2010年10月17日
ブラームス:「ワルツ変イ長調」を聴くたびに不思議な思いに抱かれるのです。それはあの気難しいブラームスがこんなにも分かりやすく、誰もが親しめる優雅なワルツを書いたなんて俄かには信じられないからです。ゆっくりと滑るようにこのワルツが始まると、あたかも自分自身がどこかの宮殿の中でワルツを踊っているような気分に浸れるのです。ブラームスは、ウィーンに居を構え、ウィーンの空気を吸っていたからこそ、きっとこんな愛らしいワルツが書けたのでしょう。
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ブラームス(1833年―1897年)は、“ドイツ音楽の3大B”と称される大作曲家で、ハンブルグに生まれ、ウィーンに没しました。作風は伝統的な、構成ががっしりとした重厚な作品が多いのです。ロマン派全盛の真っ只中にありながら、伝統的な純音楽に固執し、ワグナー派に対して、ブラームス派と呼ばれる集団のリーダー的存在でした。この「ワルツ変イ長調」は、ピアノ連弾用に書かれた16曲のワルツ集の1曲です。
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2010年10月16日
ヘンデル:「涙の流れるままに」は、オペラの中で歌われる一曲ですが、この一曲だけを取り出しても少しの違和感は感じられず、むしろ一曲の独立した歌曲のように聴こえます。ヘンデルというと、何か難しい、大規模な曲ばかり作曲した、古いバロック時代の大作曲家の印象が強いのですが、この「涙の流れるままに」を聴くと、そんなヘンデルのイメージががらりと変わります。現代の我々が聴いても少しの違和感もありません。曲名通り、聴いているうちに自然に涙が込み上げてくるから不思議です。
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ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(1685年―1759年)は、ドイツに生まれ、イギリスで活躍したバロック時代の大作曲家。主にオペラやオラトリオなどの作品で有名で、特に、オラトリオ「メサイア(救世主)は不朽の名作として知られています。この「涙の流れるままに」は、ヘンデルのオペラ作曲家としてのロンドンでのデビュー作である「リナルド」の中で歌われる一曲で、十字軍の英雄リナルドの許嫁アルミーナが囚われのわが身を嘆く美しいアリアです。
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2010年10月15日
シューベルト:「アヴェ・マリア」ほど、聴くものに慈愛に満ちた感情を湧き上がらせる曲はないと思います。平穏で澄み切った、しかも暖かな空気がこちらに向かってゆっくりと流れ込んで、包み込んでくれるようでもあります。人々の日常の生活は、決して平穏なものではなく、時には残酷なことすらあります。しかし、この曲を聴いている間だけは、心からの信頼感に溢れ、身も心も安らぐことを実感できるのです。
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シューベルト(1979年―1828年)は、ウィーン郊外で教師の息子として生まれましたが、神はたった31歳という短い人生しか与えてくれませんでした。でも、そんな短い一生でも膨大な名曲を作曲し、現在生きている我々に限りない喜びを与え続けてくれているのです。この曲は、乙女エレンが聖母像の前にひざまずいて「アヴェ・マリア、願いをききとどけたまえ」と祈る姿に、天才シューベルトが作曲した不朽の名曲です。
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2010年10月14日
ヴォルフ=フェラーリの歌劇「聖母の宝石」間奏曲第1番は、昔ラジオ放送から毎日のように流れ、小品の中でも飛びっきり人気のある曲でした。何か物悲しい美しい旋律が胸にひしひしと迫ってきて、ゆっくりとした音楽の空間の中に身を委ねる心地よさは格別のものがあります。フルートとハープによる演奏の部分を聴いていると、自分が物語の主人公にでもなったような気分に浸れます。
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エルマーノ・ヴォルフ=フェラーリ(1876年―1948年)は、イタリアのヴェネッツィアに生まれた作曲家。主にオペラの分野で活躍したことで知られます。歌劇「聖母の宝石」は、ナポリを舞台とした若者の悲恋をテーマとした悲劇で、1911年にベルリンで初演されました。この歌劇には2つの間奏曲がありますが、中でもこの第1番の間奏曲の美しい旋律は名高く、しばしば独立して演奏されます。
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2010年10月13日
フォスターは、生涯にわたって“心のうた”を書き続けたアメリカの作曲家でした。そのメロディーは、人への思いやりにあふれ、そのすべてが心温まるものです。アメリカは今、あらゆる分野で超大国として世界に君臨していますが、フォスターの曲を聴くと、そんなアメリカ人の別の側面が見えて来るのです。中でもこの「金髪のジェニー」は、フォスターのあらゆる曲の良さが凝縮された優れた抒情曲であり、名曲中の名曲です。
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スティーブン・フォスター(1826年ー1864年)は、20年間にわたり200曲ほどの曲を作曲したアメリカを代表する歌曲作曲家。フォスターの曲は、いずれも誰もが口ずさみたくなるような親しみやすさが特徴です。その根底には黒人歌など、社会の底辺にいる人々が愛唱する音楽が常に存在し、そのことが時代を超越して我々の心を打ちます。しかもほとんど独力で音楽を勉強したというから驚きです。この「金髪のジェニー」は、妻ジェーンを思い描きながら書いたといわれています。
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2010年10月12日
サラサーテ:「チゴイネルワゼン」は、“珠玉の小品名曲”の中でも、誰もが真っ先に思う浮かべるほどの名曲中の名曲です。甘く悲しい、すすり泣くようなヴァイオリンの音色を聴いていると、秘めたラテン系の情熱みたいものが一挙に溢れ出します。また、ピアノの伴奏もヴァイオリンに寄り添い、ある時は軽快なリズムで先導する一体感は、聴く者を魅了してやみません。ヴァイオリンとピアノの個性がそれぞれ最大限に発揮されると同時に、互いに高め合う曲想は、他の類似の曲を凌駕しています。
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パブロ・デ・サラサーテ(1844年―1908年)は、スペインの作曲者、ヴァイオリン奏者。サン=サーンスは、サラサーテに「序奏とロンド・カプリチオーソ」「ヴァイオリン協奏曲第3番」などを献呈しています。さらに、ラロから「スペイン交響曲」、ブルッフからは「ヴァイオリン協奏曲第2番」「スコットランド幻想曲」の献呈を受け、それぞれ初演したことでも知られます。要するに名ヴァイオリンニストとして当時圧倒的人気を集めていました。「ツィゴイネルワイゼン」は、1878年の作品。このほか「アンダルシアのロマンス」「サパテアード」「 カルメン幻想曲」の作曲者としても知られます。
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2010年10月11日
サティ:「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」は、少々風変りな作風で知られるサティの曲の中では、もっともポピュラーで、誰からにも愛されている小品です。スケーターが氷上をゆっくりと滑っているようでもあり、舞踏会で多くの人々が優雅な踊りを踊っているようでもあります。サティは1880年代の終わり頃にキャバレー「黒猫」のオーケストラの指揮者をしていたそうで、この曲はそんなカフェ・コンセール風な雰囲気に満ち溢れた楽しい曲です。
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エリック・サティ(1866年―1925年)は、フランスの作曲家。当時のフランス音楽界でも異端児的存在でしたが、その影響力は大きく、ドヴュッシーやラヴェルなどの作曲技法に少なからぬ影響を与えたと言われています。このような作風は、子供の頃によく聴いた教会でのオルガン音楽がそのルーツだと言われています。現在では、ピアノ曲の「3つのジムノペディ」「梨の形した3つの小品」などを中心に演奏され、再評価の動きもみられます。「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」は1897年頃に作曲されたもので、サティのカフェ・コンセールの歌の中でも最もよく知られた曲。
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2010年10月10日
アントン・ルービンシュタイン:「へ調のメロディ」を聴いていると、自然に和やかな気分に浸ることができます。日常の厳しい現実から少しでも離れ、何気ない昼下がりの一時を、ゆっくりと流れる時間に沿って、何も考えずに自然体で過ごす。そんな、平和な空気があたかも当たり前のように感じられるようであり、知らず知らずのうちに、我々をメルヘンの世界へ誘ってくれるようでもあります。
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アントン・ルービンシュタイン(1829年―1894年)は、ロシアの作曲家であり、ピアニストでもあり、指揮者でもありました。中でも有名なのがピアニストとしての活動で、ロシア人として初めてと言ってもよい世界的名声を博したピアニストでした。作曲家としては6つの交響曲のほかピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など多数の曲を作曲しています。この「へ調のメロディ」は、1852年に作曲されたピアノ曲「2つのメロディ」の第1曲に当たる曲。
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2010年10月09日
サン=サーンス:「白鳥」ほど、曲名と音楽とがぴたりと一致する曲も珍しい。このこの曲から連想される動物と言えば、もう湖面に浮かぶ白鳥しかないと断定できるほど、その優美な旋律が、聴く者すべてを幸福にしてくれるのです。
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カミーユ・サン=サーンス(1835年ー1921年)は、フランスの作曲家ですが、ピアニスト、指揮者、オルガニストでもあったばかりでなく、天文学や自然科学にも長じていました。この「白鳥」は、いろいろな動物達が登場する組曲「動物の謝肉祭」の中の1曲。
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2010年10月08日
ラフマニノフ:「ヴォカリーズ」は、何かもの悲しげな旋律がゆっくりと流れ、メランコリックな雰囲気が辺りに漂います。そこはかとした空しさが、静かに静かに時間と伴に行き過ぎてゆきます。この曲を聴いていると、人類の遠い未来を見据えているような不思議な感覚に捉われるのです。
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セルゲイ・ラフマニノフ(1873年―1943年)は、ロシアの作曲家であり、そのピアノ協奏曲は、誰もが一度は聴いたことのある曲。「ヴォカリーズ」は、歌曲集op.34の第14曲目の曲。ヴォカリーズとは、歌詞がなく母音唱法(アーなど)のみで歌われる曲のこと。
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