2024年4月18日
ドヴュッシー:映像 第1集 I.水に映る影
映像 第1集 II.ラモーをたたえて
映像 第1集 III.動き
映像 第2集 I.葉ずえを渡る鐘
映像 第2集 II.荒れた寺にかかる月
映像 第2集 III.金色の魚
子供の領分 I.グラドゥス・アド・パルナッスム博士
子供の領分 II.象のこもり歌
子供の領分 III.人形へのセレナード
子供の領分 IV.雪が踊っている
子供の領分 V.小さい羊飼い
子供の領分 VI.ゴリウォーグのケークウォーク
ピアノ:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
CD:ユニバーサルミュージック UCCS-50359
このCDは、印象主義的な書法を確立したドビュッシーが更に独創的な境地を拓いた「映像」、そして、愛娘に捧げられた「子供の領分」を収めた、ミケランジェリ最高の名盤と言われる録音。
ピアノのアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920年―1995年)は、イタリア出身。10歳でミラノ音楽院に入学。1938年、18歳で国際イザイ音楽祭に参加。翌1939年「ジュネーヴ国際音楽コンクール」で優勝し、審査員長のアルフレッド・コルトーから”リストの再来”と賞賛された。第二次世界大戦中はファシズムに対するレジスタンス運動で活躍。戦後間もなくして楽壇に復帰。世界中でコンサートを開き、その圧倒的なテクニックと比類のない美しいピアノの音色で瞬く間に名声を確立した。また、「ミケランジェリ国際ピアノマスタークラス」開催し、多くの弟子を育成したことでも知られる。非常に強い完璧主義からコンサートのキャンセルを頻発するいわゆる”キャンセル魔”としても有名になり、次第に年間に演奏会が10回に満たないという例も珍しくなくなっていった。しかし、その貴重な演奏会が逆に評判を呼び、一層ミケランジェリというピアニストを伝説に押し上げて行った。初来日は1965年で、日本の音楽界に衝撃を与える。以降も数度来日している。生涯で最後の演奏会は、1993年5月7日、ハンブルクにおいて行われた。