2024年11月18日
<DISC1>
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
シューベルト:楽興の時 D780 (作品94)
<DISC2>
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331(K.300i)「トルコ行進曲付き」
シューベルト:即興曲 変イ長調 D935の2(作品142の2)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 作品31の3(第4楽章を除く)
シューマン:幻想小曲集 作品12 から 第1曲:夕べに、第3曲:何故に?
シューベルト:即興曲 変イ長調 D935の2(作品142の2)
ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
録音:1969年6月26日(1-4)、28日(5-7) オーストリア、オシアッハ、シュティフト教会
CD:タワーレコード PROC-2405(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE SA-CD COLLECTION)
バックハウス生誕140年・没後55年企画。亡くなる約1週間前の「最後の演奏会」となったオシアッハ(オーストリア)での1969年の歴史的ライブを最新でSACD化。今回初めて独デッカ初出時のアートワークをジャケットに復活。今回の発売のために歴史的名盤を新規で本国のマスターテープより最新復刻。
ここには、ドイツの大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス(1884~1969)の「最後の演奏会」となったオーストリア、ケルンテン州オシアッハ修道院教会での1969年6月26日と28日のライヴ録音が収録されている。
1969年6月28日の演奏会前半で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番を演奏中、バックハウスは第3楽章のコーダで気分が悪くなり、「少し休ませてください」と言い残して舞台を後にした。短い休憩の後に彼の秘書がプログラムの変更を告げ、演奏会の前半はシューマンの「夕べに」と「何故に」で締めくくられた。その後の長い休憩の間、医師たちはバックハウスに演奏会の中止を強く勧めた。しかし、85歳のバックハウスの意志は非常に固く、バックハウスは「演奏会の最後をシューベルトの即興曲で締めくくりたいとのことです」と秘書に告げさせて、最後の舞台に立った。そして、ケルンテン州第2の都市、フィラッハの病院に入院したが、一週間後に亡くなった。
ピアノのヴィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)は、ドイツ、ライプツィヒ出身。ドイツ国籍であったが、後スイスに帰化した。7歳でライプツィヒ音楽院に入学。 1900年、16歳の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝したが、このときの第2位はバルトークであったという。その演奏に付けられたニックネームは”鍵盤の獅子王”だった。 1930年、スイス、ルガーノに移住。1946年、スイスに帰化。第二次世界大戦後の 1954年、カーネギー・ホールでコンサートを開き、アメリカへ進出を果たす。同年、日本を訪れた。1966年、オーストリア共和国「芸術名誉十字勲章」を受ける。また、ベーゼンドルファー社からは、20世紀最大のピアニストとしての意味を持つ指環を贈られた。1969年6月28日、オーストリアでのコンサートで、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中心臓発作を起こし、7日後に死去。享年85歳。