2024年12月19日
ホルスト: 組曲「惑星」
モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」序曲
ホルン協奏曲第3番
指揮:森 正
管弦楽:東京都交響楽団
ホルン:笠松長久
合唱:日本合唱協会
録音:1982年8月5日、新宿文化センター(ライヴ録音)
CD:東武商事 Tobu Recordings TBRCD0155
このCDは、1982年8月5日、新宿文化センターでのライヴ録音盤。当日は、山田一雄の代役で急遽登壇した森 正指揮東京都交響楽団により、ホルスト: 組曲「惑星」/モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」序曲、ホルン協奏曲第3番が演奏された。
指揮の森 正(1921年―1987年)は、大阪市出身。天王寺商業学校で音楽部に所属し、最初はホルンを担当したが、3年の頃肋膜炎に罹ったことでフルートに転向。東京音楽学校(現・東京芸術大学)器楽科に入学。最初はフルート、その後指揮の授業をのヘルムート・フェルマーから履修。フェルマーには指揮のほか、ハーモニーや作曲、オーケストレーション等も学び、同校卒業後も継続して師事した。1942年、同校卒業し、フルート奏者として正式にデビュー。1943年、東京放送管弦楽団に入団。戦後は、尾高尚忠の自宅のある鎌倉へ転居し、尾高、橘常定とトリオを組み演奏旅行を行う。特に尾高とは家が近所だったために親しく、1948年にはフルート協奏曲の作曲を委嘱し同年初演。その後、斎藤秀雄の紹介で、陸軍音楽隊が解体されて結成された宮内省のブラスバンドを指揮。1948年頃、名古屋市公会堂における進駐軍のためのコンサートで、東京フィルハーモニー交響楽団とオットー・ニコライ作曲の「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲を急遽指揮して指揮者としてデビューを果たす。その後、齋藤秀雄に指揮法を改めて師事する傍ら、東京放送管弦楽団の同僚で、シベリア抑留より帰還した黒柳守綱らと東響室内楽団にも参加。1950年日本指揮者協会を設立。設立者は山田耕筰、近衛秀麿、齋藤秀雄、上田仁、尾高尚忠、金子登、山田一雄、渡辺暁雄、高田信一、森 正。1952年東京交響楽団の常任指揮者に就任。さらに京都市交響楽団常任指揮者(1962年~1966年)、東京都交響楽団常任指揮者(1967年~1972年)を歴任。1979年、NHK交響楽団正指揮者に就任。980年第31回「NHK放送文化賞」受賞。1984年「紫綬褒章」受章。死の直前まで桐朋学園大学教授として後進の指導にあたった他、東京芸術大学講師、東京音楽大学客員教授を務めた。