2011年9月27日
◆テノール歌手の五十嵐喜芳(83歳)が死去
テノール歌手の五十嵐喜芳(83歳)が死去した。
五十嵐喜芳は、東京芸術大学在学中、1955年「NHK・毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)声楽の部で優勝。イタリアへ留学後、藤原歌劇団の人気テナーとして活躍。
1985年、藤原歌劇団総監督に就任。1998年紫綬褒章、1998年、勲三等瑞宝章受賞。さらに、1999年~2003年、新国立劇場オペラ芸術監督を務める。 2000~2007年には、昭和音楽大学学長を務めた。
その後これまで、昭和音楽大学教授として後進の指導に当たってきた。
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2011年9月24日
◆第52回ブザンソン国際指揮者コンクールで垣内悠希が優勝
フランスのブザンソンで行われた第52回国際指揮者コンクール(ブザンソン国際指揮者コンクール)で、神奈川県川崎市出身の垣内悠希(33歳、ウィーン国立音楽大学大学院卒)が優勝した。
若手指揮者の登竜門として国際的に知られる同コンクールの前回(2009年)の優勝者は山田和樹で、日本人が2年連続優勝を果たした。
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2011年9月19日
◆ピアニストの西村由起江のプロジェクト、東日本大震災の被災地への「スマイルピアノ500」が141台に達する
ピアニストの西村由起江が、東日本大震災の被災地に、使われていないピアノ500台を送る「スマイルピアノ500」に取り組んできたが、2011年9月1日現在、譲り受けるピアノは141台、募金金額は131万6,023円に達したことが明らかになった。
現在まで、被災地からも状況が整った連絡が入って来ているが、ピアノを届けることが実現に至るまでには、今後まだ多少時間がかかるという。
西村由起江は、「ピアノやピアノの音を届けることで、あの時の笑顔を取り戻してもらいたい」と言う。以前訪れた小学校のことを思い出すからだ。自宅で眠っているピアノを譲ってくれる人を全国から募集し、メンテナンスして被災地に届けようと言うのが「スマイルピアノ500」プロジェクトの趣旨であり、「皆様の力を貸していただけたら幸せ」と語っている。
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2011年9月19日
◆旧東ドイツの名指揮者のクルト・ザンデルリンク、死去(98歳)
旧東ドイツの名指揮者のクルト・ザンデルリンク(1912年-2011年)が、2011年9月18日、ベルリンで死去した。98歳。
クルト・ザンデルリンクは、ベルリン市立歌劇場で音楽家としてのキャリアをスタートさせたが、ナチスの台頭により、1935年、ソビエトへ亡命し、モスクワ放送交響楽団で務める。1941年、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者に就任。1958年には初来日を果たす。
その後、東ドイツに帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督・首席指揮者に就任。さらに、1964年-1967年、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を兼務するなど、長らく指揮者の第一線で活躍し、わが国でもその名を知られていた。
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2011年9月13日
◆ベルリン・フィルが、東京交響楽団など3団体に対し東日本大震災支援として寄付
このたび、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から東京交響楽団へなど3団体に対し、東日本大震災支援として15,000ユーロ(約165万円)が寄付された。
東日本大震災直後から、Facebook等を通じて、ミューザ川崎シンフォニーホールの被害状況は、ベルリン・フィルメンバーに知られていた。
近年、日本ツアーのたびに同ホールで演奏会を開催していたベルリン・フィルは、同ホールを本拠地にする東京交響楽団や日本の復興を願って、2011年5月30日、ドイツのベルリン・フィルハーモニー室内楽ホールにおいて、樫本大進氏、マルタ・アルゲリッチ氏、ミッシャ・マイスキー氏、イタマール・ゴラン氏等のメンバーによる支援コンサートを開催した。
その時の演奏会の収益金45,000ユーロのうち3分の1ずつ、東京交響楽団、福島TVジュニアオーケストラ、ユニセフの3団体へ寄付すると決定したもの。
今回の寄付は、ベルリン・フィルハーモニー財団ゼネラルマネージャーのマルティン・ホフマン氏、オーボエ奏者でオーケストラ委員のアンドレアス・ヴィットマン氏、首席ホルン奏者で同じくオーケストラ委員のシュテファン・ドール氏が中心となり進められた。
なお、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は今年11月に来日ツアーを予定している。
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2011年9月06日
◆「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」、新名称への変更はせず
「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、今後さらに世界的知名度を上げるため、フェスティバルの新名称、オーケストラの名称(サイトウ・キネン・オーケストラ)の変更することとし、2011年のフェスティバル期間中に、メンバー、関係者が集まり、再度協議すると発表してきたが、オーケストラミーティングにて協議したところ、メンバーとしては「フェスティバル名称、オーケストラ名称とも変更しない方がよい」との意見で統一され、小澤征爾総監督もそれを了承したことを明らかにした。
今後、現行名称のまま変更をしない方向で、実行委員会、理事会での協議を経て、2012年3月には正式決定といった手順となる。
今回、名称変更をしないという結論に至った主な理由は、次の通り。
①サイトウ・キネン・オーケストラは、もともと故・齋藤秀雄先生の教えを受けた音楽家たちが集まりオーケストラを結成し、徹底的に音楽を探求するという齋藤先生の教えを実践してきたもので、その信念を受け継いでいくためにもサイトウ・キネンという言葉を残すべき。
②サイトウ・キネンの名前は、すでに世界的にも周知されている。 特に2010年のカーネギーホールでの公演を経て、その認知度は飛躍的に上がったので、今さら名称変更をしない方がよい。
③サイトウ・キネン・フェスティバル松本は、サイトウ・キネン・オーケストラが軸となっている音楽祭で、オーケストラが軸になっている音楽祭は世界的に希有であり、それがわかるためにもフェスティバルの名称も変更しない方がよい。
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