンビー曲
悲しき円舞曲           シベリウス曲
ソルヴェイグの歌         グリーク曲
古きウィーン            ゴドウスキー曲
夢路より(夢見る佳人)      フォスター曲
まるでバラのように        ネヴィン曲
「新世界交響曲」よりテーマ   ドヴォルザーク曲
野ばらに寄す            マグダウェル曲

指揮:カーメン・ドラゴン

管弦楽:キャピタル交響楽団

LP:東芝EMI ECC-40194

 1950年代のアメリカ西海岸のハリウッドは、映画の都として、その黄金時代を謳歌していた。サウンド・トラックはステレオ化され、様々な映画がつくり出されていった。映画各社の音楽部長は、作曲界の巨匠たちが務め、華麗な映画音楽を提供し続けた。演奏家たちも例外でなく、全米あるいはヨーロッパから一流の奏者が集まり、ワーナー・ブラザース交響楽団、パラマウント交響楽団、ハリウッド交響楽団など、映画会社お抱えのオーケストラの一員として活躍した。そして、そんな映画のサウンド・トラック演奏だけでは飽き足らない演奏家達が、音楽監督カーメン・ドラゴンのもとに結集して創設されたのが、グレンデール交響楽団である。年10回以上の定期演奏会を開催するほどになったものの、その名は、一般にはほとんど知られることはなかった。その理由は、録音の際は、別名で録音していたからだ。CBSへはコロンビア交響楽団、RCAへはRCAビクター交響楽団、キャピタルへはハリウッド・ボウル交響楽団、キャピタル交響楽団と言った具合である。その実力の高さは、ブルーノー・ワルターが最晩年にコロンビア交響楽団と録音した名盤があることでも分かろう。ハリウッド・ボウル交響楽団の音楽監督は、一貫してカーメン・ドラゴンが務めたが、カーメン・ドラゴンの華麗な編曲が、ハリウッド・ボウル交響楽団の名を世界に知らしめることになった。

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2015年12月17日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ       キャピタル交響楽団②


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~ロマンティック・コンサート~

わが恋人の黒髪        ナイルズ曲
愛の挨拶             エルガー曲
へ調のメロディー        ルービンシュタイン曲
ジーグ               コレルリ曲
メヌエット             ボルゾーニ曲
愛よ、いつまでも         フリムル曲
無言歌               チャイコフスキー曲
ト調のメヌエット          ベートーヴェン曲
アニトラの踊り          グリーク曲
弦楽のためのアダージョ    バーバー曲

指揮:カーメン・ドラゴン

管弦楽:キャピタル交響楽団

LP:東芝EMI ECC-40194

 1950年代のアメリカ西海岸のハリウッドは、映画の都として、その黄金時代を謳歌していた。サウンド・トラックはステレオ化され、様々な映画がつくり出されていった。映画各社の音楽部長は、作曲界の巨匠たちが務め、華麗な映画音楽を提供し続けた。演奏家たちも例外でなく、全米あるいはヨーロッパから一流の奏者が集まり、ワーナー・ブラザース交響楽団、パラマウント交響楽団、ハリウッド交響楽団など、映画会社お抱えのオーケストラの一員として活躍した。そして、そんな映画のサウンド・トラック演奏だけでは飽き足らない演奏家達が、音楽監督カーメン・ドラゴンのもとに結集して創設されたのが、グレンデール交響楽団である。年10回以上の定期演奏会を開催するほどになったものの、その名は、一般にはほとんど知られることはなかった。その理由は、録音の際は、別名で録音していたからだ。CBSへはコロンビア交響楽団、RCAへはRCAビクター交響楽団、キャピタルへはハリウッド・ボウル交響楽団、キャピタル交響楽団と言った具合である。その実力の高さは、ブルーノー・ワルターが最晩年にコロンビア交響楽団と録音した名盤があることでも分かろう。ハリウッド・ボウル交響楽団の音楽監督は、一貫してカーメン・ドラゴンが務めたが、カーメン・ドラゴンの華麗な編曲が、ハリウッド・ボウル交響楽団の名を世界に知らしめることになった。

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2015年12月16日

◇LPレコードで聴くポップス・オーケストラ~ルロイ・アンダーソン名曲集~ユタ交響楽団


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ルロイ・アンダーソン:そりすべり
              ブルー・タンゴ
              トランペット吹きのこもり歌
              舞踏会の美女
              ラッパ吹きの休日
              忘れられし夢
              シンコペーテッド・クロック
              プリンク・プレンク・プランク
              フィドル・ファドル
              サンドペーパー・バレエ
              タイプライター
              サラバンド
              ベルの歌
              ジャズ・ピチカート
              セレナータ

指揮:モーリス・アブラヴァネル

管弦楽:ユタ交響楽団

トランペット独奏:ウィリアム・サリヴァン(トランペット吹きのこもり歌)

フルート独奏:ユージン・フォスター(ジャズ・ピチカート)

トランペット:ウィリアム・サリヴァン、シェルドン・ハイド、キース・スミス(ベルの歌)

発売:1975年

LP:キングレコード GT‐1137

 アメリカの作曲家ルロイ・アンダーソン(1908年―1975年)は、軽快で機知に富んだ曲調の管弦楽曲の小品の名曲を、数多く作曲したことで知られる。そのほとんどの作品は、アーサー・フィードラーの指揮するボストン・ポップス・オーケストラによって紹介された。マサチューセッツ州ケンブリッジにて生まれ、教会オルガニストを務める母親からピアノの手ほどきを受ける。1926年に言語学者を目指しハーバード大学に入学。大学を卒業後、大学で教鞭を執るかたわら、バンドマスターやダンスホールのダブルベース奏者、学生合唱団の指揮者や教会オルガニストなども務める。1931年からハーバード大学で言語学の研究員となり、博士号を授与された。1938年、ボストン交響楽団のマネージャーの求めによってハーバード大学の学生歌を編曲して提出したところ、これが、指揮者のアーサー・フィードラーの目に止まることになる。第二次世界大戦中は米軍に入隊するが、戦後は音楽活動に復帰。この時作曲した「シンコペイテッド・クロック」が、ビルボードチャートの11位となり、ゴールドディスク賞を受賞し、最初のヒットナンバーとなった。以後、多くのポピュラーな管弦楽曲の名曲を世に送り出していく。1950年代にはスタジオ・オーケストラの指揮者としても活躍した。このLPレコードで指揮をしているモーリス・アブラヴァネル(1903年―1993年)は、ギリシャのサロニカに生まれる。ヨーロッパの有名歌劇場指揮者を務めた後、1936年からはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者として活躍する一方、ユタ交響楽団の常任指揮者も務めた。ユタ交響楽団は、ユタ州ソルトレイクシティを本拠地とする、1940年に設立されたアメリカのオーケストラ。アブラヴァネルは、28年間にわたり音楽監督を務め、同楽団を全米で一流のオーケストラに育て上げた。ユタ交響楽団は、アブラヴァネル指揮による世界初のマーラー交響曲全集の録音などでも知られる。

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2015年12月15日

◇LPレコードで聴くポップスオーケストラ      フランシス・レイ・オーケストラ


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~映画音楽傑作集~

「ある愛の詩」                  (米・1970年)
「男と女」                     (仏・1966年)
「さらば夏の日」                 (仏・1970年)
「パリのめぐり逢い」               (仏・1967年)
「白い恋人たち」                         (仏・1968年)
「あの愛をふたたび」                    (仏・1970年)
「雨の訪問者」                           (仏・1969年)
「流れ者」~流れ者のテーマ           (仏・1970年)
「ハロー・グッドバイ」                     (米・1970年)
「シャレード」                              (米・1963年)
「華麗なる賭け」~風のささやき       (米・1968年)
「ロミオとジュリエット」                   (伊=米・1968年)

指揮:フランシス・レイ

管弦楽:フランシス・レイ・オーケストラ

発売:1979年

LP:キングレコード(ユナイトレコード) GXG 507

 フランシス・レイ(1932年生まれ)は、仏・ニース出身の作曲家。当初、イヴ・モンタンやエディット・ピアフなどのシャンソン歌手の伴奏者として活動していたが、1966年にクロード・ルルーシュ監督作品の映画「男と女」の音楽を担当してから、一躍その名を世界に知られるようになった。以後、クロード・ルルーシュ監督とのコンビで、次々と映画音楽のヒット作品を書き、その地位を不動にして行った。1970年には、「ある愛の詩」の音楽を担当し、アカデミー賞に輝いている。「華麗なる賭け」「おもいでの夏」の2作でアカデミー賞を受賞したミシェル・ルグランとフランシス・レイは、映画の黄金時代に、フランス映画音楽の双璧として最高の評価を受けた。

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