2024年12月19日
ホルスト: 組曲「惑星」
モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」序曲
ホルン協奏曲第3番
指揮:森 正
管弦楽:東京都交響楽団
ホルン:笠松長久
合唱:日本合唱協会
録音:1982年8月5日、新宿文化センター(ライヴ録音)
CD:東武商事 Tobu Recordings TBRCD0155
このCDは、1982年8月5日、新宿文化センターでのライヴ録音盤。当日は、山田一雄の代役で急遽登壇した森 正指揮東京都交響楽団により、ホルスト: 組曲「惑星」/モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」序曲、ホルン協奏曲第3番が演奏された。
指揮の森 正(1921年―1987年)は、大阪市出身。天王寺商業学校で音楽部に所属し、最初はホルンを担当したが、3年の頃肋膜炎に罹ったことでフルートに転向。東京音楽学校(現・東京芸術大学)器楽科に入学。最初はフルート、その後指揮の授業をのヘルムート・フェルマーから履修。フェルマーには指揮のほか、ハーモニーや作曲、オーケストレーション等も学び、同校卒業後も継続して師事した。1942年、同校卒業し、フルート奏者として正式にデビュー。1943年、東京放送管弦楽団に入団。戦後は、尾高尚忠の自宅のある鎌倉へ転居し、尾高、橘常定とトリオを組み演奏旅行を行う。特に尾高とは家が近所だったために親しく、1948年にはフルート協奏曲の作曲を委嘱し同年初演。その後、斎藤秀雄の紹介で、陸軍音楽隊が解体されて結成された宮内省のブラスバンドを指揮。1948年頃、名古屋市公会堂における進駐軍のためのコンサートで、東京フィルハーモニー交響楽団とオットー・ニコライ作曲の「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲を急遽指揮して指揮者としてデビューを果たす。その後、齋藤秀雄に指揮法を改めて師事する傍ら、東京放送管弦楽団の同僚で、シベリア抑留より帰還した黒柳守綱らと東響室内楽団にも参加。1950年日本指揮者協会を設立。設立者は山田耕筰、近衛秀麿、齋藤秀雄、上田仁、尾高尚忠、金子登、山田一雄、渡辺暁雄、高田信一、森 正。1952年東京交響楽団の常任指揮者に就任。さらに京都市交響楽団常任指揮者(1962年~1966年)、東京都交響楽団常任指揮者(1967年~1972年)を歴任。1979年、NHK交響楽団正指揮者に就任。980年第31回「NHK放送文化賞」受賞。1984年「紫綬褒章」受章。死の直前まで桐朋学園大学教授として後進の指導にあたった他、東京芸術大学講師、東京音楽大学客員教授を務めた。
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2024年12月16日
J.S.バッハ:
アダージョ~鍵盤楽器のための協奏曲 BWV 974 より
(原曲:マルチェッロ:オーボエ協奏曲 ニ短調S. D935)
ブーレ~リュート組曲 ホ短調 BWV 996(A.タロー編)
合唱「主、我らの統治者よ」~ヨハネ受難曲 BWV 245(A.タロー編)
シチリアーノ~フルートとチェンバロのためのソナタ 変ホ長調 BWV 1031(A.タロー編)
鍵盤楽器のための組曲 イ短調 BWV 818a
プレリュード/サラバンド/メヌエット/クーラント/アルマンド/ジーグ
アリア「愛ゆえに、私の救い主は死のうとされる」~マタイ受難曲 BWV 244(A.タロー編)
アリア~管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV 1068(A.タロー編)
ファンタジア~幻想曲とフーガ ハ短調 BWV 906
シチリアーノ~オルガン協奏曲 ニ短調 BWV 596(A.タロー編)
(原曲:ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」Op.3より2つのヴァイオリンと
チェロのための協奏曲第11番ニ短調 RV 565)
リュートための前奏曲 ハ短調 BWV 999
リュート組曲 ホ短調 BWV 996(A.タロー編)
プレリュード、サラバンド、アルマンド、ジーグ
前奏曲 ハ長調 BWV 924
前奏曲 ニ短調 BWV 926
コラール「私を認めてください 私の守り主よ」
~マタイ受難曲 BWV 244(ジャン・ヴィエネル編)
アルマンド~無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調 BWV 1013(A.タロー編)
コラール「今すべての森、静かなり」BWV 392(ジャン・ヴィエネル編)
シャルル・グノー:瞑想曲(アヴェ・マリア)
~J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調 BWV 846 より プレリュード
ピアノ:アレクサンドル・タロー
CD:ワーナーミュージック・ジャパン 2173.242335
アレクサンドル・タローのレパートリーは幅広く、古典派作品からロマン派、近現代、シャンソンまでとヴァラエティに富んでいるが、そんな彼が近年強く魅了されているのがバロック音楽。今回のバッハアルバムでは、多くの作曲者や演奏者がピアノ用に編曲したものではなく、リュートやフルート、受難曲からなどの曲を、タロー自身が編曲したものが多くを占めている。
ピアノのアレクサンドル・タロー(1968年生まれ)は、フランス、パリ出身。現代フランスを代表するピアニストの一人。パリ国立高等音楽院卒業。1989年「ARDミュンヘン国際音楽コンクール」第2位となり、以来国際的な演奏活動を展開。CD録音にも力を入れ、特にラモーの「新クラヴサン組曲」は非常に高い評価を得ているほか、ラヴェルのピアノ作品全集は、2003年「アカデミー・シャルル・クロ・グランプリ ディアパソン金賞」を受賞。ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノフェスティバル、BBCプロムス、ルフトハンザ・バロック音楽祭など多くの音楽祭に出演。クープラン、バッハ、スカルラッティからモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ブラームス、さらにラフマニノフや20世紀の著名フランス人作曲家にいたる幅広いレパートリーを録音したソロ・アルバムは25枚を超え、そのほとんどが主要音楽専門誌の賞に輝いている。また、演劇制作者、ダンサーなどクラシック音楽以外のジャンルの音楽家たちとのコラボレーションを通じて、多彩な芸術的試みにも挑んでいる。2021年、フランスの音楽大賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク・クラシック」より、「インターナショナル・ソリスト・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。2022年には映画音楽を特集した「シネマ」と題するCDをリリースし、2023年は4手プロジェクトに挑むなど、視野の広い活動を精力的に展開している。
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2024年12月12日
<CD1>
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15
<CD2>
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83
<CD3>(ピアノ・ソロ)
ブラームス:7つの幻想曲 作品116
3つの間奏曲 作品117
6つの小品 作品118
4つの小品 作品119
ワルツ 作品39より第15曲イ長調(連弾:クリスティアン・ティーレマン)
ピアノ:イゴール・レヴィット
指揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD:ソニーミュージック SICC‐30899~901(3枚組)
レヴィットとティーレマンは、2015年にモーツァルトのピアノ協奏曲でシュターツカペレ・ドレスデンとともに初共演したが、2人はすぐに意気投合。ティーレマンによるブラームスのピアノ協奏曲の録音は、今回で2回目(1回目はポリーニとの2010年代の共演)。DISC3には、ブラームス晩年のピアノ作品をレヴィットのソロによって収録。最後の4手ピアノのためのワルツ集第15番はティーレマンとレヴィットが連弾で披露。
ピアノのイゴール・レヴィット(1987年生まれ)は、ロシア、ニジニーノヴゴロド出身。8歳のときに家族と共にドイツ移住。2009年ハノーファー音楽演劇メディア大学で学ぶ。2005年、テルアヴィヴの「アルトゥール・ルービンシュタイン・コンクール」に最年少で参加し、銀メダル及び最優秀室内楽演奏賞、観客賞、最優秀現代音楽演奏賞を獲得した。ベートーヴェンの後期ソナタ5曲のCDで、2014年「BBCミュージック・マガジン新人賞」、同年ロイヤル・フィルハーモニック協会「ヤング・アーティスト賞」を受賞。さらに2015年、ハイデルベルクの春音楽祭の協力を得て、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」、ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」、ジェフスキーの「不屈の民」変奏曲を収録したCDは、2016年の「グラモフォン・クラシック・ミュージック・アワード」において、「レコーディング・オブ・ザ・イヤー」と「器楽賞」を受賞した。さらに、2018年「ギルモア・アーティスト賞」、同年ロイヤル・フィルハーモニック協会の「年間最優秀器楽奏者賞」を受賞。
指揮のクリスティアン・ティーレマン(1959年生まれ)は、ドイツ、ベルリン出身。1978年よりベルリン・ドイツ・オペラ、カールスルーエ・バーデン州立劇場、ハノーファー州立劇場にて歌劇場コレペティトーアとして経験を積んだのち、1985年にデュッセルドルフ・ライン歌劇場の首席指揮者としてその本格的キャリアをスタートさせ、1985年から1988年までライン・ドイツ・オペラの第1カペルマイスターを務めた。1988年にはニュルンベルク州立劇場の音楽総監督に就任したが、これは当時ドイツ国内では最年少の音楽総監督であった。これまで、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督(1997年~2004年)、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席(2004年~2010)などを歴任。現在、シュターツカペレ・ドレスデン音楽総監督・首席指揮者 (2012年~2024年)、ザルツブルク復活祭音楽祭芸術監督(2013年~)、バイロイト音楽祭芸術監督(2015年~)、ベルリン国立歌劇場音楽監督(2024年~)を務めている。2019年と2024年には、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート指揮者を務めた。
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2024年12月09日
メシアン:「時の終わりのための四重奏曲」
水晶の典礼
時の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ
鳥たちの深淵
間奏曲
イエスの永遠性への賛歌
7つのトランペットのための狂乱の踊り
時の終わりを告げる天使のための虹の錯乱
イエスの不滅性への賛歌
アデス:コート・スタディーズ(歌劇「テンペスト」より)
ヴァイオリン:久保田 巧
チェロ:長谷川陽子
クラリネット:亀井良信
ピアノ:廻 由美子
CD:妙音舎 MYCL- 00052
このCDは、日本を代表する名手たちによる、20世紀を代表する室内楽曲であるメシアン(1908年―1992年)の「時の終わりのための四重奏曲」と、同じ楽器構成をもつイギリスの作曲家トーマス・アデス(1971年生まれ)のシェークスピアを題材とした作品「コート・スタディーズ」を収録。メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」は、第二次世界大戦下、捕虜となり拘束されたメシアン自身のピアノによって収容所の捕虜たちを前に初演された室内楽の傑作。
ヴァイオリンの久保田 巧(1959年生まれ)は、東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ディプロマ・コースに進む。大学在学中にウィーンに留学し、ウィーン国立音楽大学を卒業。ウィーンではヴォルフガング・シュナイダーハン(1915年―2002年)に師事。1984年日本でリサイタル・デビュー。1982年第1回「ロドルフォ・リピツァー賞ヴァイオリン・コンクール」第2位。1983年「フリッツ・クライスラー国際コンクール」第2位。第3回「ミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリン・コンクール」第1位。1984年「カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール」第3位。1984年「ミュンヘン国際音楽コンクール」ヴァイオリン部門第1位(日本人としては初)。1987年からサイトウ・キネン・オーケストラ、1990年から水戸室内管弦楽団、2014年から弦楽四重奏団「前橋汀子カルテット」に参加。
チェロの長谷川陽子は、東京都出身。9歳から桐朋学園大学付属「子供のための音楽教室」で井上頼豊に師事し、15歳で第54回「日本音楽コンクール」第2位入賞。1988年桐朋学園大学に入学後、1989年より文化庁派遣在外研修員としてフィンランドのシベリウス・アカデミーに留学。1992年同アカデミーを首席で卒業し、帰国。1985年第3回「アリオン賞」審査員奨励賞、1988年「村松賞」、1988年「第9回霧島国際音楽祭賞」、1990年「ロストロポーヴィッチ国際チェロ・コンクール」特別賞、1991年「モービル音楽賞奨励賞」、1991年「新日鉄フレッシュ・アーティスト賞」、齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。NHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」のテーマ曲やNHK大河ドラマ「平清盛」のエンディング・テーマ曲演奏などを担当。2015年より、桐朋学園大学音楽学部准教授。
クラリネットの亀井良信(1976年生まれ)は、名古屋市出身。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)卒業後、渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院、オーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも満場一致の1位で卒業。ピエール・ブーレーズに認められ、バルタバス主幹のフランス騎馬オペラ団「ジンガロ」のスペクタクル「TRIPTIK」で、同曲を演奏することに抜擢され、1999~2002年まで世界ツアーに出演する。1997年「トゥーロン国際コンクール」で「スペディダム賞」を受賞。2003年「日本木管コンクール」第1位。2003年帰国。ソリスト・室内楽などで活動する他、サイトウ・キネン・オーケストラ、東京のオペラの森にも参加している。第16回「出光音楽賞」、2005年度「アリオン賞」を受賞。東京芸術大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師。
ピアノの廻 由美子は、東京都出身。 桐朋学園高校音楽科を経て桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、インディアナ大学音楽学部アーティスト・ディプロマ・コースにてジョルジュ・シェベックに師事。2007年から”「新しい耳」テッセラ音楽祭”を主催し、ボーダーレスの個性派音楽祭として注目され、ドイツの音楽誌「NEUE ZEITSCHRIFT FUR MUSIK」でも2ページにわたり紹介される。30回を迎えた2022年より新シリーズ”「新しい耳」@B-tech Japan ”を開始。ピアノ演奏のレパートリーは、バッハなどの古典派から、武満徹などの現代の作曲家まで幅広いが、中でも現代音楽を専門としている。レコーディングでは、これまで20枚以上に及ぶCDをリリースし、「バルトーク/二台のピアノと打楽器のためのソナタ」は、全米でリリースされた。桐朋学園大学ピアノ科教授。
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2024年12月05日
フォーレ:子守歌 作品16
リリ・ブーランジェ:夜想曲
フォーレ:アンダンテ 作品75
サン=サーンス:あなたの声に心は開く(「サムソンとダリラ」より)
ナディア・ブーランジェ:カンティーク
フォーレ:パピヨン 作品77
ポーリーヌ・ヴィアルド:アイ・リュリ
フォーレ:シシリエンヌ 作品78
リリ・ブーランジェ:哀しみの夜に
フォーレ:モルソー・デ・レクチュール
ナディア・ブーランジェ:ラ・メール
フォーレ:ロマンス 作品69
ポーリーヌ・ヴィアルド:エメ・モワ(16世紀の6つのシャンソンより)
フォーレ:エレジー作品24
フォーレ:セレナーデ作品98
サン=サーンス:ロマンス
フォーレ:ロマンス 作品28
カタルーニャ民謡(パブロ・カザルス編):鳥の歌 (日本盤ボーナス・トラック)
チェロ:ヨーヨー・マ
ピアノ:キャサリン・ストット
CD:ソニーミュージック SICC-30903(Blu-spec CD2)
このCDは、現代最高のチェリスト=ヨーヨー・マの最新録音盤で、1985年から録音で共演を重ねるイギリスの実力派ピアニスト キャサリン・ストットとのデュオ・アルバムで、4年ぶりの共演作。残念ながら、キャサリン・ストットは、2024年でプロのピアニストとしての活動を中止するという。
チェロのヨーヨー・マ(1955年生まれ)は、フランス、パリ出身の中国系アメリカ人。父は、中国寧波生まれでオーケストラ指揮者・作曲家。母は、香港生まれで南京国立中央大学出身の声楽家。ヨーヨー・マの両親は中国を離れパリに渡りその後、彼が7歳の時にニューヨークに移り住んだ。5歳にしてすでに観衆を前に演奏を行い、7歳の時にはジョン・F・ケネディの前で演奏、また、8歳でレナード・バーンスタインが行ったコンサートでアメリカのテレビに出演した。1976年ハーバード大学を卒業、人類学の学位を取得。1982年に、バッハの無伴奏チェロ組曲を録音する。1994年から1997年にかけて同曲の再録音を行う。室内楽にも熱心であり、ジュリアード音楽院時代から親密にしていたピアニストであるエマニュエル・アックスなどと共演。1991年に、ハーバード大学から名誉博士号を授与される。2000年、テレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」に本人役で出演。「グラミー賞」および「エミー賞」受賞。2010年「大統領自由勲章」が授与された。古典派から現代音楽までの幅広いレパートリーを持ち、デビュー当時、「テクニックは世界最高」といわれた。
ピアノのキャサリン・ストット(1958年生まれ)は、イギリス、ランカシャー州ネルソン出身。ユーディ・メニューイン音楽学校でヴラド・ペルルミュテールとナディア・ブーランジェの教えを受ける。その後、ロンドン王立音楽院に進学。1978年「リーズ国際ピアノ・コンクール」第5位。1985年よりヨーヨー・マとデュオを組む。1995年にはフランス音楽の普及活動への功績が認められ、フランス政府から「芸術文芸シュヴァリエ勲章」を授与された。2024年でプロのピアニストとしての活動を中止。
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2024年12月02日
エルガー:チェロ協奏曲
ウォルトン:チェロ協奏曲
チェロ:ゴーティエ・カピュソン
指揮:アントニオ・パッパーノ
管弦楽:ロンドン交響楽団
CD:ワーナーミュージック 2173.226483
このCDは、ゴーティエ・カピュソン&パッパーノ指揮ロンドン交響楽団による英国を代表するチェロ協奏曲集
チェロのゴーティエ・カピュソン(1981年生まれ)は、フランスのシャンベリ出身。兄のルノー・カピュソンはヴァイオリニスト。兄の他、ピアニストのユジャ・ワンとの共演も多い。自身もピアノを弾く。1998年、サン=ジャン=ド=リュズで開催された「モーリス・ラベル国際音楽アカデミー・コンクール」第1位。1999年、クライストチャーチで開催された第3回「アダム国際チェロフェスティバルおよびコンクール」第2位。1999年、トゥールーズで開催された第1回「アンドレ・ナヴァラ国際チェロコンクール」第1位。深い表現力と卓越したテクニックは、国際的に高い評価を得ている。
指揮のアントニオ・パッパーノ(1959年生まれ)は、イタリア出身。アメリカに渡りピアノや作曲を学んだ後、各地の歌劇場で研鑽を積む。1987年にノルウェー歌劇場にデビューし、1990年からは音楽監督に就任。1992年ベルギー・ブリュッセルにあるベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督に就任。1999年バイロイト音楽祭に楽劇「ローエングリン」を振ってデビュー。2002年からイギリスのロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督、さらに2005年からはイタリアのローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団の音楽監督を務めている。そして、2023年サイモン・ラトルの後任としてロンドン交響楽団 (LSO) の首席指揮者に就任。イタリア共和国功労勲章を受章。エリザベス女王よりナイトに叙せられた。
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2024年11月28日
<ディスク: 1>
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
R.シュトラウス:交響詩 「ドン・ファン」 作品20
<ディスク: 2>
ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 作品73
指揮:沖澤のどか
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
録音:2024年8月、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)<ライヴ録音>
CD:ユニバーサルミュージック UCCD-45032~3(2枚組)
このCDは、指揮者、小澤征爾が総監督を務めたオーケストラ、サイトウ・キネン・オーケストラの結成40周年を記念した、2024年「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」におけるコンサート・プログラムを集めたライヴ録音盤。2024年のOMFには、小澤征爾によりフェスティバル史上初めて首席客演指揮者に指名された沖澤のどか(「ブザンソン国際指揮者コンクール」覇者)が舞台に立った。
指揮の沖澤のどか(1987年生まれ)は、青森県三沢市出身。東京藝術大学音楽学部指揮科首席卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。同大学院音楽研究科指揮専攻修士課程修了。2011~2012年、オーケストラ・アンサンブル金沢指揮研究員。2015年、フェリックス・メンデルスゾーン基金の奨学生に選出。2017年、ダニエレ・ガッティとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマスタークラスに参加。2018年第18回「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」にて、女性として初めて第1位及び特別賞、齋藤秀雄賞を受賞。第7回「ジュネス・ミュジカル・ブカレスト国際指揮者コンクール」第3位。第1回「ニース・コートダズール・オペラ指揮コンクール」セミファイナリスト。2019年第56回「ブザンソン国際指揮者コンクール」優勝、同時に聴衆賞及びオーケストラ賞受賞。同年、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン修士課程オーケストラ指揮専攻を修了。2020年よりベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーの奨学金を受け、キリル・ペトレンコの助手となる。2022年3月には、急病のペトレンコの代役としてベルリン・フィルを指揮した。メルボルン交響楽団、MDR交響楽団、トーンキュンストラー管弦楽団との定期公演に登場。2023年第21回「齋藤秀雄メモリアル基金賞」受賞。2023年4月京都市交響楽団の第14代常任指揮者に就任。2024年「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」首席客演指揮者に就任。現在、ベルリン在住。
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2024年11月25日
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618
指揮:リッカルド・ムーティ
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:パトリシア・パーチェ
メゾ・ソプラノ:ヴァルトラウト・マイヤー
テノール:フランク・ロパード
合唱:スウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団
録音:1987年2月14日~15日、フィルハーモニア、ベルリン
CD:タワーレコード TDSA‐10014(2024年マスタリング盤)
このCDは、EMIへの録音初期からケルビーニを初めとした宗教曲を数多く録音しているムーティが満を持してベルリン・フィルという”世界最高の楽器”集団と共に、同じく当時の合唱界の世界最高水準に達した団体のひとつと言っても過言ではないスウェーデン放送合唱団とストックホルム室内合唱団を率いた名盤。
指揮のリッカルド・ムーティ(1941年生れ)は、イタリア、ナポリ出身。これまでフィルハーモニア管弦楽団首席指揮者(1973年~1982年)、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督(1980年~1992年)、ミラノ・スカラザ音楽監督(1986年~2005年)を歴任し、2010年からはシカゴ交響楽団音楽監督を務めている。 恒例の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」の指揮者を過去に6回(1993年、1997年、2000年、2004年、2018年、2021年)務めるなど、現在、世界を代表する指揮者の一人。受賞歴は、ウルフ賞芸術部門(2000年)、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、レジオンドヌール勲章オフィシエ(2010年)、アストゥリアス皇太子賞芸術部門(2011年)、旭日重光章(2016年)、高松宮殿下記念世界文化賞(2018年)など。
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2024年11月21日
<CD-1>
J.S.バッハ:プレリュードとフーガ ト短調 BWV861 (「平均律クラヴィーア曲集」第1巻より)
ショパン:バラード第1番 ト短調 作品 23
バラード第2番 ヘ長調 作品 38
バラード第3番 変イ長調 作品 47
バラード第4番 ヘ短調 作品 52
<CD-2>
平野一郎:ピアノ・ソナタ第1番「光人彷徨(こうじんほうこう)」
~左手と右手に依る二幕の黙示劇 (イリーナ・メジューエワ委嘱作品)
I : 闇巴髏乃(いんへるの)
II : 波羅以蘇(はらいそ)
録音:2023年11月23日、京都コンサートホール 「アンサンブルホールムラタ」におけるライヴ録音
CD:日本ピアノサービス(Bijin Classical BJN‐1029~30)
ピアノ:イリーナ・メジューエワ
このCDは、メジューエワが「21世紀の”ハンマークラヴィーア”」と絶賛する平野一郎のピアノ・ソナタ第1番「光人彷徨」の世界初演の舞台となった2023年京都リサイタル・ライヴ録音盤。
ピアノのイリーナ・メジューエワ(1975年生れ)は、ロシア、ゴーリキー(現在:ニジニ・ノヴゴロド)出身。グネーシン音楽学校でヴラディミール・トロップに師事。1992年ロッテルダムで開催された第4回「エドゥアルト・フリプセ国際ピアノ・コンクール」で優勝。 以後、ヨーロッパ各国で演奏活動を行う。1997年から日本の京都を本拠とし、全国各地で演奏活動を展開。CD録音にも精力的で、これまでに多数のアルバムをリリース。「ショパン:ノクターン全集」(若林工房)は2010年度「レコードアカデミー賞(器楽曲部門)」受賞。2006年度「青山音楽賞」受賞。2015年第27回「ミュージック・ペンクラブ音楽賞(クラシック部門、独奏・独唱部門)」受賞。著書「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」(講談社)/「ショパンの名曲」(同)。2021年4月より大阪音楽大学客員教授を務める。
作曲の平野一郎(1974年生まれ)は、京都府宮津市出身。1996年より各地の祭礼と音楽を巡る踏査を始動。1997年京都市立芸術大学卒業。1999年ブレーメン芸術大学に派遣留学。2000年京都芸大大学院(修士課程)修了。2001年より作曲活動を本格開始、京都を拠点に日本の風土や伝承に根差した独自の作品を発表。2005年「かぎろひの島」(Orch)で「日本交響楽振興財団作曲賞」最上位入選/「日本財団特別奨励賞」受賞。2007年作品演奏会“作曲家 平野一郎の世界 〜神話・伝説・祭礼…音の原風景を巡る旅〜”で第17回「青山音楽賞」受賞。2007年度「京都市芸術新人賞」受賞。2011年演奏家・美術家と「音色工房オンショクコウボウ」を結成。無伴奏女声独唱の為の「四季の四部作」(2014年吉川真澄委嘱)は大きな反響を呼び、同連作を軸とする協力公演“DUOうたほぎリサイタル2015”が「佐治敬三賞」受賞。CD「平野一郎《四季の四部作》春夏秋冬」(waon records)が「レコード芸術」「stereo」「オーディオアクセサリー」各誌で特選となる。令和元年(2019年)度「京都府文化賞奨励賞」受賞。
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2024年11月18日
<DISC1>
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
シューベルト:楽興の時 D780 (作品94)
<DISC2>
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331(K.300i)「トルコ行進曲付き」
シューベルト:即興曲 変イ長調 D935の2(作品142の2)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 作品31の3(第4楽章を除く)
シューマン:幻想小曲集 作品12 から 第1曲:夕べに、第3曲:何故に?
シューベルト:即興曲 変イ長調 D935の2(作品142の2)
ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
録音:1969年6月26日(1-4)、28日(5-7) オーストリア、オシアッハ、シュティフト教会
CD:タワーレコード PROC-2405(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE SA-CD COLLECTION)
バックハウス生誕140年・没後55年企画。亡くなる約1週間前の「最後の演奏会」となったオシアッハ(オーストリア)での1969年の歴史的ライブを最新でSACD化。今回初めて独デッカ初出時のアートワークをジャケットに復活。今回の発売のために歴史的名盤を新規で本国のマスターテープより最新復刻。
ここには、ドイツの大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス(1884~1969)の「最後の演奏会」となったオーストリア、ケルンテン州オシアッハ修道院教会での1969年6月26日と28日のライヴ録音が収録されている。
1969年6月28日の演奏会前半で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番を演奏中、バックハウスは第3楽章のコーダで気分が悪くなり、「少し休ませてください」と言い残して舞台を後にした。短い休憩の後に彼の秘書がプログラムの変更を告げ、演奏会の前半はシューマンの「夕べに」と「何故に」で締めくくられた。その後の長い休憩の間、医師たちはバックハウスに演奏会の中止を強く勧めた。しかし、85歳のバックハウスの意志は非常に固く、バックハウスは「演奏会の最後をシューベルトの即興曲で締めくくりたいとのことです」と秘書に告げさせて、最後の舞台に立った。そして、ケルンテン州第2の都市、フィラッハの病院に入院したが、一週間後に亡くなった。
ピアノのヴィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)は、ドイツ、ライプツィヒ出身。ドイツ国籍であったが、後スイスに帰化した。7歳でライプツィヒ音楽院に入学。 1900年、16歳の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝したが、このときの第2位はバルトークであったという。その演奏に付けられたニックネームは”鍵盤の獅子王”だった。 1930年、スイス、ルガーノに移住。1946年、スイスに帰化。第二次世界大戦後の 1954年、カーネギー・ホールでコンサートを開き、アメリカへ進出を果たす。同年、日本を訪れた。1966年、オーストリア共和国「芸術名誉十字勲章」を受ける。また、ベーゼンドルファー社からは、20世紀最大のピアニストとしての意味を持つ指環を贈られた。1969年6月28日、オーストリアでのコンサートで、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を弾いている途中心臓発作を起こし、7日後に死去。享年85歳。
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