2023年8月28日
第33回「芥川也寸志サントリー作曲賞」(旧名:芥川作曲賞)は、8月26日(土)午後3時から東京・サントリーホールでの演奏会による公開選考の結果、向井 航氏作曲の「ダンシング・クィア オーケストラのための」に決定した。
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【第33回「芥川也寸志サントリー作曲賞」】
向井 航 『ダンシング・クィア』オーケストラのための
<贈賞理由>
既存の作品とは異なる提示に作曲家の生き様が現われ、そのアクチュアリティのある表現が高く評価された。
<略歴>
向井 航は、1993年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科を首席卒業後、渡独。受賞歴に安宅賞、クロアチア国際作曲コンクール優勝、メンデルスゾーン全音楽大学コンクール独連邦大統領賞、日本音楽コンクール作曲部門第2位及び岩谷賞、第27回芥川作曲賞最終候補など。現在アントンブルックナー私立大学博士研究員。
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2023年8月28日
第21回「東京音楽コンクール」 ピアノ部門 本選結果
第1位 佐川和冴
第2位 島多璃音
第3位 角野未来
入選 渡邊晟人
聴衆賞 島多璃音
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2023年8月27日
ビオラ奏者の土屋邦雄が8月20日、がんのためベルリンで死去した。享年89歳。
土屋邦雄は、東京府出身。東京都立武蔵丘高等学校卒業。東京藝術大学でヴィオラを学ぶ。他に打楽器、指揮法、管弦楽法を学ぶ。大学卒業と同時に東京芸術大学付属高校で教鞭をとる。またNHK交響楽団に首席候補として入団。1956年、渡独。フライブルクの音楽学校でコッホに師事。
1959年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の試験を受け合格、以後ベルリン・フィルのメンバーとなる。また、ベルリン・バロック・オーケストラの首席奏者、ソリスト、ベルリン・フィル八重奏団等で活躍。2001年、ベルリン・フィルを退団。本拠をベルリンに置きながら、日本で指揮を含めた音楽活動を展開した。
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2023年8月26日
第21回「東京音楽コンクール」 木管部門 本選結果
第1位 保崎佑(ファゴット)
第2位 河野星(ファゴット)
第3位 永留泰斗(フルート)
保坂静伶奈(オーボエ)
入選 米田優梨(フルート)
藤本茉奈美(オーボエ)
聴衆賞 保崎佑(ファゴット)
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2023年8月22日
ピティナ・ピアノコンペティション(主催:一般社団法人全日本ピアノ指導者協会<ピティナ>)が、8月21日(月)、サントリーホールで行われ、鈴木愛美が特級グランプリを獲得した。
鈴木愛美は、2002年大阪府生まれ。4歳よりピアノを始める。大阪府立夕陽丘高等学校音楽科を経て、東京音楽大学器楽専攻(ピアノ演奏家コース)に給費奨学生として入学。現在4年在学中。第27回フッペル鳥栖ピアノコンクールフッペル部門第1位。第32回宝塚ベガ音楽コンクール・ピアノ部門第4位。ピティナ・ピアノコンペティション全国大会において、第36回C級入選、第42回F級ベスト17賞受賞。第17回”万里の長城杯”国際音楽コンクールピアノ部門中学生の部第1位。2020年度より毎年 「東京音楽大学ピアノ演奏会~ピアノ演奏家コース成績優秀者による~」に出演。浜松国際ピアノアカデミー2023に参加。これまでに、稲垣千賀子、佐藤美秋、石井理恵、仲田みずほ、石井克典の各氏に師事。
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特級グランプリ 鈴木愛美
銀賞 三井柚乃
銅賞 神原雅治
入賞 嘉屋翔太
聴衆賞 1位 鈴木愛美
2位 三井柚乃
3位 嘉屋翔太
4位 神原雅治
サポーター賞 1位 塩﨑基央
2位 小野寺拓真
3位 鈴木愛美
4位 嘉屋翔太
5位 小野田有紗
6位 平間今日志郎
7位 神原雅治
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2023年8月17日
イタリアの名ソプラノ歌手のレナータ・スコットが8月16日、死去した。享年89歳。
レナータ・スコットは、イタリア、サヴォナ出身。1952年のクリスマス・イヴに、ミラノのテアトロ・ヌオーヴォにおいて、ヴェルディ「椿姫」のヴィオレッタ役で18歳でオペラ界にデビューを果たす。
1957年、マリア・カラスの代役として舞台に立ち、23歳でスコットは世界の檜舞台に躍り出ることになった。
1965年、プッチーニ「蝶々夫人」のタイトルロールを歌ってメトロポリタン歌劇場にデビュー。蝶々さん役はスコットの十八番の一つであり、ジョン・バルビローリとの共演による「蝶々夫人」全曲のEMIへの名録音は有名である。
スコットは、ベルカント唱法の正統な伝統を受け継ぐオペラ歌手として、歌唱力に加えて美貌と演劇力によっても幅広く称賛された。
スコットはレパートリーが幅広く、蝶々さん役のほかに、「椿姫」のヴィオレッタ、「愛の妙薬」のアディーナ、「ラ・ボエーム」のミミ、プッチーニ「三部作」のすべてのヒロイン、リッカルド・ザンドナーイ「フランチェスカ・ダ・リミニ」のフランチェスカなどを得意としていた。
近年では、1992年に「ばらの騎士」における元帥夫人を、1995年には「パルジファル」のクンドリーを演じており、そのほかに「エレクトラ」におけるクリュテムネストラを演じ、プーランクの一人オペラ「人の声」にも取り組むなどイタリア・オペラ以外の作品にも取り組んだ。
2002年をもって舞台から引退した以後、舞台監督に加えて、イタリアやニューヨークに設立したオペラ学校で教鞭を執っていた。
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2023年8月16日
指揮者の飯守泰次郎が8月15日、急性心不全のため東京都内で死去した。享年82歳。
飯守泰次郎は、旧満州・新京生まれ。桐朋学園短期大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中に「ミトロプーロス国際指揮者コンクール」」入賞。のちに「カラヤン国際指揮者コンクール」入賞。
ドイツでの活動が長く、バイロイト音楽祭の音楽助手を務め、マンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動。オランダ・エンスヘデ市立音楽院オーケストラ顧問を務めた。
日本国内では1972年から1976年まで読売日本交響楽団指揮者、1993年から1998年まで、名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。1997年より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者(2012年4月から桂冠名誉指揮者)。2001年より関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、2011年より同楽団桂冠名誉指揮者。2018年より2023年まで仙台フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者。2012年から新国立劇場芸術参与、2014年から同芸術監督(いずれもオペラ部門)に就任。
1973年「芸術選奨」新人賞、2000年度第32回「サントリー音楽賞」、2003年度第54回「芸術選奨」文部科学大臣賞、2004年秋に紫綬褒章、2010年旭日小綬章、2013年日本芸術院賞を受賞(章)。2008年大阪市市民表彰。2012年文化功労者。2015年、第56回「毎日芸術賞受賞」。
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2023年8月06日
第4回「Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール」のファイナルの審査が8月4日、渋谷区総合文化センター大和田さくらホール(東京)で行われれ、ニコラス・ジャコメリ(イタリア)が優勝した。
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第1位 ニコラス・ジャコメリ(イタリア)
第2位 ガオ ミャオ(中国)
佐川 和冴(日本)
第4位 キム ジヨン(韓国)
第5位 竹田 理琴乃(日本)
第6位 今井 理子(日本)
聴衆賞 佐川 和冴(日本)
同コンクールは、これまで毎年開催されていたが、パンデミックの影響により、延期を余儀なくされ、2023年に4年ぶりの開催となった。
「Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール(SKIPC)」は、河合楽器製作所の創立90周年を記念して2017年に創設されたコンクールで、次世代を担うピアニストの発掘・育成、国際交流の推進並びに世界の音楽文化の振興を目的としている。このコンクールには、①全ての審査会で Shigeru Kawaiグランドピアノを使用②ファイナルの課題曲が「2台ピアノによるピアノ協奏曲」―の二つの特色がある。
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2023年8月06日
元NHK交響楽団理事長の青木賢児が死去した。享年90歳。
青木賢児は、宮崎県出身。東京大学文学部卒業後、1957年(昭和32年)、NHKに入局。同局在籍時には、30年あまりにわたってドキュメンタリー番組のプロデューサーを務めた。NHK報道局次長、報道番組部長、放送総局長、NHK専務理事を経て、1991年NHK交響楽団理事長に就任。NHKを退局後、1993年(平成5年)より宮崎県立芸術劇場館長を、2014年より名誉館長を務めた。1996年に宮崎国際音楽祭を初めて開催し、プロデューサー・徳永二男と共に総監督を2010年まで務めた。その間、ヴァイオリニストのアイザック・スターンら世界的な音楽家を招くなど尽力。その功績により1995年「宮崎日日新聞賞特別賞」、2006年「宮崎県文化賞」、2009年(平成21年)「新日鉄音楽賞特別賞」を受賞した。
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2023年7月13日
指揮者で作曲家の外山雄三が7月11日、慢性腎臓病のため長野県の自宅で死去した。享年92歳。
外山雄三(1931年―2023年)は、1952年東京芸術大学音楽学部作曲科卒業後、NHK交響楽団に入団。1958年~1959年ウィーンやザルツブルクに留学。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、京都市交響楽団常任指揮者、名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督をそれぞれ歴任。
NHK交響楽団の正指揮者、大阪交響楽団名誉指揮者として、亡くなるまで指揮活動を行っていた。作曲活動では64年にヴァイオリン協奏曲第1番、2000年に交響曲第2番で尾高賞を受賞。
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