2023年8月17日
イタリアの名ソプラノ歌手のレナータ・スコットが8月16日、死去した。享年89歳。
レナータ・スコットは、イタリア、サヴォナ出身。1952年のクリスマス・イヴに、ミラノのテアトロ・ヌオーヴォにおいて、ヴェルディ「椿姫」のヴィオレッタ役で18歳でオペラ界にデビューを果たす。
1957年、マリア・カラスの代役として舞台に立ち、23歳でスコットは世界の檜舞台に躍り出ることになった。
1965年、プッチーニ「蝶々夫人」のタイトルロールを歌ってメトロポリタン歌劇場にデビュー。蝶々さん役はスコットの十八番の一つであり、ジョン・バルビローリとの共演による「蝶々夫人」全曲のEMIへの名録音は有名である。
スコットは、ベルカント唱法の正統な伝統を受け継ぐオペラ歌手として、歌唱力に加えて美貌と演劇力によっても幅広く称賛された。
スコットはレパートリーが幅広く、蝶々さん役のほかに、「椿姫」のヴィオレッタ、「愛の妙薬」のアディーナ、「ラ・ボエーム」のミミ、プッチーニ「三部作」のすべてのヒロイン、リッカルド・ザンドナーイ「フランチェスカ・ダ・リミニ」のフランチェスカなどを得意としていた。
近年では、1992年に「ばらの騎士」における元帥夫人を、1995年には「パルジファル」のクンドリーを演じており、そのほかに「エレクトラ」におけるクリュテムネストラを演じ、プーランクの一人オペラ「人の声」にも取り組むなどイタリア・オペラ以外の作品にも取り組んだ。
2002年をもって舞台から引退した以後、舞台監督に加えて、イタリアやニューヨークに設立したオペラ学校で教鞭を執っていた。
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2023年8月16日
指揮者の飯守泰次郎が8月15日、急性心不全のため東京都内で死去した。享年82歳。
飯守泰次郎は、旧満州・新京生まれ。桐朋学園短期大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中に「ミトロプーロス国際指揮者コンクール」」入賞。のちに「カラヤン国際指揮者コンクール」入賞。
ドイツでの活動が長く、バイロイト音楽祭の音楽助手を務め、マンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動。オランダ・エンスヘデ市立音楽院オーケストラ顧問を務めた。
日本国内では1972年から1976年まで読売日本交響楽団指揮者、1993年から1998年まで、名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。1997年より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者(2012年4月から桂冠名誉指揮者)。2001年より関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、2011年より同楽団桂冠名誉指揮者。2018年より2023年まで仙台フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者。2012年から新国立劇場芸術参与、2014年から同芸術監督(いずれもオペラ部門)に就任。
1973年「芸術選奨」新人賞、2000年度第32回「サントリー音楽賞」、2003年度第54回「芸術選奨」文部科学大臣賞、2004年秋に紫綬褒章、2010年旭日小綬章、2013年日本芸術院賞を受賞(章)。2008年大阪市市民表彰。2012年文化功労者。2015年、第56回「毎日芸術賞受賞」。
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2023年8月06日
第4回「Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール」のファイナルの審査が8月4日、渋谷区総合文化センター大和田さくらホール(東京)で行われれ、ニコラス・ジャコメリ(イタリア)が優勝した。
◇
第1位 ニコラス・ジャコメリ(イタリア)
第2位 ガオ ミャオ(中国)
佐川 和冴(日本)
第4位 キム ジヨン(韓国)
第5位 竹田 理琴乃(日本)
第6位 今井 理子(日本)
聴衆賞 佐川 和冴(日本)
同コンクールは、これまで毎年開催されていたが、パンデミックの影響により、延期を余儀なくされ、2023年に4年ぶりの開催となった。
「Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール(SKIPC)」は、河合楽器製作所の創立90周年を記念して2017年に創設されたコンクールで、次世代を担うピアニストの発掘・育成、国際交流の推進並びに世界の音楽文化の振興を目的としている。このコンクールには、①全ての審査会で Shigeru Kawaiグランドピアノを使用②ファイナルの課題曲が「2台ピアノによるピアノ協奏曲」―の二つの特色がある。
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2023年8月06日
元NHK交響楽団理事長の青木賢児が死去した。享年90歳。
青木賢児は、宮崎県出身。東京大学文学部卒業後、1957年(昭和32年)、NHKに入局。同局在籍時には、30年あまりにわたってドキュメンタリー番組のプロデューサーを務めた。NHK報道局次長、報道番組部長、放送総局長、NHK専務理事を経て、1991年NHK交響楽団理事長に就任。NHKを退局後、1993年(平成5年)より宮崎県立芸術劇場館長を、2014年より名誉館長を務めた。1996年に宮崎国際音楽祭を初めて開催し、プロデューサー・徳永二男と共に総監督を2010年まで務めた。その間、ヴァイオリニストのアイザック・スターンら世界的な音楽家を招くなど尽力。その功績により1995年「宮崎日日新聞賞特別賞」、2006年「宮崎県文化賞」、2009年(平成21年)「新日鉄音楽賞特別賞」を受賞した。
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2023年7月13日
指揮者で作曲家の外山雄三が7月11日、慢性腎臓病のため長野県の自宅で死去した。享年92歳。
外山雄三(1931年―2023年)は、1952年東京芸術大学音楽学部作曲科卒業後、NHK交響楽団に入団。1958年~1959年ウィーンやザルツブルクに留学。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、京都市交響楽団常任指揮者、名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督をそれぞれ歴任。
NHK交響楽団の正指揮者、大阪交響楽団名誉指揮者として、亡くなるまで指揮活動を行っていた。作曲活動では64年にヴァイオリン協奏曲第1番、2000年に交響曲第2番で尾高賞を受賞。
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2023年6月16日
オーストリア出身の女性ピアニストのイングリット・ヘブラーが死去した。享年93歳。
イングリット・ヘブラーは、ポーランド人の両親のもと、1929年、ウィーンに生まれる。10歳までポーランドで過ごし、その間にピアノを学ぶ。第二次世界大戦の勃発によってザルツブルクに移住、同地のモーツァルテウム音楽院に入学。1949年にモーツァルテウム音楽院を卒業後、ウィーン音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)に入学。その後ジュネーヴ音楽院で学ぶ。
1952年と1953年「ジュネーヴ国際音楽コンクール」第2位、1954年「ミュンヘン国際音楽コンクール」第1位、「ウィーン国際シューベルト・コンクール」第1位。同年ザルツブルク音楽祭に初めて出演し、モーツァルトのピアノ協奏曲第12番を弾いて正式にデビューを果たす。デビュー後、国際的な演奏活動を開始し、ウィーンの古典派音楽をはじめ、シューマン、ショパン、ドビュッシーなども得意として活躍し、特に気品に満ちたモーツァルトの演奏で高い評価を獲得た。
1966年以来、数多く来日して日本にも多くのファンがいた。モーツァルトのピアノ曲(協奏曲も含む)をフィリップスに全て録音し、高い評価を得ている。この他にJ.S.バッハやJ.C.バッハ、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパンなどにも優れた録音を残している。なお、モーツァルトのピアノソナタ全曲を1980年代後半にDENONに再録音している。
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2023年5月29日
2023年度「武満徹作曲賞」の本選(審査員:近藤 譲)演奏会が5月28日、東京オペラシティコンサートホールで、角田鋼亮指揮東京フィルハーモニー交響楽団で行われ、マイケル・タプリン(イギリス)が優勝した。
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第1位 マイケル・タプリン(イギリス)
第2位 ギジェルモ・コボ・ガルシア(スペイン)
山邊光二(日本)
第3位 ユーヘン・チェン(中国)
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2023年5月19日
「大阪国際室内楽コンクール&フェスタ2023」が大阪の住友生命いずみホールを中心に5月12日から18日まで開催され、入賞団体が次の通り決定した。
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コンクール・第1部門(弦楽四重奏)
第1位 クァルテット・インダコ(イタリア)
第2位 ほのカルテット(日本)
第3位 テラ弦楽四重奏団(アメリカ)
コンクール・第2部門(ピアノ三重奏/四重奏)
第1位 カピバラ・ピアノ・クァルテット(ドイツ)
第2位 トリオ・パントゥム(フランス)
第3位 トリオ・ミケランジェリ(ドイツ)
フェスタ(6人以内の室内楽演奏)
メニューイン金賞 テンゲル・アヤルグー(モンゴル)
銀賞 クインテット・ル・バトー・イーヴル(フランス)
銅賞 スタス&タチアナ(アメリカ)
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2023年5月09日
黒人オペラ歌手の草分けとして知られる米メゾソプラノ歌手のグレース・バンブリーが、ウィーンの病院で死去した。享年86歳。
グレース・バンブリーは、1937年に米ミズーリ州セントルイスで生まれる。激しい人種差別の時代に育ち、地元音楽学校への入学を拒否されたが、ボストン大学やノースウェスタン大学に進学。ウェスト音楽アカデミーではロッテ・レーマン(1888年―1976年)に師事。1960年、パリのオペラ座で「アイーダ」のアムネリス役でデビュー。以後40年近くにわたり輝かしい功績を残した後、1997年に引退していた。
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2023年5月07日
20世紀を代表するピアノ三重奏団「ボザール・トリオ」の創設者で、ソリストとしても活躍した世界的ピアニスト、メナヘム・プレスラーが、ロンドンで死去した。享年99歳。
ピアノのメナヘム・プレスラー(1923年―2023年)は、ドイツ、マグデブルク出身。ナチスによる迫害を逃れて米国に亡命。17歳の時、サンフランシスコで「クロード・ドビュッシー賞」を受賞。以後、国際的な演奏活動を開始。2012年はドイツに帰化した。
ボザール・トリオは、1955年にメナヘム・プレスラーによって結成され、初代メンバーはヴァイオリンのダニエル・ギレとチェロのバーナード・グリーンハウスであった。その後、メナヘム・プレスラー以外はメンバーが変わっていった。全盛時代は、年間に120回以上のコンサートをこなした。レパートリーは幅広く、その録音は、ピアノ三重奏曲の名曲はほとんど網羅していたと言ってもいいほど。同ピアノ三重奏団は、2008年の「ルツェルン音楽祭」でのコンサートを最後に解散したが、メナヘム・プレスラーだけは、以後も現役のピアニストとして活躍していた。
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